108 真実のすがた
祈りというものを、何か一つのかたちに
入らないといけないものと考えたり、勘ちがいを
している人々が、多いようであります。
祈りというものは、かたちではありません。
では、なぜかたちがあるかといえば、神様の
みこころのなかに入りやすいように、ある一つの
きまったかたちを、みんなでとるということだけ
でありまして、常住坐臥、どんな時にも
からだ中で祈っているというのが本当のすがた
なのであります。
歩いている時も、すわっている時も、食べて
いる時も、のんでいる時も祈っているので
あります。
祈って祈って祈り抜いているすがた、愛と
光にかがやいているすがた、そうして、光を
ふりまいているすがた、これが、人間の真実の
すがたなのであります。
迷いもまどいもない神界にある人間は、この
ことを知っているのであります。又、私どもの
霊体は、守護霊守護神は、このことを
よく知って、真実の祈りへと私どもをみちびいて
いるのであります。
私どもは、このことを心にとめて、真実の
祈りが、何物にもとらわれぬものであることを
識って、神への道しるべである世界平和の祈りを
ささげてまいりましょう。
祈りというものを、何か一つのかたちに
入らないといけないものと考えたり、勘ちがいを
している人々が、多いようであります。
祈りというものは、かたちではありません。
では、なぜかたちがあるかといえば、神様の
みこころのなかに入りやすいように、ある一つの
きまったかたちを、みんなでとるということだけ
でありまして、常住坐臥、どんな時にも
からだ中で祈っているというのが本当のすがた
なのであります。
歩いている時も、すわっている時も、食べて
いる時も、のんでいる時も祈っているので
あります。
祈って祈って祈り抜いているすがた、愛と
光にかがやいているすがた、そうして、光を
ふりまいているすがた、これが、人間の真実の
すがたなのであります。
迷いもまどいもない神界にある人間は、この
ことを知っているのであります。又、私どもの
霊体は、守護霊守護神は、このことを
よく知って、真実の祈りへと私どもをみちびいて
いるのであります。
私どもは、このことを心にとめて、真実の
祈りが、何物にもとらわれぬものであることを
識って、神への道しるべである世界平和の祈りを
ささげてまいりましょう。