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おそらく多くの方はご承知かと思いますが、米国では、古典的とも言える名画「風と共に去りぬ」の劇場、一般公開はできないのが現実です。
日本では宝塚歌劇団が演じたこともありますが、あの上演が仮に大成功だったとして、今、かりに米国で上演しようとしたら、遅くとも初回で大バッシングを受け即日上演中止になるのは必須です。
理由と根拠は黒人差別と当時の奴隷制を許容するということで、ブラックラライズマターが押しかけ、あたりは騒然となり、下手すれば、死人もでて、あたりでは銃撃戦が来ても不思議ではない状況に事態がエスカレートするはずです。
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その規模と、スケールは違うと思いますが、昨日視聴したTV版「砂の器」では、原作にあるお遍路・巡礼に親子の背景が、映画版では原作にあるとおり「ハンセン氏病」がベースにあるテーマになっておりました。
それが4年かそこら経過したあと、フジテレビ+俳優座版では、ハンセン氏病が「精神病」の置き換えられてました。
当時はそれでも大変な事態でしたが、日本もそのうちアホな米国並みになるリスクは
排除できません。
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松本清張は1992年に亡くなっておりますから、1977年のフジテレビ+俳優座版で、原作の極めて重要な深層テーマである「ハンセン氏病」であることが起点「キーワード」になる部分の置き換えを、社会派とも言われた当時スーパークラスの原作者・松本清張が、よく承諾したものだと改めて、このことを思った次第です。
1977年なら、日本映画界を見るなら、日活は東京市場上場廃止になりそうな状況になり日活ロマンポルノが主力時代東映が、任侠・やくざ・暴力路線で辛うじて、オールナイト興行で稼いでいたころです。
つまりテレビが強力なパワーをたぎらせ、猛威を振るえた時期だったのだろうと今なら分析できます。
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となれば、1995年~2000年がインターネット黎明期、 2005年~2008年が日本のYoutube黎明期、2008年以降がYoutube環境での保守系言論・討論・対談チャンネル、コンテンツの黎明期と定義できそうです。
とすれば、これかテレビ業界の斜陽は昔日の日本の映画産業の比ではないだろう想像できる訳で、痛快・欣快この上ない心境を心底吐露したい気持ちでいっぱいデス。
持論の「N共朝毎」がコケのは、いつでしょう? なんとなく、共同が意外と長命かもしれないような気します。
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■■■トップのアイキャッチ画像が社会派推理作家の松本清張、不肖kazanOGG、松本清張氏との遭遇は、小説ではなく小説を映画化したもので、松竹作品で中学か高校時代だと記憶します。 遠い昔の記憶ですが、鶴田浩二が当時アウトドア等よく見た帽子に天がドーム状になった布製のキャップを被り半袖のシャツ、ひょとした開襟シャツ姿であったような記憶があります。
シャーロック・ホームズ、明智小五郎、多羅尾坂内が登場する探偵小説とは別個の、推理小説など知らない当時のOGG少年が、世の中に「推理小説」なるものがあるの知ったのが、この映画と松本清張でした。
■■■以下追加加筆2023年12月11日台湾22時