▼▼▼
6月19日の深夜、思いがけない発熱で、20日の未明に、冷凍庫に置いていた、アイスノンを取り出して使用し、その日の夕方には安定してので、翌日近所の開業医院を受診するも、「コロナ感染」を指摘され、その場からタクシーで、大学病院へ。。
この下りは前回のブログで紹介した通り。
コロナ感染後は、正確に7日後には陰性になり、生活が戻ったと思ったものの、体調のよろしくない日が続き、なんとなく通常の生活を送ることが億劫になり、グダグダと、怠惰な生活を楽しんでいました。
そうなんです。
実はKazan、とても、非勤勉な怠け者でして、一旦リズムが狂うと、起動修正がなかなかできないと云う、悪癖があります。
月が変わっても生活のリズムは変わらず、そして、衝撃の7月8日を迎えることになりましたが、本日は、この事のを取り上げるつもりは毛頭ありません。
男泣きで、泣き崩れておりました。
▼▼▼
言いようの無い一週間が過ぎましたが、この間に、再び通院することになりました。
コロナ感染から陰性までの間、左の後ろ脇に痛みを感じて、憂鬱になっておりました。
7月7日に、昨年末のガン手術に関連して、術後・月一の定期外来受診があり、外科の方は経過は花丸状態ながら、左の腰の痛みに、瞬間的に「腎臓系」を予測し、同じ大学病院の脳内科の主治医を受診し、先日の採血と検尿結果であるGFR値と、Creatin値を聞いたら、年齢相応の状態とのこと。
帰りのタクシー内で、スマホで数値をチェックしたら、どちらの数値も、五段階の真ん中より悪い方に振られております。 こうなると、腰の痛みは、腎臓だろうと素人判断して、これで、大学病院で、最終的に腎臓障害の結論で、毎週透析でタクシーで通院するの面倒と判断して、徒歩五分の、前回の発熱で最初の受診した開業医の腎臓内科での受診を決断しました。
受診したら、医師が痛みを訴えている左腰の反対側を軽く叩くと、本来の痛みの部分に響きます。 さすがは名医、X線で骨という結論になり、同じ医院内のリハビリ科で、温湿布、超音波、腰部の牽引、整体のようなマッサージをすることになり、一日おきのリハビリ科受診で今日で三回目を終了ということになり、ひと安心して、ブログの再開を始めた次第です。