人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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祈りのなかに やさしさをとかしてゆきましょう

2019-10-26 10:04:17 | スピリチュアル
愛というものは
りくつではありません
ただ
どこまで
やさしくできるか
なれるか
やさしくしたくなるか
それだけです
むずかしいりくつは
何にもいらないのです

私なんぞ
みんな預けてしまって
いのちもみんな
神様に返してしまって
スッキリして
そうすると
本当に純になったね
全く考えなくなりました

それで
ただもうみんなが
人類の
いのちが
いとしくなってしまったと
こういうわけなんです
先生、人類のいのちなんて
とみんないうかも知れない
けれどこの中に誰か人類じゃ
ない人がいますか?
いたら返事して下さい
みんな人類の一人でしょう

で、とにかく
気持ちをやさしく
心をやさしくしてゆくことから
愛というものは始まってくんです

理論だったら学者に任せとけばいいんです
でも
私の目ざしてることも
人間の目ざしてることも
そんなもんじゃありませんからね

根本をやわらかくして
霊のいのちに目ざめさせる
こういうことなんです
宗教者というものはみんな
このやさしさを身につけていないとね

いうだけいって責めてたんじゃあ
何にもなりゃあしない
やさしさというのはね
それほど大事
そして
やさしくなるというのは
それほどむずかしいこと

でも
私どもは最良のお手本を
持っています
それが
神様の人間に対する愛です
神様というお手本があるんですもの
がんばってやさしくなってゆきましょう
世界平和の祈りのなかにやさしさを
とかしてゆきましょう

人間は 神の愛し児

2019-10-25 08:14:44 | スピリチュアル
愛のおもいで
人をつつむ時
愛の言葉を
人に語る時
その人は
光になっています
愛は神そのものの
すがただからです

どうしようとか
こうしてやろうとか
一切
そういう
おもわくを
はなれているからです

無になってんですよ
無になろうとおもわないで
無になっている
空になろうとおもわないで
空になっている
そういう状態です

だから光るわけ
何にもおもわないで
ただ空っぽになって
相手が愛しくて愛しくて
たまらないのね
みなさんだって
そういう時があるでしょう
そういう時
みんな光ってるんですよ
光になってるの
愛になっているの
愛というのは
やさしさだからね
相手を思いやる心ですよ

たとえば誰か
気になる人の天命を
祈りまさあね
その時みなさん
どうですか
自分のことはおもってないでしょう?
これが
大事なんですよ
ね、わかります?
自分のことを
忘れてね
しかも義務的に
相手のことを
おもうんじゃなくてね
もう芯からおもうということね

これが
こういうのが
ずーっと一人びとりに
行き渡っているのが
神様の愛なんです
それはもう
愛で愛で愛で
つまっている
いっぱいになっている
途方もなく
深い愛ですよ

人間は
ここから
分かれてきた
生命ですからね
出来がわるい筈がない
みんな光ってるんですよ

人を愛しくおもう時に
その光はつよまるけれど
今に
元の元が
ずっと光ってるということが
わかればね
もう
いつも
まぶしいくらいに
光りますよ
今だって
光ってるんだよ

人間が
神の愛し児だっていうことを
心にね
本心の自分に
深く深く
とどかせるために
世界平和の祈りが
生まれたんです
それで
本心の自分と
いつかは
みんな
会ってゆくようになるんですよ
五井先生は

そのお手伝いをしてるんです
           昭和62年2月7日

本当は 迷いも 悲しみも おそれもない

2019-10-24 08:24:38 | スピリチュアル
自分の
本当の
姿を
掴んでゆきましょう
光そのものの
何も
迷いも
さわりも
ない
姿
それが
人間の
本当の
姿なのです

自分は
本当は
一切まよっていない
かなしんでいない
おそれていない
ただ
光りかがやいている
そういう姿なのです
その姿を
しっかりとらえて
迷いも
なげきも
みんな
世界平和の祈りのなかに
入れて
すすんでゆきましょう
       昭和62年2月6日 夜

愛が 光ってゆく

2019-10-23 07:10:13 | スピリチュアル

愛が
神様の愛が
無尽蔵に
宇宙にみちていて
その愛が
私ども
一人一人の
なかに
ダーッと
ながれこんで
いるのです

光のシャワーを
あびつづけている
愛という
やさしさという
祈りという
いのちの水を
のみつづけている
これが
私たちの
本来です

私たちの
本来は
何かというと
霊のいのち
なのです
さわりというものの
一切ない
明るい
いのちなのです

神様は
明るい方です
愛にみちた方
ところが
肉をまとって
地球で生活している内に
自由な
愛そのものの霊のいのち
よりも
肉体の方を
主人だと
おもっちゃった
不自由な入れ物の方を
自分だと勘違いしちゃったんです

それじゃ
追っ払われた
霊のいのちは

どこにどうしているかと
いうと
みなさんの
肉体の奥に
ちゃあんと
生きてるんです
みなさんの
肉のいのちを
やしなっている
こころを
魂を
やしなって
いるんです

このいのちは
人間から
決して
はなれた
ことが
ない
なぜなら
神様の
いのちだから
神様が
人間を
見捨てるなんてことは
一ぺんも
ないんだから
ずっとずっと
未来永劫
人間は
神様の
愛に
生かされて
ゆくのです
そして
この愛が

肉の身の
あなたを
よんでいるのです

そのまま
あるがままの
いのちを
すなおに
いきるとき
あなたの光が
かがやくのです
愛が
ひかって
ゆくのです
      昭和62年2月6日 夜

神の器に 愛と祈りを盛る

2019-10-22 09:56:55 | スピリチュアル
私たちは
神の器
器には
何を盛れば
いいのか
ときかれたら
愛と祈り
といおう

私たちのいのちは
愛と祈りによって
生かされているのだから
この肉の身をつらぬいて
神の愛の光が
みちているのだから

愛と祈りを
私たちのなかに
盛ってゆこう
いくら
盛っても
あふれることがない
愛と祈りを
       昭和62年2月6日 夜