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集団的自衛権の行使容認 賛成?反対?

2014-07-03 12:53:49 | 桜 咲久也

先日、子房さんの「宇宙の兄弟達へスピリチュアルブログ」にて、次のアンケートが取られました。(まだ参加できます。)






記事も併せて紹介させていただきます。


幸福な国ブータン 平和な心だけで平和は引き寄せられるか




ブータンは親日国家としても知られ、国王が来日されたときは、綺麗な王妃と、国会演説が話題となりました

このブータンはチベット仏教を国教とする国で、世界一幸福な国家とも言われています



国民が平和を愛する善良な人々のたくさん存在するブータンですが、現在、領土の北部を中国軍によって侵略されています

その広さは約八千平方キロとされ、兵庫県と同等の広さだそうです




そこに住む人々が平和を望んでいたら争いは起こらないのなら、ブータンこそもっとも平和に暮らせる国家であるはずなのに、大きくなってきた中国の軍事力になすすべなく侵略されてしまっています

さらに遡って見ると、チベットも国民は非常に平和的で、信仰心厚く暮らしていました

そのチベットに中国の解放軍が、はじめは甘言をなして入ってきて、国を丸ごと侵略されて奪われてしまいました

そのチベットの現在に続く悲惨さは、調べれば直ぐにわかることです

ですので、平和な思いを持っていたら平和になるかといえばそうはいえません

相手が一方的に侵略や攻撃をしてきたら、いくら暴力はいやだと思っていても巻き込まれてしまいます


以下に「神との対話」という本で語られている言葉を紹介します

愛情ある態度をとるということは、必ずしも相手の好きにさせるということではない。子どもを持った両親はそのことをすぐに悟る。大人が大人に対する場合、国が国に対する場合には、そう早くは悟れない。
だが、横暴な独裁者を栄えさせてはいけないし、横暴はやめさせなくてはいけない。自分への愛がそれを要求する。
これが、あなたの「あるのは愛がすべてだとしたら、どうして人間は戦争を正当化できるのですか?」という問いへの答えである。
ときには、人間は真の人間らしさを表す偉大な宣言として、戦争を嫌悪する人間として戦争へいかなければならない。
ときには、本当の自分であるために、本当の自分を放棄しなければならない。すべてを放棄する覚悟をするまでは、すべてを手に入れることはできない、と教えた<マスター>たちがいる。
したがって、平和な人間としての自分を「まっとうする」ために、戦争に加わらない自分という考え方を放棄しなければならないかもしれない。歴史は人間にそんな決意を求めてきた。
同じことは、私的な関係についても言える。人生には、本当の自分では内面を示すことで、本当の自分を証明することを要求されることが何度かある。
何十年か生きていれば、それがわかってくる。ただし、観念的な若者にとっては、究極の矛盾と感じられるかもしれない。もっと成熟してから振り返れば、神聖な二分法に思われるだろう。
だからといって、人間関係で傷ついたら「仕返しせよ」というのではない(国家間の関係でも同じだ)。ただ、傷つけられても放っておくことが、あなた自身にとっても他者にとっても愛ある行為とは限らない、というのである。
こう考えれば、最高の愛があれば悪に対しても力ずくの対応をしない、という一部の平和主義者の主張は通らなくなるはずだ。

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