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時代は1990年代前半・阪神淡路大震災の頃だろうと記憶します。
実は記憶というより、自身の記憶と、過去のメモをエクセルに西暦年を並べ、時系列票を作成してのことで、実はさほどに自分の記憶力が鮮明な訳では無く、ありとあらゆる断片や書類を騒動動員して再現した手作り年表をベースに、ブログ文を打ち込んでいます。
お恥ずかしい限りですが、亡くなった両親の位牌に書かれた年と月日や逝ったマダムkazanの位牌情報も同様で、年号から西暦を引き出して、時系列表に並べ、記憶の精度を高める作業をしてのことです。。(大汗)
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当時、東京・銀座松屋の向かいにマクドナルドがあって、そこはソコソコ広いスペースの店舗であり、何かにつけて、一息入れるのには格好の場所でした。
奥まったところにUの字型に折れ曲がったカウンターがあって、昼か午後のいっ時は、付近のオフィスに勤務するビジネスマンやOLも、kazan同様の目的で利用してるという環境で、その日はkazanは銀座通りを正面に見る位置で、二人の20代後半のOLさんの会話が耳に入りました。
kazanの右手のUの時のカーブのところに座っての二人のOLさんの会話ですから、結構内容は鮮明に聞こえて来ます。
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どうやら同じ職場の男性社員がプライベートな投資・資産運用の株取引で、かなりの損失を出したような内容でした。
「〇〇さん、かなりヤラれたらしいわよ。。」
「結構大きな額で、1億近いようなことを。。。」
「1億近い」のキーワードが聞こえた時、kazanのスイッチが入り、今度は、失礼ながら、積極的に聴くような展開です。
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「今は、1億、2億と言っても、なんか、身近な金額よね。。」
「不動産の価格が上昇してるから、ナンチャラ」と会話が進むのですが、
うら若きOLさんの口から「身近な金額よね。。」が出た時は、正面・中央通り側を向いていたkazanの目線は瞬間的にチラリと右手の二人を目視したことを記憶します。
失われた30年で、こんな景気のいい話はなかった。
これが唯一リアルな体験でしたデス。
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そういえば、都心の比較的規模の大きい喫茶店やホテルのロビーでは、不動産ブローカーが連絡待ちしていた時代で、いたるところで、アンテナを引っ張り出して通話をする光景があちらこちらで散見できたようような環境・シーンでしたデス。
つまり日本バブルの熱い頃は、手取り30万前後のOLが、喫茶店で「あら、1億円。。」をサラリと口に出せる時代で、NHKの8時だったか21時のニュースワイドの名物キャスターはニコニコ顔で「経済大国ニッポンの◯◯は、米国の△△を傘下にしてナンチャラ」と話す時代でした。
前投稿に挿入したディスコの光景が、大手をを振って歓迎されていた時代です。 今は、大阪富岡高校ダンス部が演じる「バブリーダンス」の「ダンシングヒーロー」が、youtubeで、その片鱗を再現してますが。。
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踊り、バブって、コケた日本バブルの狂騒は、良しにつけ、悪しきつけ、記憶の彼方に追いやっていいことではないかもしれません。
先日30年ぶりの急激な円安感を感じて、戸惑っております。。