ロシア軍のウクライナ戦争はロ露軍のウクライナ侵入後ひと月以上を経過して、被害を別にすれば、ウクライナ軍の防戦が、国際的に称賛されている現実を知ることができます。
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露軍侵入以前、中国は、露軍の侵略の意思を知っていたというより、情報を共有していたと西分側勢力は認識しており、用意周到に準備された侵入作戦は、2日間で、ウクライナ西部地域を制圧して、傀儡政権を樹立してその政府が独立宣言をする。
これは冬季五輪が終了後の2月20日から、パラリンピクが開始前日の3月3日までには、キエフを陥落させ、ゼレンスキー政権を崩壊させることまで、想定したと言われています。
この想定は、ソチ五輪終了後2014年2月23日、セヴァストーポリの親露派住民が住民集会での「人民市長」を選出、キエフからの如何なる指示にも従わないことを決議から、2014年3月18日・プーチン大統領によるクリミア独立承認署名までの24日間で完了させた成功体験があって、同じシナリオでの攻略であれば、24日間以内でのキエフ攻略は可能と踏んだとする見方が濃厚です。
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まさに「二匹目のどじょう」発想だと一笑に付すには、日本人には少々気が重い気がしないでもありません。
理由は、1937年7月7日夜 の盧溝橋事件を機に勃発した日中戦争、それに続く4年後の1941年12月7日 真珠湾奇襲攻撃までの軍事作戦の背景に、日清戦争、さらに、それ以上に日露戦争の勝利という成功体験が心理的な背景の大きな要素になっていたかも知れないと長年思っておりました。
とかく、人間は成功体験で学習したことことを行動に反映させると言われております。
刑事事件等で、犯罪の手口、侵入の手口、盗品の処理等の多くの類似点を操作する側は見出して、犯人を追い込んでいくという展開が成立する。
これは、まさに、ドラマや、シナリオ、小説等の展開で頻繁に踏襲される手法のはずです。
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よく歴史に学ぶという言葉もあって、その結果、その歴史を読み解いた結果得られた成功体験が、より説得力ある展開になるケースは少なくないですが、人間関係、歴史は、生き物ですから、一事が万事、同じ様に展開するとは限りません。
ただ見えるのは、数量化された数字データーでは数量比較で、優劣だけは判断できる、そしてできる傾向にあると言えるというのが現代の定説です。
侵略を行えば、国際的制裁・経済制裁が課せられることくらい、KGB官僚経験のあるプーチン大統領が知らぬはずがありません。
しかしかって世界が経験したことのないような、先進諸国の全てが足並みを揃え、プーチンに、それなりの対応を意思表示する国が、中国、北朝鮮の二国、同一の兵器武装システムを共有しているインドが、限りなく中立に近いスタンスで、残るは、反米色の強い、シリア、イランに限定されたという状況が読みきれなかった現実を悔やんでいると見ます。
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馬券なら、オケラ街道をトボトボ歩いて帰途につき、一週間後には、リベンジもあるいは可能かもしれませんが、戦争の意思決定の失敗は、亡国につながるということを、我々は行きている間に見て、経験できる好機を貴重なものとし、歴史の証人になるかもしれない興奮を認識するべきでしょう。
■■■■■アイキャッチ・トップ画像は、台湾高雄市西子湾を見下ろす急峻の丘の上にある旧英国領事公邸(現在は観光施設)ここも、日本人観光客が少ないところ。。