一昨年の三島由紀夫の命日の翌日、小坪議員のブログに触発されて、「三島由紀夫の最後の演説」という記事をここに書きました。http://blog.goo.ne.jp/hikarinonakama/e/6272cf2f0048a3ce5964fe93bfa5a41c?st=0#comment-form
その記事に昨日〝平氏”さんから「みんなが忘れられない人三島」と題するコメントを頂きました。
〝平氏”さん、コメント有難うございます!
少し残っていた正月気分がお陰様で吹っ飛びました。
この時代「三島由紀夫」を忘れちゃいけないですね!
そういえば、暮れに運転中の車の中で、「川端康成の他にノーベル賞有力候補として三島由紀夫の名前があがっていた」というニュースをやっていたのを思い出しました。
もしあの時、三島由紀夫がノーベル賞を受賞していたら、市ヶ谷の駐屯地に乗り込んでやじられながら激を飛ばすのではなく、ノーベル賞授賞式で(流暢な英語で?)〝(失われゆく)美しい日本の作家”が何を語るか?世界中が聞き耳をたてる中、「三島」にとっても「世界」にとっても、いまだかつてない最高のステージが与えられたであろうに!
と思うと、川端康成が受賞し三島由紀夫が受賞しなかったことが、残念でなりません。
もしや、「ノーベル賞受賞」を逃したことが、三島由紀夫をアノ事件に駆り立てた直接の原因ではなかったか!?とさえ思います。
三島由紀夫本人もノーベル賞受賞を切望していたと聞きますし、単なる名誉心ではもちろんなく、日本を代表する作家として「世界」に訴えるべきことを持っている彼にとって最大の表現の場であり、日本人にとっても、日本のプライドや大和魂を取り戻す絶好のチャンスに彼なら出来た気がしてなりません。(川端康成の「美しい日本の私」も素晴らしい演説ではありましたが、どこまで「世界」に理解されたか…定かではアリマセン。)
が、しかし、今となっては、「受賞式で三島が講演して」どんな演説をぶつより、高名なノーベル賞有力候補作家の「ハラキリ」は世界に〝一撃”を与えることになりましたし、死後四十五年(彼が生きた年数と同じ)以上経ってやっと「三島」と「アノ事件」の真意が理解される時が来たのかも知れません。
日本人が美しい精神を取戻すことと、三島が起こした〝アノ事件”の意味が理解されることが今後繋がってくれば、三島由紀夫という作家への最大の勲章となるでしょうね。
確かに「三島由紀夫」は、日本人にとって忘れられない(忘れてはいけない!)人となりました。
ただ、彼を越える作家は日本にはもう出ない(ノーベル賞を受賞した大江健三郎然り、もはやノミネートもされなくなった村上春樹然り)と思っていたら、三島由紀夫を〝文字通り”甦らせた(「天才作家三島由紀夫の描く死後の世界」 – 2012/10 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=823 )
トンデモナイ人が日本に出現するに至り、やはり日本は他に利を見ない、トンデモナイ国であることが証明されつつあるのでした。
三島の「事件」が未だ世間一般には理解されていないように、この期に及んでワカラナイ(コトの重大さに気づかない)国民の方が大多数ではありますが、こういう〝大仕事”には時間がかかるのでしょうね。
「やるべきことはやった」三島由紀夫が既に、蘇って、天から我々の動向を静かに見守って居ることを忘れてはイケナイと思います。
ともあれ…
REMEMBER MISHIMA!
ということで、〝平氏”さんが寄せて下さったコメント、紹介させて頂きます。
みんなが忘れられない人三島 (平氏)
- 2018-01-08 04:24:10
- 三島の名誉のために。
彼は憂国の国士として切腹というプライドの塊の死に方をした。
戦後朝鮮人に日本が乗っ取られていくのを見ていられなかった。
元寇の糸を引いたのは、高麗朝鮮人。
追い出したのは平氏の北条氏で、川端は子孫で三島の恩師。
三島が川端を尊敬したのは川端の血筋からくる品。
三島が夜の町を飲み歩いて、巣食った朝鮮人を追い出すのは最終的には武力だと悟った。
ユダヤ系アメリカ人ドナルドキーンが三島の友人であった、だからアメリカなりユダヤが嫌いであったわけではない。
彼が立てたストーリーは、高倉健ににせ体を鍛え、自衛隊に決起を促し自決、高倉が映画化し(実際に試みた)、映画が繰り返し日本を取り戻すことを訴える。。。。
ちなみに高倉の祖先平氏鎌倉北条氏は生き恥をよしとせず切腹している。
三島はここまで符号を繋げて死んでいったことを分かれよ!今の弱腰日本人、
武士の子孫として祖先に申し開きができるのか?