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第4部(11)奄美復旧で決死隊「1分でも早く」 土砂崩れやハブの恐怖 産経より転載

2014-01-06 14:15:16 | (英氏)原発・エネルギー問題

2013.1.25 12:16 (1/6ページ)九州から原発が消えてよいのか

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 平成24年8月26、27両日、「観測史上最強クラス」の台風15号が奄美諸島(鹿児島県)を直撃した。最大瞬間風速44メートルの暴風、そして気象庁が「経験したことのないような大雨」と表現した豪雨が奄美大島など8島を襲った。

 各地で土砂崩れが発生し、主要道路は至る所で通行不能となったが、それだけではない。数百カ所で土砂が電柱を押し倒し、倒木が電線を引きちぎったため、8島の6割にあたる6万2千戸が停電した。「いつになったら電気がつくのか…」。家がきしむほどの暴風の中で漆黒の闇が広がり、住民たちはロウソクや懐中電灯の明かりで不安な夜を過ごした。

 台風が去った直後から応急の復旧作業が始まったが、現地駐在の九州電力と九電工の計166人だけではとても手が足りない。即座に300キロ離れた九州本土から130人の応援部隊が送り込まれた。

 「とにかく1分でも早く電気を送りたい。みんなそれしか考えていません。早朝から深夜まで悪路を歩く。宿が取れず、小学校の教室の床に敷いた段ボールの上や車中で寝ることもある。それでもわれわれ電気屋は送電した瞬間の感動を忘れられない。住民の歓声を聞いたら疲れは吹き飛びますよ」

 鹿児島から奄美大島に派遣された九電工鹿児島支店配電工事部副部長の濱崎庄吉氏はこう語った。

 ●台風で6割停電

 8月29日夕、同僚とともに奄美大島に到着した濱崎氏はすぐに送電線の復旧作業に入り、翌日も夜明けとともに作業を始めた。折れた電柱を補強材で直したり、近くの樹木に電線を架けかえるなど、やることはいくらでもある。

 停電が続く南部集落へ車で向かう途中、土砂崩れで道路がふさがれていた。濱崎氏らは車を乗り捨て、徒歩でさらに南下した。

 「地盤がゆるんだ場所で作業するのは怖い。目の前で土砂崩れが起き、間一髪で命拾いしたこともありますよ。でも電力復旧を待っている人が多いと思うと、ついつい多少の無理もしてしまいますね…」

 恐怖は土砂崩れなど2次災害だけではない。奄美諸島の山中には猛毒を持つハブが生息しているのだ。

 噛まれた場合の処置方法など「ハブ研修」を全員が受講しており、傷口から毒を吸い出す救急器具などを携帯しているとはいえ、噛まれれば死に至ることもある。濱崎氏らは足元の藪に潜むハブを追い出すため、藪を棒で叩きながら山中を進んだ。

 このような九電、九電工の技師らの決死の努力により、奄美大島の大半の家庭で2日間以内に送電が再開された。九州南部は全国有数の台風被害多発地域。昨年は過去最多の9個(平年3・8個)の台風が奄美諸島に接近した。その度に復旧にあたる技師らの存在は九州電力網の根幹を支えている。

 ●脊振中腹に佐賀幹線

 どんなに最新鋭の発電所を作っても家庭まで届けられなければ意味はない。日本の電力会社は「管内すべてへの送電」というユニバーサルサービスを義務づけられるが、山や離島を多数抱える九電は他の電力会社に比べ収益面で不利な立場に立たされてきた。

 その九電の近代送電線の先駆けが、50万ボルト送電路線第一号として昭和48年に完成した「佐賀幹線」(佐賀県伊万里市~朝倉郡筑前町、約70キロ)だった。

 2年後には九州初の原発、玄海原発1号機(佐賀県玄海町)の稼働が予定されており、ここで作られる電力を大電力消費地帯である福岡市に送るには、従来の22万ボルトでは容量不足となる。佐賀幹線の完成は喫緊の課題だった。

 その大部分は標高300~800メートルの脊振山系の中腹を突っ切るが、鉄塔は従来の40メートルから70メートルにスケールアップしており、従来の工法は通用しない。何度も設計計画を練り直しながら建設が進められた。

「当時は経済成長のまっただ中。この送電線は社会発展に必要だという責任があった。前例のない設計だったので大変でしたが、『絶対に工期に間に合わせるんだ』とみんなで毎晩遅くまで作業を続けました」

 九電佐賀幹線建設所で設計・工事管理に携わった平塚強一氏(69)は当時をこう振り返った。

 ●お礼の缶ジュース

 佐賀幹線完成と同じ昭和48年、離島の電力供給も転換期を迎えた。米軍施政下(昭和21~28年)に奄美大島で設立された「大島電力」を九電が吸収合併したからだ。

 「大島電力史」によると、それ以前は「夜間の電圧は60~70ボルト程度で電灯の明るさはロウソク並み」。電力不足から小学校は電子オルガンを導入できなかった。島民の生活向上に電力の安定は欠かせない。九電は奄美諸島の電力事情を本土並みに引き上げるべく送電網の拡充を進めた。

 52年9月には、奄美諸島・沖永良部島や与論島を中心気圧907・3ヘクトパスカルの大型台風が直撃。死者1人、負傷者139人、住宅全半壊2829戸という甚大な被害をもたらした。復旧作業にあたった九電工鹿児島支店副支店長の瀬口勝久氏はこう振り返る。

 「たくさんの家で屋根が吹き飛び、星空が見えるほどの被害だったが、作業後におばちゃんから『ありがとう』と缶ジュースを手渡されたのが本当にうれしかったね。離島での電力供給は赤字事業なんだけど『自分たちにはその責任があるんだ』と感じました」

 ●自衛隊ヘリで発電車

 常に管内あまねく電力を送り続けるスピリットは今も受け継がれている。平成22年10月の奄美豪雨では、周辺道路がすべて土砂でふさがれ孤立した島南部約200戸の復旧のため、陸上自衛隊のヘリコプターに高圧発電機車(6・6トン)を吊り下げて空輸する「ウルトラC」を繰り出した。

 全国初の試みだったが、実は万一を想定し自衛隊との共同輸送訓練を重ねた賜(たまもの)だった。孤立集落に4日ぶりの明かりが灯ると住民たちからは拍手と歓声が起こった。

 台風15号が過ぎ去った直後の24年8月28日。九電工沖永良部営業所主任の濱崎茂敏氏は、奄美大島で開かれた一人息子の結婚式出席をあきらめ、沖永良部島の復旧作業を続けた。「島ではみんなが真っ暗闇の中、電気がつくのを待っている。結婚式があっても自宅の屋根が飛ばされても現場に出るのが、俺たちの仕事だ」と考えたからだ。

 ただ、作業の合間にほんの少しだけ時間をもらい、現場から式場に電話をかけて出席者に謝辞を述べた。

 「今日はお集まりいただきありがとうございました。待望の娘と孫ができるのでうれしいです…」


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2 コメント

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Unknown (泣き虫ウンモ)
2014-01-06 21:37:30
電力の話ではなく、蛇のはなしで恐縮します^^;
ハブではありませんが、マムシかな?乾燥させたものを茨城の観光地で食べたことがあるかな。
う~ん、まずいかな。
蛇がカエルを飲み込んでる場面にも出くわしましたが、蛇というのは独特の生き物ですね。
あの雰囲気は、説明できませんね。
沖縄の方に、容赦なく○してもらいました。
熟れてるんですかね。抵抗なく○してました。
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Unknown ()
2014-01-09 18:10:33
へー。
マムシを食べたことあるんですか。
で、○の部分は、なんで○なんですか。(笑)
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