土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
このブログは今、歴史問題を取り上げています。
日清・日露戦争の見解を終え、今後日中・大東亜戦争に論を進めてまいりますが、その前にまとめをしております。
それは、日露戦争を追え日韓併合をした後、日本は様々な間違いを犯していると思うからです。
日本にとって、つかの間の平和と思われる時期に、日本は間違ったことをしているのです。
ここを精査し、教訓としない限り、真の平和主義とは言えないと思います。
戦後の日本は、ある意味で日露戦争後と同じ、”つかの間の平和の時期”にあると思います。
ですから、歴史を繰り返さないためにも、ここをしっかりと見つめる必要があると考えます。
我々にその気がなくとも、戦に巻き込まれる・・・
一見平和に見える今、逆の意味でそういう危険に充ち満ちているように、私には見えて仕方がないのです。
日本は、元来侵略国家ではありません。
少なくとも歴史的事実をつぶさに見る限り日本人は、積極的に他国の富を奪うことで、喜びを感じる民族とは思えません。
ただ、そのことで戦わなくとも良かった戦も、やはり出てきております。
歴史とは皮肉なものですね。
ロシア戦争自体は、完全な国防戦争です。
当時最強国イギリスの後ろ盾や、熱烈的親日国トルコの思いがけない援軍等のお陰もあり、
判定勝ちとはいえ、日本はロシアに勝利しました。
ですがそのことが、後々の日本の運命、そう、太平洋戦争への流れの始まりになったと私は思います。
日本はロシアに勝利し、遼東半島と樺太を領地として獲ました。
遼東半島は日清戦争で、清国に返還した土地です。
遼東半島と満州からロシアを追い出すのが、ロシア戦争の日本側の目的ですから、
日清戦争後日本が、遼東半島を清に返還しなければ、日露戦争は起きなかった可能性もありますね。
ですから、日清戦争の戦後処理においても、当時の日本は判断を誤った可能性があると、私は思っております。
日露戦争では遼東半島という土地の他に、この地にロシアが造った南満州鉄道の権利も所得いたしました。
日露戦争の仲裁国アメリカ合衆国は、この南満州鉄道の共同経営を日本に持ちかけますが、日本はそれを断っております。
私は、この南満州鉄道を、日露を仲裁したアメリカと共同経営しておけば、その後の日米戦争は起きなかったのではないかと思っております。
日本は国防目的以外で、他国と戦争をした形跡はありません。
しかしそのことを、理解している国も、当時はありませんでしたし、現在もないかも知れません。
いや今も、当の日本人すら、そのことを理解しておりません。
戦争=国防論の国民の癖に、戦争=ビジネス論国家だと洗脳されていて、きちんと自国のアイデンティティーを理解していないように思います。
当時世界は、戦争=ビジネス論で動いており、日本の行軍事動原理は、世界では全く理解不能であったのです。
アメリカが満州に入ってくれていれば、そのことを理解してくれる友人になれた可能性は高かったと思います。
現にマッカーサー元帥は、そのことを朝鮮戦争という現地での実体験を通して、そのことを理解したからです。
当時の日本はこの地に、侵略的思考を持つ列強勢力を、入れたくなかったのは痛いほどよくわかります。
しかし日本も、列強の戦争観=ビジネス論をきちんと理解していたとは私には思えません。
彼らは、割に合わなければ戦いをしないのです。
そして、現実から学ぶフィールドワークということは、彼らの最も得意とすることろです。
日本は純粋と言えば純粋なのですが、この時に、他国の戦争観もきちんと理解していれば、
日米は共同で、この世界の火薬庫を守ることも可能であったはずです。
列強勢力と、共同の利益を得る仕組みを考える必要が、この時は既にあったと思うのです。
満州鉄道の日米共同経営ができなかったことが、私には残念でなりません。
共同経営していれば、アメリカは自国の利益を守るために、日本と共に戦う仲間になっていたでしょう。
日本人が戦争観の違いを理解していない・・・。このことは、今も全く当時と変わっていません。
そのことが、未来の日本の平和を脅かすことにならぬよう、私は心より願っております。
「土佐のくじら」より転送http://blog.goo.ne.jp/orbakuchan/e/81abf214db756673e6b9f16474c4209b