誰にだって相性が合わない人、
苦手だと思う人はいます。
だから「合わないのよ」でいいのでしょうか。
「私とあの人は違います」
と言いますが、本当にそうでしょうか?
顔も性格も環境も仕事も違うからそう見えるようですが、
本当は同じです。
何のために潜在意識が、相性の合わない人をそばにおいたのでしょうか。
意味があるに違いありません。
我が強いと、自分と同じものを持っていると、認めることはできません。
たとえば、西洋医学で考えると、
薬は最高の治療薬、病気には欠かせないという考え方。
その反面、薬は体の仕組みを害する危ないもの、飲みすぎてはいけないという考え方。
どちらにも理があり、間違っているわけではありません。
見方が違うだけです。
見方の違いを理解することなく、自分は正しいと主張するところに問題があります。
相手の考え方に寄り添わずして、自己主張をし続けても交わることはありません。
敵対心は、現実の世界で起こしている戦争の大元。
戦いの元を常に持ち続けているのです。
そういう人は、優しそうに見えても優しくはありません。
寄り添って考えられない人は、痛みがわからない人です。
正義はひとつではありません。
自分の正論を話す前に相手を受け入れて認めることです。
話をしていても、どう私の話していること正しいでしょうと自慢の心が見えてきます。
自分の心を深掘りしましょう。