グローバルな存在感のNewJeans
New Jeans with a global presence
NewJeans「OMG」アンコール生歌に反響…「ハニ」称賛する声相次ぐ
アンコールステージに臨んだNewJeansの生歌を聴いた。スピーカーの音量を上げないでしっかり声を出しているのは、ハニやダニエルの印象。ヘリンとヘインの歌声は先の2人に較べるといささか小さい。ヘインは声量が乏しく、ヘリンは出せるにもかかわらず、音程に不安があって抑えて(?)歌っている感じがする。
ミンジは低音の歌声の持ち主。そのため歌が苦手で育ち、ラップ担当に回されたのかも…。
ステージでこのくらい歌えるなら、スタジオで歌わせたら上手な歌い手たちかもしれない。実際、ダンスなしのスタジオライブでは、うっとりするような歌声を聴かせてくれた。
しかし、韓国のグループ音楽はダンスがメインで発展してきた。ダンスなしのグループ音楽はたまに披露するから耳を傾けてもらえるのだろう。
K-POPがそういう音楽を作り出せるようになってきたのは事実だが、そういう音楽で楽に稼げるほど世界の市場は甘くない。
豊かな文明と文化を世界に向けて浸透させていったのは欧米の国々だった。豊富な物量とともに音楽も世界の隅々に入っていった。世界中の人たちがそれらの音楽を受け入れ、カバーしながら現在のポピュラー音楽を育ててきた。
送り手(本家)の国々がヒット曲を次々と作り出して来るのは
当然の話だ。
韓国も洋楽を取り入れて国内でヒット曲は出せても、海外で売るのは簡単ではなかった。
模倣して普通に歌って本家に勝てるほどエンタメ音楽は甘くない。
なぜか?
それは商売だからだ。食べ物は美味しくないと食べない。音楽は、”聴いて楽しくないと次は聴かない”である。
食べ物は1度食べて”美味しい”が望ましい。
舌でなく、感性に訴える音楽は少し込み入るが、最低でも1度聴いて(ん?)がなければならない。
K-POPが幸運だったのは、本家に劣る音楽をダンスという皮の下に包み込んだことだ。
表のデコレーション(音楽)で負けるのなら、ダンスの皮で饅頭にして隠し味にしてしまおう、という発想である。
耳は聞きたくない音は遮断できるが、視野に入って来るものを遮断するのは容易ではない。見たい物と見たくない物が目の前にあれば一方を視野から消すことは出来ない。
歌とダンスをセットにしたK-POPがまさにそうだった。稚拙なダンス音楽なら、目を背けて聞こえてくる音楽も一緒に消し去ることが出来る。
しかし、巧緻なダンスが繰り広げられていれば、目を凝らす分、そこに流れる音楽も一緒に聴いてしまうことになる。
クリアな映像が開発されてハイビジョンが登場する中、K-POPのフラッシュモブが発生したのはまさに時代の要請に沿ったものだった。
ハイビジョンの映像時代に入ってきて、目をつぶって聴くのも心地よいロック音楽は静かに衰退の方向を取り出している。自分の見るところ、この現象は確かに思われる。ロックの陶酔が見ることを拒む”何か”だったとすれば、ロックに酔っていた人たちはハイビジョンのクリアな映像の中に今までと異なる何かを見つけたということになるかもしれない。それをK-POPのダンスがもたらしたとするなら、”むべなるかな”の思いもよぎる。
NewJeansは歌とダンスのK-POPに私小説的日常(ドラマ性)を加味して登場してきたと思える。ヒップホップスタイルなのはそれを強調するためだろうし、同世代に向けるメッセージ性も感じ取れる。
GFRIENDのように女学生のイメージを持って登場したが、NewJeansは大きな社会と学園がつながってオーバーラップしたところにその存在感を浮き立たせている。
K-POP人気がグローバルに行き渡り、そんな中で生み出されてきたヒロインたちと言えるかもしれない。
New Jeans with a global presence
NewJeans「OMG」アンコール生歌に反響…「ハニ」称賛する声相次ぐ
アンコールステージに臨んだNewJeansの生歌を聴いた。スピーカーの音量を上げないでしっかり声を出しているのは、ハニやダニエルの印象。ヘリンとヘインの歌声は先の2人に較べるといささか小さい。ヘインは声量が乏しく、ヘリンは出せるにもかかわらず、音程に不安があって抑えて(?)歌っている感じがする。
ミンジは低音の歌声の持ち主。そのため歌が苦手で育ち、ラップ担当に回されたのかも…。
ステージでこのくらい歌えるなら、スタジオで歌わせたら上手な歌い手たちかもしれない。実際、ダンスなしのスタジオライブでは、うっとりするような歌声を聴かせてくれた。
しかし、韓国のグループ音楽はダンスがメインで発展してきた。ダンスなしのグループ音楽はたまに披露するから耳を傾けてもらえるのだろう。
K-POPがそういう音楽を作り出せるようになってきたのは事実だが、そういう音楽で楽に稼げるほど世界の市場は甘くない。
豊かな文明と文化を世界に向けて浸透させていったのは欧米の国々だった。豊富な物量とともに音楽も世界の隅々に入っていった。世界中の人たちがそれらの音楽を受け入れ、カバーしながら現在のポピュラー音楽を育ててきた。
送り手(本家)の国々がヒット曲を次々と作り出して来るのは
当然の話だ。
韓国も洋楽を取り入れて国内でヒット曲は出せても、海外で売るのは簡単ではなかった。
模倣して普通に歌って本家に勝てるほどエンタメ音楽は甘くない。
なぜか?
それは商売だからだ。食べ物は美味しくないと食べない。音楽は、”聴いて楽しくないと次は聴かない”である。
食べ物は1度食べて”美味しい”が望ましい。
舌でなく、感性に訴える音楽は少し込み入るが、最低でも1度聴いて(ん?)がなければならない。
K-POPが幸運だったのは、本家に劣る音楽をダンスという皮の下に包み込んだことだ。
表のデコレーション(音楽)で負けるのなら、ダンスの皮で饅頭にして隠し味にしてしまおう、という発想である。
耳は聞きたくない音は遮断できるが、視野に入って来るものを遮断するのは容易ではない。見たい物と見たくない物が目の前にあれば一方を視野から消すことは出来ない。
歌とダンスをセットにしたK-POPがまさにそうだった。稚拙なダンス音楽なら、目を背けて聞こえてくる音楽も一緒に消し去ることが出来る。
しかし、巧緻なダンスが繰り広げられていれば、目を凝らす分、そこに流れる音楽も一緒に聴いてしまうことになる。
クリアな映像が開発されてハイビジョンが登場する中、K-POPのフラッシュモブが発生したのはまさに時代の要請に沿ったものだった。
ハイビジョンの映像時代に入ってきて、目をつぶって聴くのも心地よいロック音楽は静かに衰退の方向を取り出している。自分の見るところ、この現象は確かに思われる。ロックの陶酔が見ることを拒む”何か”だったとすれば、ロックに酔っていた人たちはハイビジョンのクリアな映像の中に今までと異なる何かを見つけたということになるかもしれない。それをK-POPのダンスがもたらしたとするなら、”むべなるかな”の思いもよぎる。
NewJeansは歌とダンスのK-POPに私小説的日常(ドラマ性)を加味して登場してきたと思える。ヒップホップスタイルなのはそれを強調するためだろうし、同世代に向けるメッセージ性も感じ取れる。
GFRIENDのように女学生のイメージを持って登場したが、NewJeansは大きな社会と学園がつながってオーバーラップしたところにその存在感を浮き立たせている。
K-POP人気がグローバルに行き渡り、そんな中で生み出されてきたヒロインたちと言えるかもしれない。
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