megamiyamaです。
「アゴラ」の池田信夫さんの「頭の悪いマスコミが戦争への道を開く」という記事が面白かったので、その記事のもとになった朝日新聞のインタビューについて書かれたブログ記事も一緒に、紹介します。
池田氏もふじい氏も、もともとは特に“朝日嫌い”でもないようですが、 こういう人たちが、「朝日」を痛烈に批判しはじめたら、もはや「朝日の時代」は終わったも同然。
ただ、池田氏がいうように
「特にマスコミに、高橋記者のような国語能力もない落第生が入ってくるのは危険だ。マスコミはまだ力をもっているので、1930年代のように大合唱すれば戦争をやらせることもできる。」
という危惧はあるので、要注意デス!
彼らの“金科玉条”、“馬鹿の一つ覚え”の「戦争反対!」って、「敵の侵略を呼び込んでも、絶対「国防」に反対します!」ですもんね。
「馬鹿じゃないの?」と、おばさんでも思います。
まずはふじいさんのブログhttp://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20131221-00030876/ から
2013年12月21日 20時6分
護憲派の法学者で、朝日新聞の「報道と人権委員会」の委員も務めている東京大学教授の長谷部恭男氏が、2013年11月13日の衆議院特別委員会で自民党推薦の参考人として特定秘密保護法に賛成の意見を述べたことを受けたインタビュー記事が話題になっている。
(今こそ政治を話そう)秘密法とどう向き合う 憲法学者・長谷部恭男さん:朝日新聞デジタル※全文閲覧には会員登録が必要
集団自衛権行使や憲法改正に反対の立場だった長谷部氏が、安倍政権の側で秘密法賛成の意見を述べるのはなぜなのか、ということを問うのは、単純に面白いテーマ。しかし、これがまたネット上では評判が悪い。なにしろ、いきなり冒頭から喧嘩腰なのだ。
――もしかして、「御用学者」と呼ばれていませんか。 「何のことでしょうか」
出典:(今こそ政治を話そう)秘密法とどう向き合う 憲法学者・長谷部恭男さん
ほんとう、何のことだよ…。
この出だしには「無礼すぎる」という声が多数上がっているほか、インタビュー内容自体がお粗末だという意見も噴出している。その最たるものが池田信夫氏の「まるで頭の悪い学生に先生が教えているようだ」という批判だろう。
この記事にクレジットされている高橋純子氏については、あえて逆張りで取材相手の対極のペルソナを演じている高度なインタビュー手法なのだ、という意見が同業者からは上がっている。例えば朝日新聞デジタル編集部の丹治吉順氏は「相当難しいインタビュー手法」と述べている(参照・ご存知のない方に付け加えると、知財関連やボーカロイド関連で鋭い視点の取材・記事をされている記者さんです)。
とはいえ、仮に長谷部氏の真意を明らかにするために逆張りをしたのだとしても、その本音を引き出している内容とは到底思えないし、論理性に欠いた質問が際立つ結果になっている以上、その試みは失敗したと判定しても差し支えないのではないだろうか。
個人的には、インタビューでレコーダーで録音をはじめる際に、いきなり「あんた御用学者なの?」と訊いたということはないのでは、と思う。最初に「よろしくお願いいたします」くらいの挨拶はしたのでは? 常識的にいえば、ある程度の編集・構成をして、さらにデスク以下のチェックを経てから公開されたもののはず。それで、記者あるいは朝日新聞vs長谷部氏という図式を際立たせるようなまとめ方をしたということなのだろう。
問題は、そのような構成をする必要が果たしてあったのか、ということ。もし私が高橋氏あるいはデスクの立場ならば、インタビュー形式にはせずに、記者の質問項目を間に挟むことなしに、長谷部氏の談話をポイントごとにまとめる方式を採用しただろう。護憲派の法学者がなぜ秘密法に賛成なのかを詳らかにするという目的ならば、それが一番読者に伝わると思うからだ。
もっというならば「秘密法反対の立場の朝日新聞」と「秘密法賛成の長谷部氏」という対立軸を対話として機能させるならば、どちらも同じ「知性」があるということが前提となる。今回、前者の側が質問でエキサイトしているようにしか見えず、勝負にすらなってないという印象になってしまう。「批判精神を持つのがジャーナリスト」とか、ぶっちゃけメディアの中の人の自己満足に過ぎないしね。
ほかにも、「常識的に考えれば、『沖縄密約』を否定し続けた政府を信用しろと言っても無理」という質問など、「どこの常識なんだよ…」いう言葉が唐突に出てくるなど、読者置き去りの展開が出てきたり、内容以前にコンテンツとして稚拙に感じる箇所が多い。最後の『取材を終えて』の一文も文脈が繋がっておらず「ポエムかよ」と言いたくなった。お金を払って読む文章じゃないっす。
秘密法についての是非に関して個人的にいうならば、議論が尽くされたとは思えないし、この時期に成立を急ぐ必然性があったのかどうかも疑問ではある。しかし、反対派が「言論統制のおそれがある」「戦前回帰の可能性」というのは、リアリティに欠いていて支持しづらいし、安倍政権に反対したいから分かりやすいフレーズを使っているだけにしか見えない。同じ法案を民主党政権時に審議したとするならば、果たして同じような熱意で報道したのだろうか、というのは意地悪すぎるかしら?
秘密法が公布・施行したとしても、懸念がなくなるわけではない。それを指摘し続けるのもメディアの役割だろう。ただ、読者・ユーザーの不安を煽るような記事を乱発しても、反対の機運が盛り上がることはなく、むしろメディアへの忌避が強まる結果になる可能性が高い。
反対派のメディアや関係者の方々による「戦争の足音」みたいな物言いは、いわゆる「ネット右翼」が「在日利権」と言うのと同じ程度にはファンタジーと第三者には見られていると、そろそろ自覚した方がいいように思う。反政府を標榜するにしても、あくまで事実を踏まえて論理的にお願いします。
2013年12月21日11:15
![](http://www.iza.ne.jp/FCKeditor/editor/images/spacer.gif)
――秘密保持は、今ある法律を使えば十分可能ではないですか。この高橋純子という記者の質問は矛盾している。「今ある法律を使えば十分」というのは、秘密保護法が国家公務員法と機能的に同じだといいたいのだろうが、他方で「秘密保護法は際限なく拡大解釈される」という。これを合わせると、こういうことになる:
「これまでは、各役所がそれぞれ、首相に情報を上げていました。これでは到底、国は守れません。たとえばテロリストの活動や重大犯罪から国を守るためには各役所が情報を持ち寄り、連携して効果的な対策を打たなければならない。特定秘密法ができたことで、秘密は守られるからちゃんと情報を出しなさいと言えるようにはなります」
――しかしこの法律では、そもそも何が「特定秘密」に当たるかが全くわからず、秘密の範囲が際限なく広がる危険性があります。
「今回の仕組みは、特別に保護すべき情報を金庫の中に厳重にしまって、権限のある人だけが見られるようにするというものです。なんでもかんでも金庫に入れてしまうと政府の仕事がやりにくくて仕方がない。常識的に考えて、秘密の範囲が際限なく広がることはありません」
現在の国家公務員法でもマスコミを逮捕できる。今は「秘密」の定義がないので際限なく拡大解釈でき、民間人も「共謀・教唆」で逮捕できる。
長谷部氏もいうように、拡大解釈のできない法律なんかない。それを制限するために裁判所があるのだ。現在の「特別管理秘密」には法的基準がなく、課長の決裁で適当に決めているが、今回の法律では特定秘密の定義を厳格にしたので、裁判所の判断も制限的になる。特定秘密の範囲は、今より狭まるのだ。
こういう記事を読むと、マスコミが社会のエリートだった時代も終わったんだなと思う。私の受験したころは朝日の入社試験はペーパーテストで、競争率は150倍ぐらいだったが、今は普通の会社と横並びの面接だ。就職偏差値でも、かつて朝日は人気ベスト10の常連だったが、今は100位にも入らない。明らかに定年まで会社が存在しないからだ。
官僚やマスコミの人気が落ちるのは健全なことだが、危険でもある。科挙のような儒教型メリトクラシーでは、法律ではなく「賢人」が国家を統治するので、試験で選ばれたエリートが権力をもつ。日本の社会も儒教型で、法律の建て前とは無関係に、官僚>マスコミ>政治家の順に偏差値が高く、信頼されていた。
こうした事実上の階層秩序は変わっていないので、それをになう官僚やマスコミが馬鹿になると、意思決定が混乱する。特にマスコミに、高橋記者のような国語能力もない落第生が入ってくるのは危険だ。マスコミはまだ力をもっているので、1930年代のように大合唱すれば戦争をやらせることもできる。それが歴史の教訓である。
長谷部氏もいうように、秘密保護法は「国を守るための法律」だが、戦後ずっと平和ボケの教師に教わってきた世代は、国家とか戦争という言葉にリアリティがない。それは幸福なことなのだが、これから否応なくそれを意識せざるをえなくなるだろう。アゴラ読書塾では、そういう変化に個人がどう備えるかを考えたい。