遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年も、ここで、目に止まった記事やブログをご紹介していけたらとおもいます。
さて、今年一番にご紹介するのは、ご存知「大川法ネット後援会及び幸福実現友の会」のアモ~レさんのブログです。
幕府を見限った薩摩とは…?歴史の引き金をひく現代の薩長連合とは…?
いよいよ、時間切れが迫った自民党政治?
驚くべき示唆に富んだ予言が出ました!
アモ~レさんの守護霊さん=ひきこもりさんの慧眼恐るべし!
安倍幕府は正月早々、浮かれている場合じゃなさそうですが…今はまだまだ“我が世の春”というところでしょうか?
この予言どおりに、すでに何かが始まっている気配はします。
しかし、一番肝心なのはココ
「歴史の大変動の傍観者となるか それとも 歯車を回す一員になるかは ひとえに あなた個人の 判断に懸かっている」
そうです。まだまだ傍観者でいたい人々が多すぎます。
宝くじに当たりたいなら宝くじを買わなくちゃはじまらないのと一緒(笑)で、歴史を動かしたいなら、動いてほしいと願わなければ動きません。冷めた傍観者ばかりじゃ何も始まらないでしょう。
願うのだけは得意の 「光の進軍」、先ずは、皮切りに“引きこもりの予言詩”のUPから始めさせて頂きます。
今年も宜しくお願い申し上げます。
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11969714736.html
年は明けた
それは同時に 一つの時代が 時間切れとなったことを 意味する
幕府は自ら 賞味期限切れということを 歴史に示したのだ
それが 2015年 1月1日の意味だ
刻々と 流れるときの中で
咲く時期を 間違えた花は かわいそうなだけだ
季節を間違えて 出てきた虫は 気の毒なだけだ
まだ幕府は 薩摩が見限ったことを 知らないようだ
知らない ということが すでに運命なのだ
ああ これが 神仕組み というものか
歴史は 繰り返すだろう
いや 歴史は 繰り返すものなのだ
歴史の変転の中に 神はいるからだ
歴史を創るのは 神だからだ
そもそも 時間の発明者は 神なのだ
川の魚は 川の流れに 身を委ねるしかない
気流に乗ることなくして 鳥は空を 飛ぶことはできない
人は ときの流れを読み
それに身と心を 委ねられるからこそ 人なのだ
人にとって ときの流れこそ 川の流れであり 気流である
ときの中に神はあり ときの流れも また神の心なのだ
神の子人間は 神の創りし 法則を理解し
その中で 最善を尽くせるからこそ 神の子なのだ
だから いつまでも 同じ時代が続くとは 思わない方が幸福だ
この国の幕府だけが いつまでも同じときを 謳歌できると思えるのか
そう思うこと それを 「愚か」 というのだ
幕府は 薩摩の尻尾を踏んだことに 気付いていないのだ
気づかぬことが 愚かなのだ
ああ 愚かなることよ
だが考えてみれば 愚かなる者に ときを読めというのも 酷なことだ
長州と薩摩が 反目している間は 幕府は存続できた
しかし 長州と薩摩が 目的をひとつにするとき
それが どういう意味を持つかは
日本人なら 知らなければならない
それを当然の ときの流れとして
それが 教養の力だ
それが 智慧の眼 というものだ
歴史を読む者 ときの流れを読む者は 神の願いをも読むのだ
かつて長州と 薩摩の思惑は 一体ではなかった
しかし 共に志は高く 堅牢なものだった
幕府の間違いは 薩長両者が共に持つ
強く高い志を 理解できなかったことだ
歴史は 繰り返す
火蓋が いつ切られるかは 言うまい
だが 導火線に 火は付いた
2015年 1月1日をもって
2019年 遅くても2024年には ことは済んでいるだろう
これが ひきこもりから見える 最も遅い 革命成就の年だ
現代(いま)を生きる 日本の国民(くにたみ)は
神武東征と 源平合戦と 戦国からの統一と 幕末明治維新
全てを併せたほどの 歴史スペクタルを これから見るだろう
歴史の大変動の 傍観者となるか
それとも 歯車を回す 一員になるかは
ひとえに あなた個人の 判断に懸かっている
あけまして おめでとう
Lyrics Hikikomori
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