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あじさいは台湾ではあまり見ない花です。
昔、浅草時代は、浅草の三社さんが終わった翌週末に、お富士さんの境内付近で植木市があって、浅草警察近くの浅間神社に行き、鉢植えのあじさいを買った思い出があります。
何年か繰り返して、マダムkazanの実家の庭に移植しました、何年目かのとき、根がはり、さらに翌年咲きました。
咲いたのを見に行った時、丁度、梅雨時で咲いたあじさいは、殊の外、絵になっていたので、義母、マダムkazanにドヤ顔を、したのも懐かしい思い出です。
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皆逝ってしまい、今は、毎年の墓参も叶わず、悶々としています。
今週だったか、来週だったか? 台湾のお盆になるはずです。
自分は浄土真宗(東)ですので、台中市内に西本果寺系のお寺がありますので、足を伸ばして、正信偈の赤本(お経本)を持参して行こうと思っております。
マダムの墓は、文京区本郷の浄土真宗のお寺の、モダンで立体、オートメーションで参拝者が詣でるフロアに現れる仕組みに遺骨をおいてますが、このオートメーションのカードキーが、偶然にも「あじさい」。
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昔の昔に、石原裕次郎と芦川いづみが出演した、日活では異例のカラー仕様の文芸路線の映画「あじさいの歌」というのがあって、田舎のkazan少年は封切りで見た記憶があります。
田舎の映画少年kazanには、不思議と題名が記憶に残っている映画でした。
今は便利なツールがありますのでググってみたら、ポスターがあって、見たら、「総天然色」の文字が目に入りましたデス。
演じる役者が、皆、若々しい顔を見せています。
脇を固める、轟夕起子、東野英治郎、大坂志郎が、今のkazanより若いから、自分の齢を考えてしまいます。
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制作は1960年とのこと、60年アンポの都市に配給されたということで、そうなると、サンモの関口MCの嫁御である西田佐知子(当時歌手)の歌った"アカシアの雨がやむとき" がリリースされる前の映画だと容易に想像ができます、理由は簡単(^^)
60年アンポ運動で敗北した全学連とそのシンパ、支持学生側は、国会乱入を果たした時、警備する警察と激突し、東大の女子大生が亡くなったのは有名な話デス。 不肖kazanは、当時、ラジオのニュースで耳に止まった「樺美智子」さんのな前を記憶してるひとりです。
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そして、「アカシヤの雨にうたれて~」の歌詞にあるいくつかのフレーズが、学生のそれぞれの思い入れと重なりヒットしたということになっている。
”アカシヤの雨にうたれて”ではじまる、詞文に意味と印象事態がマイナーで始まる歌詞は、その後に続く ”このまま死んでしまいたい” で、安保条約を停止を成就できなかった学生側の虚無感、虚脱感が運動中に亡くなった故人への思い入れと惜別を重ねて、当時の日本社会の風潮に見事というか、奇妙にミートしたという論評を、学生時代に少々あちら系の週刊誌か雑誌で読んだことがありますデス。
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そして、凶弾で非業の死をとげ、今世界中でその死が悔やまれている安倍晋三総理の幼少時代、祖父で、全活動家、運動家の怨嗟を一心に集めた岸信介が、私宅で休息する膝下で、「アンポハンタイ」を口にだして、遊んでいたというエピソードも、この映画「あじさいの歌」がリリースされた前後の頃と想像できますデス。