序文
五井 昌久
神は等しき人間のふるさとである。それは、
単に心のふるさとというばかりではない。
我々本心本体を照らすふるさとなのである。
人間というものは、光一元であり、肉体は
光を受け、つなぎ、ふりまく器であるのである。
そして、この光は、宇宙神のみふところ
深くから放射される愛にほかならない。
神は愛なりという言葉はこの真理を
あらわした言葉であって、千古を照らす
宇宙の万法なのである。
だから、神をおもい、神に回帰することは、
永遠の生命につながることであるといっても
よい。
永遠の生命は、神のみふところに流れ込む
人間の本来の相(すがた)であり、私どもは、
神をふるさととして、この地上に光をむすぶ
役割を、一人一人与えられているのである。
昭和61年9月29日
五井 昌久
神は等しき人間のふるさとである。それは、
単に心のふるさとというばかりではない。
我々本心本体を照らすふるさとなのである。
人間というものは、光一元であり、肉体は
光を受け、つなぎ、ふりまく器であるのである。
そして、この光は、宇宙神のみふところ
深くから放射される愛にほかならない。
神は愛なりという言葉はこの真理を
あらわした言葉であって、千古を照らす
宇宙の万法なのである。
だから、神をおもい、神に回帰することは、
永遠の生命につながることであるといっても
よい。
永遠の生命は、神のみふところに流れ込む
人間の本来の相(すがた)であり、私どもは、
神をふるさととして、この地上に光をむすぶ
役割を、一人一人与えられているのである。
昭和61年9月29日