人は、ふるさとびと

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昌美先生の ご修行について

2012-04-22 10:32:50 | スピリチュアル
 (問)昌美先生の今の御神行ですが、その
大変さは神様以外に判っている人はいない
と思いますが、お話していただけますか。


 (答)説明しろというんですか。出来るところ
までしましょう。全部は言えませんがね。結局
何が大事かと言えば、要するに人間というものは皆
枠をもって生きている訳なんです。枠がいいとか
悪いとかでなく、枠を持たなければ
生きられないんですね。
 例えば、自分の家庭というものは大事だし、 
家庭をはみだしたくないし、自分の職場という
ものは大事だし、これをやっぱりはみ出したくない
と皆思って、それを大事にして生きているんです。
 で、それがいつの間にか枠になって、他の世界は
知らないという寂しさになって行く訳だけども。

 昌美が今やっている事というのは、そういう
小さな枠でもですけれど、いわゆる地球人類が
等しく持っている、全部の色んな枠を取っ払ってね、
そして生命が朗らかになって自由自在身になった
時には、本当に霊そのもの人そのものになって、
全く肉体の想いというもの肉体そのものを越えて、
色んな世界に常に出入り出来るという、
そこのところを今修行している訳なんですね。
 だから、あの人は今ほとんど食物を食べてない
筈なんですよ。人間の食物はあまり入らない筈
なんですよ。必要最小限しか入らない筈
なんですよね。それでもって6時間祈るというのは
何を祈るかというのは、もちろん世界人類が
平和でありますようにと祈りますけれども、人間
というのは空間的に言えば三次元に生きている
訳ですね。三次元と言えば何かというと、
やさしく言えば、この地球に人類が住んで
いるけれども、他の所にはこんな空間は全然無い、
そんな世界は無いという風に枠で囲ってしまって
いるのが三次元なんですよね。目に見えるもの
触れるものね。それだけが自分の世界だと思って
生きている、それが三次元なんですね。ところが、
4次元も5次元も6次元も10何次元も
ありましてね。空飛ぶ円盤なんていうのは、
そういう優れた宇宙人達の心の波で、本当に
澄み極まった波で動いている。向こうの科学は
そういう心の波で作られる。そういうものなんです。
 本当に純粋な純白なものなんですよ。

 で、そこまで我々が本当に平和に生命を完う
してね、この地上の生命を完うして、更に死ぬ事を
恐れないで、次の世界へ又自分の生命を続かせて
行こうと思えば、自分の中に澄み極まる想いがあり、
それが全部動かして行くんだというところまで
きちっと信じきっていかないと、そういう風に
降ろしていかないと平和にならないんですよね。
 それには自分が自由自在身になる事が必要
なんですけれども、じゃあ誰でもなれるかと
いったら、今3次元の枠を全部踏み越えてなろう
といえば、もうこれは命がけなんですよ。
 世界平和の祈りをもってしても尚かつ命がけ
なんです。そこのところを神様の方で選んでね、
昌美が自由自在身になる為の命がけの役を本当に
やっている訳ですよね。ですから、瞬間瞬間
これが臨終かしらという想い、恐怖の想いも
あるだろうし、頑張りたい帰りたいという想いも
あるだろうし、色々な想いがあると思いますよ。
 その人間の想いを全部味わって越えて、
そこから、宇宙に生きる人類の偉大な心と身体
というものを獲得していくという所まで行って、
それで帰って来るんですよ。

 それを今度はあの人が十字になって
降ろされるようになったら、白光の皆に降ろして、
白光の皆から又外の人達に降ろしてという計算が
出来ていってる訳ですよね。まずお手本がないと
出来ませんからね。だから、あの人の今の孤独とか
痛みとか苦しみとかいうものは大変なものでね。
 村田さんは、とに角素晴らしい素晴らしい
と言っているけれど、素晴らしいだけではなく、
本当に痛い苦しい辛い大変の連続だと思いますね。
 あれは他の人がやったら死んじゃうっていう
ものです。 
             昭和62年2月24日