2007 6.30
2人の講師の方が私にMorandiの画集を見せてくれた。
そういえば研究所の一番最初の油彩課題は
静物だった。ポットとフライパンと円柱。テーブルの角度と敷物の色がいまだに
気に食わない。背景の色も物と分離している。けれども物1コ1コに対する愛着は
ものずごく現れている。確かに色を塗り重ねていく途中途中の微妙な
移り変わり具合が楽しくて夢中になっていた。
今日届いたMorandi 26歳当時の静物画!一番これを見たかった。
やはり若いときの作品だった。
今回の画集は前の完成された作品中心にまとめられていた2冊とは
ちがった取り上げ方をされていた。過程・完成までの微妙な 長い時間をかけた足取り
pre というのか、一寸ちょっと手前の これこそ創作している立場としては必要だと
思えるもの。Morandi26才当時の静物画。これと対話したかった。
その後未来派の流れにも汲みしキリコみたいな作風をとおり過ぎ、
また戻っていくところ。将来の作風への予言のような予告のような合図のような・・・。
こっちやそっちに振れてもここに帰る場所があるというような絵。画集の表紙。
熟練された50~60代のときの作品ではなく(終着点、完成時)、出発点を表紙に
していたのだ。(編集者のセンスのよさに頭が下がります。 )
わたしはいったいどこに戻る?
どうしてこんなにもMorandiの色合いをおいしそうと感じるのだろうか?
ほんとうになぜだろうと思っていた。筆のタッチだろうか?モチーフに対する愛着
だろうか?(スタジオの写真を見る限り、捨てるのがもったいなくてとっておいたという
感じがする) 住んでいた環境だろうか?(きっとまわりは白壁だったんだろうな、)
いや、写真で見るかぎりはかなり質素。習慣だろうか?毎日必ずこれをしなきゃ気が
すまないちょっと偏執狂的な・・・?いいや、ふつうの人に見える。
厚塗りだから? オイルの量が多い? いいや、水彩やデッサンの線だけでも
十分おいしそうなのだ。いったいなんなんだろう、あの暖かみは?
人間味。そうだ自然食。
窓の外で、大きすぎる古いむぎわらぼうしをかぶった母が畑仕事をしている。
昔使っていたから引っ張り出したのかもしれないむぎわらぼうし。
でも大きすぎて小柄な母にはちょっと不釣合いな上に、たぶん私だったらツバが
広すぎてじゃまだと感じてしまうにちがいないものを、気に入ってるんだか
あるから仕方がなくかぶっているのかわからないかぶり方をしている。
小学生の頃、土曜日だけ持って行った母の自然食弁当の色合いを思い出した。
いつ思い出した?夕食のときだったか画集の表紙を見ているときだったか・・・。
とにかくおいしそうなのはなぜか?なぜ私はMorandiの作品の色合いを
くすんだ色とはとらえていないのだろうか私は? と考えていたのです。
発色と古さと新しさ。そういえば土曜日だけ持って行ったお弁当は茶色系。
隣で食べている、髪の毛がサラサラで目もぱっちりのなおちゃんのお弁当は
真っ白なご飯に真っ赤なウィンナー、まっ黄色な卵焼きに真っ赤なトマト、
ピンクの桜でんぷ。輝いて見えた。
玄米の茶色にきんぴらごぼうの茶色。梅干も朱色ではなくマゼンダ色。
キンシンサイ(ゆりの根)の茶色。母には申し訳ないが、全体的に茶色でヨレヨレっと
見えてしまったものだ。
私の髪の毛はちょっと雨が降ると当たってもいないのに水分を含んでもしゃもしゃっと
なり、服だって合成洗剤を一切使わず漂白剤などもってのほかだったので、洗濯あと
の微香など漂わず無臭で(どちらかというと無臭+犬・ネコ・ばあさんの獣のにおい)、
ジャージは毛玉だらけで白いTシャツは黄ばんだまま。なんだかごちゃごちゃしていて
くしゃっとしてくすんで、輝いていない自分を感じていたものだった。
今思うと、研究所の夜間通いの3年間を乗り切ったのはちいさいころの
徹底した自然食教育のおかげだった。おかげでMorandiともめぐり合った。
油絵の具自体が古いとか重たいとか そんなことではない。小さい頃毎日
食べていた玄米は、昔の貧しい農民の食べ物で、ぴかぴかの白米で育った人から
みれば相当に古い。1980年代の話だ。ところがどうでしょう、今の自然食ブームは?
雑穀までもが見直されている。古代米なんて雑誌にもおしゃれに登場し、ローソンの
おにぎりでも高く売られている。
夜間の美術研究所に通って、蛍光灯とはイヤでも闘わなければならなかった。
電力のおかげで夜間で通えるようになったものの、最初に光と影を描きましょうでは
なく、どこの電気とどこの電気のスイッチをつけましょうかという設定の問題になる。
石膏デッサンも何も実に白々しい。明暗も陰影も自分で作るものだと知った。
そうそうところで26歳。わたしは何をしていた?昼間働き夜間で習い、休日は
ぐったりしているか・・・そうだ、本を読み漁っていた。それほど頭のよいわけでもない
私がなぜ?
考え方の支柱 デッサンの基本構造 骨格 そうだやはり立体に行き着くのだ。
平面に立体を起こしてみようとして遊んでいたのだずっと。じっと目の前のものを
ずっと同じテーマで追っていくかどうかということだった。私がMorandiのアドバイスを
必要としたのは。
そうしたらまずわたしはことばを構成していたのだ。目の前のものを見ていても
いつしかずっと離れて自分の追いたいものを追っていく。支柱は自分のことば。うた。
枯れたアジサイはいつ描こうか?どうなる?どの筆とどの絵の具がパレットの上に
乗るのかに寄る。アジサイを描きたいのか?アジサイを見た自分のイメージ(ことば)
を描きたいのか?
母のことばとは、こうだ。私の部屋に用があるとき、ノックをして板に音を
響かせるのではなく、「トントン」と、ことばを発して合図する。なぜかここでことばを
発する。第2関節で戸を叩かずに。これが母のことばなのだ。
Morandiと自然食と母。またまた謎が深まった。
長い時間をかけて ようやく 徐々に 少しずつ ということはよく教えてもらった。