人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

五井先生は観音さまの働きを・・・

2011-08-05 11:24:01 | スピリチュアル
人を
大元の光にかえすこと
これが
五井先生の
仕事なのです

本来
人間というものは
こだわらず
朗らかな
いのちを
神から分けられて
この地上に降りてきた
存在なのだ
ということを
消えてゆく姿と
世界平和の祈りによって
一人一人に悟らせてゆく
それも
弱い人は弱いなりに
我のつよい人はつよい人なりに
現在の生活のなかから
自然と
かえてゆく
いうならば
観音さまの
働きを
私は
しているのであります

相手の心のなかに
入って
ともに泣き
ともに笑いながら
その人の祈りを高め
その人の本心をひらいてゆく
さりげない
けれども
何に対しても明るい心をむけられるように
するために
私は今も
働いているのであります

           平成2年3月8日

世界平和の祈りとともに

2011-08-04 13:37:07 | スピリチュアル
世界平和の祈りとともに
私たちが
本心を
よんでゆくとき
私たちのいのちは
光そのものに
なっているのであります
この世における
さまざまな
思いわずらいも
何もかも
すべてを
祈りのなかに
投げ入れて
おまかせに
なってゆきますときに
私どもは
すでに光りかがやいて
いるのであります
世界人類が平和でありますように
ととなえるとき
私どもは
この地上ばかりでなく
三界において
祈りを
ささげているのであります

自分の本来のすがたに気づくために・・・

2011-08-03 09:42:46 | スピリチュアル
私は
ずっと
神の愛と
人間の
本当のすがたについて
語ってきました
それは
人間を
光あるいのちのながれへと
かえし
とけ込ませる
ためであります

人間は
神からわかれてきた
生命(いのち)であり
霊なのです
ということは
この肉体のなかに
そのまま神が
宿っているということに
なるのであります

もともと
神が
神の光が
この肉体を
つくったのであります
そう致しますと
この世に
悪いものは
あらわれてくる筈がない
というのが
本当のところなのです
だのに
この世に
争いがあり
病いがあるのは
もともと
霊であり
神の光であった
本来のすがたを
私どもが忘れ果てて
この肉体にまつわる想念を
自分だと思い
この肉体を
自分自身だと
思い込んでしまった
ところから
おこったことなのです

自分のなかに
神さまが
いるのに
自分のなかに
神さまが
いるなどとは
思えなくなってしまった
そして
自分というものを
人間というものを
ちいさくちいさく
考えてしまった
とこういうわけなんです

この肉体が自分だと
おもえば
当然
肉体を守ろうという
気持ちが出てきます
いのちは
大事にしなければなりませんけれども
いのちというものは
本来
いきとおしのものであって
死は
この地上での区切りにすぎない
わけであります

ところが
この肉体がほろびてしまえば
自分自身はなくなるんだ
というおもいが
長い間の
習慣として
ずっと
支配しておりますから
何が何でも
死はこわいもの
避けねばならぬものとして
私どものあいだに
考えられてきたのであります

そうじゃなくて
我々のいのちは
永遠のものなんだ
私たちは
神の光のわかれとして
ここにいるんだ
ということが
わかってまいりますと
人間というものは
本当に安心立命するので
あります
それを人は
何によってわかり
悟ることができるか
といえば
それは
祈りだ
と申し上げねばなりません

祈りというものは
なかんずく
世界平和の祈りというものは
我々の
いのちをひらいてゆくのであります
本心をひらいてゆくのであります
なぜそういうことができるのか
わかるか
といえば
世界平和の祈りの一言一言のなかに
神の大愛がながれているからで
あります

ですから
私どもが
世界平和の祈りをとなえて
まいりますと
自然と
その神の愛にひたって
そして
自分の本来のすがた
というものに
いつしらず
気づかせられてゆくのであります

ちょうど
母親に抱かれた
赤ん坊のように
ああ私のかえるところは
永遠の神のみこころなんだ
ということがわかってくるようになる
これは理屈じゃないんです
こころで
そう感じるんです
それは
世界平和の祈りのなかに
幾多の霊人
神霊たちが
守護霊守護神とともに
働いて働いて
そうして
私どもの
いのちが
本心が
ひらかれてゆくのであります

そのとき
私どもは
自分たちが
限定された肉体のなかに
生きるいのちではなく
無限の神の愛のなかに
生きるいのちであることを
わからせていただくのであります

      平成2年3月7日、8日 記

役に立つ人間でありたい

2011-08-02 11:29:20 | スピリチュアル
役に立つ人間になりたい
役に立つ人間でありたい
というのが
自然な
私たちの
心のながれなのです

誰のためにか
世界人類のために
人類一人びとりの
天命が完うされるために
役に立つ人間になりたいのです
役に立つ人間でありたいのです
そのために
私たちは
消えてゆく姿で
世界平和の祈りを
祈るのです
りきむことも
気負うこともいらない
ただ
世界人類が平和でありますように

唱えるとき
私達は
みんな
光となって
人類一人びとりの
生命(いのち)のなかに
ながれ込んでいるのです
それぞれの
本心の光を
かがやかせてゆくのです

ねていても
歩いていても
食べていても
話していても
いつも
私達は
平和の祈りのなかにあって
この世界を光にするための働きを
しているのであります
それは
私達が
神の大愛からわかれてきた
分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)だからです
私たちのなかに
本心があり
神の心が
神の智慧の光が宿っているのであります
世界平和の祈りをとおして
私達は私達の本心へとつながり
人類すべての本心のなかに
とけ込むのであります
そして
私たちが
たしかに
神に愛されていることを
わからせていただくのであります

        平成2年3月6日 夜


いっぽんの
祈りの道
世界平和の祈りの道が
私たちの本心から
ずっと
神へとつづいているのです

そして
神の愛が
私たちの
祈りをたすけて
いるのです
        平成2年3月7日