集団的自衛権の行使の問題ひとつとっても、容認派と反対派の意見は真っ二つに分かれ、平行線をたどるばかりの日本。
戦争に懲り、不戦の誓いを憲法に謳った平和国家日本でさえこうなのですから、ましてや、紛争の渦中にある地域や国々においては、譲れない「大義」や自国民の命を守る為の戦いや対立は、激化するばかり…の昨今です。
国家間の政治的な対立だけではなく、宗教の対立、民族の対立、文化の対立、立場や見解の相違による対立を挙げればキリのない世界ですが、私達はどうしたら対立を乗り越えてゆけるのでしょう?
そろそろ、結論が出すべき時が近づいているのかも知れません。
敬愛するお二人のブロガー、アマミキョさんと子房さんが、期せずして「今必要なこと」について 書かれています。
アマミキョさんの「ぽえむん外伝」では 「互いに敬意を持ち、互いにその志を疑わぬこと。」
子房さんの「宇宙の兄弟達へ」では、「悔い改めと反省」
お互いに相手に反省を要求し、自分の非は決して認めようとしないのが凡夫衆生の習性ながら、心底対立を乗り越えたいと願うなら、立ち止まって考えるしかないようです。
個人においても、自分がされたら嫌なコト(例えば誹謗中傷されるとか、軽蔑されるとか、嫌われるとか…)を先ずは、せめて自分からはしないように心がけるだけでも違ってくるでしょうね。(確かに、自分のコトは棚にあげてること…たくさんアリマス)
その上で、国家においても個人においても、正々堂々と自分に恥じない戦いをすれば、相手がどうあろうと意味のある戦いになるのではないでしょうか?
それぞれが信念を持って競い合うことは、決して悪い事ではないでしょう。
争いを恐れて信念を曲げては、負けデス。(常に“負けてきた”私が云うのもナンですが…)
前に進むための反省!
「奄美のあまみちゃんお気楽ブログ」と「宇宙の兄弟達へ@スピリチュアルブログ」の新着記事、転載させて頂きます。
http://amamikyo.amamin.jp/e453208.html
ぽえむん外伝「ワンネスと八紘一宇~日本の志とは」
2014年07月22日
神の御心は如何にあるかを問う時に、 両極端な意見を持つ者は多い。
しかし、その答えは一つではない。 理由は、「状況によって最善の道とはいつでも変わる」から。
そのときそのときにおける最善を探し続け、求め続け、出した答えを行動し引き寄せ続けること。
これが神意を汲む道に通ず。
明治維新のとき、幕府側、維新側、それぞれがすべてを賭して戦っただろう。
結果的には維新側が正しかっただろう。 だからといって、幕府側がすべて間違っていたか? 否、そうではない。
彼らには彼らの大義があり、彼らには彼らの正道があった。
なればこそ、志同じであれども、違う道があり、 そのなかでどれが最善の道であるかを判断するのは各人の修行であれど、 大切なことは、互いに敬意を持ち、互いにその志を疑わぬこと。
されば、世に敵は無く、その時互いの選択した道の違いのみがあれ、 向かう岸辺は一つの楽土であろう。
楽土とは、八紘一宇の理想。 互いが違いを認め合い、 なおかつ、一つであることを知る世界。
一つの神から生まれ、一つの親から成り立つ我ら皆同胞であれば、 争う理由なし。
互いを敬う姿勢にこそ、 五族協和の花咲かめ。
http://japan-spiritual.blogspot.jp/2014/07/blog-post_22.html
「宇宙の兄弟達へ@スピリチュアルブログ」
2014年7月22日火曜日
悔い改めと反省の意義
人は生きているうちに、様々な方に迷惑をかけたり、傷つけてしまうことがあります
たいていの場合は、傷つけていることを自覚しなかったり、相手が悪いと責任転嫁したりして、自らの罪を自覚しないことの方が多いのではないでしょうか
人間にはお互いに自由意志が存在します
その自由意志と自由意志が衝突しあったときに、相手を傷つけてしまうことが起こります
人間がそのまま自らの自由のままに生きていたならば、世の中は傷つけあい、苦しめあう世の中となっていくでしょう
そのために、神様は人間の互いの自由の相克を克服させるために、悔い改め・反省を与えられたのだと思います
自らを振り返って、相手を傷つけてしまったことを悔い、間違った思いや行いを正していこうとすることが反省です
伝統的に仏教では八正道といって、八つの項目に照らして、自らを正していく方法が取られています
ですが、一般の人では、八つも項目があると、なかなか点検するのは難しくなるかもしれません
もっと端的に反省する項目を点検する方法として、身・口・意の三つを振り返ってみる方法があると思います
身・口・意を密教では三密とも呼びます
身とは体のことで、人間の行為を言います
自分の行為が人を傷つけてしまっていないか。過ちを犯していないかを点検します。
口は言葉のことで、言葉によって人を傷つけていないか、間違ったことを言っていないか、嘘をついていないか、などを点検していきます
最後の意は、心に浮ぶ思いのことです
思いのなかで、誤った思いを持っていないか、愚痴や不平不満・怒り・憎しみ・嫉妬・人を貶める思いや、裏切る想い等、ネガティブな思いを持っていないか反省します
このように、行為と言葉と思いを点検して、過ちを正して、罪を悔いて、神様に許しを請い、また傷つけてしまった人がいたら謝ることで、自らを正していきます
ひとは生きているうちに過ちを犯してしまう生命です
その為に、過ちを正していくために人に与えられたのが悔い改め・反省でしょう
それは許しの秘蹟であり、人間関係を調和させる原理となります