人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

本心はいつも かがやいている

2020-01-21 10:45:32 | スピリチュアル
本心は
いつも
かがやいて
いる

そのかがやきは
あるときは
母のぬくもりを伝え
あるときは
父の慈愛をおもい
おこさせる

烈日のように
はげしい光もあれば
春陽のおだやかな
日だまりもある

本心は
さまざまな
すがたのなかに
神の愛を
しらしめるのだ
     平成2年2月13日

神の愛が 私をまもり抱いて下さっている

2020-01-19 09:56:57 | スピリチュアル
神のもとに
かえってゆく
いのち
世界平和の祈りは
私たちが
光の住者であることを
教える

はじめなく
おわりなき
ところから
きて
大元の愛へと
かえる
吾等

神よ
私たちの
愛と
まごころと
感謝とを
お受け取り下さい

世界平和の祈りを
祈るとき
神の愛が
たしかに
私を
まもり
抱いて下さっていることが
わかる

世界平和の祈りよ
神の祈り言よ
地上に神のこころを降ろし給え
   平成2年2月12日

地球人類も 宇宙人類の一員として

2020-01-18 11:37:29 | スピリチュアル
世界人類が平和でありますように
これは
神のみこころなのです
世界が平和になるのを
想わない人はなく
願わない人はない
それは
この想いが
願いが
神から流れているものだからで
あります

世界人類が平和になるということは
神の愛と
光を分けられてきた
私どもが一つになって
地球のみならず
この宇宙の
調和にむけて
参加をしていく
ということであります

この遠大な
しかし愛にみちた
神様の計画を
すみやかに達成していくために
世界平和の祈りが
宇宙の星々に鳴りひびいて
いるのであります

世界平和の祈りに込められた
ひびきにのって
人々は
自分の神性と対面するべく
統一をくり返し
また
宇宙神のみこころに
ひとつに溶け込むために
統一を
くり返しているのであります

これらの神からのひびきと
統一をくり返す人々の心のひびき
それに
それらをさらに
深め高めてゆく
世界平和の祈りの光明と
ひびきとによって
宇宙は
愛と
平和と
智慧という
神の
みこころによる調和が
なされていくので
あります

私ども地球人類もまた
宇宙人類の一員として
このひびきのなかで
生きるときがきた
ということなのであります
        平成2年2月13日 記

今 不要なものは与えられない

2020-01-17 09:43:44 | スピリチュアル
祈りは
きかれる
といいます
これは
本当なんです

ところが
ちっとも祈りが
きかれない
よくなっていかない
五井先生
どうなってるんですか
五井先生助けて
下さい
という声が
毎日のように
きかれるんですよね

そこで今日は
祈りが
きかれるということは
どういうことかということについて
少しお話してみたいと思います

この世もあの世も
つらぬいて
およそ人間の住む世界というものは
その人の想念どおりの
世界になっていく
ということは
これは
ひとつの厳然たる
法則なんです

たとえば
何がなんでもお金が欲しい
人の道に外れたって
何したって
とにかく
一億二億というお金を
かき集めたい
お金に対する執着ですよね
念です
そうするとその念でもって
一応金は集まって
くるんです
くることはくるけれども
それは
自分の念で集めたお金なんで
つまり
自我欲望ですよね
それでもって入ってきたお金というのは
重たいんですよ
祈りじゃなく入ってきますからね
それで
身につかないで
また出て行ってしまう
こういう
いうことをきかせるというのは
祈りじゃないですよね

祈りというのは
私はこれだけ辛い
だからできるならこうして欲しい
けれど
みこころのままにっていうんで
預けちゃうんです
ゆだねてしまう

神様の方も
それが
まごころから
でてきたものか
そうじゃないかって
いうのは
よくみてますからね
こちらの都合ばっかり
いってるようだと
それはきかれないし
また
そういうのを
祈り
とはいわないんです

祈りがきかれる
きかれないというのは
それによって
その人の本心が
本当にひらかれ
その人自身が
みがかれてゆくかどうか
ということを
守護霊や守護神が
みていて
それでよし
となったら
きかれたり
きかれなかったりする
だから
祈りというのは
あなたまかせなんですよ

ただね
私心(わたくしごころ)ではなくって
自分の身に代えても
子どもを救って欲しいとかね
そういう
身命を賭した祈りの場合には
きかれることがありますが
本来
祈りというものは
神からわかれてきた
分生命(わけいのち)分霊(わけみたま)
としての
自分に出会って
そして
神に感謝してゆく
というものですから
すべてを感謝してゆくなかで
その人に今
必要でないものは
与えられないわけなんです

守護霊守護神や
神様というのは
その人にとって何が必要で
必要でないのか
ということを
長距離ランナーの助走者のように
よくみているわけです

ですから
その人が
どうしても行きたい場所がある
ここに転勤したい
と思ってても
一番嫌な一番行きたくないところに
行かされたりする
そうすると
肉体人間というのは
すぐ
神も仏もあるものか
とおもったりして
そういうわけで
私なんかも
うんと恨み言しょってるんですけど
まったくこれを光にかえてくというのは
なかなかホネの折れることでね
これは冗談ですけど

そんなふうに
今この人を
望みどおりに動かすと
この人の魂の成長にはならない
本心がひらきにくいって
むこうが判断したときには
これはてこでも動かないんだね
それで
祈りがきかれたきかれない
ということになるんです

人間が
その持っている想念どおりの
世界をつくってゆくというのは
そのとおりですけれども
心境というのは
微妙にかわるでしょう
一日のうちに
地獄に行ったり極楽に行ったりね
人間というのは
いそがしいんです
それで
移ろいやすい肉体人間の心を
祈りでもってしっかり浄化しながら
少しでも高い所へとみちびきたい
というのが
守護霊さんの愛念ですよ

この世で
そりゃあいろいろなことがあります
だけど
人生の苦労というものを
味わって
人の苦労をしてね
その上で
それを
世界平和の祈りのなかに
投げ込んで
みんな消えてゆく姿だ
守護霊さん守護神さん
ありがとうございます
とかえしていったら
絶対悪くなりっこないんです
それだけ
光になってゆくんですから

祈りというものの
真実のすがたを
求めながら
世界平和の祈りを
唱えつづけてゆくとき
本心がひらき
そして
一人びとりに
もっとも必要なものが
与えられると同時に
しっかりと
私どもは
神の愛に
抱かれているのであります