病気は治ったもの勝ち!膵臓ガンと宣告されて…

物をモノとしか捉えられない悲しさ

神様のお札やお守りにしろ、お位牌にしろ、
単なるものとしてしか捉えられないのは残念なことです。
どうしてそうなってしまったのかと、考えていくと、
核家族化や豊かさが、その原因の一つではないかと思います。

おじいちゃん、おばあちゃん、
特に戦争を経験した人たちがそばにいると、
物をとても大切にし、様々な風習や文化を教えてくれました。
お父さんとお母さんだけで育った家庭では、
そんな余裕もなく育てられていきます。
共稼ぎで働いている家庭には、少し経済的な余裕もあり、
物は、お金で買うことができるという考え方が強くなるようです。

ですが、せめて神様のお札やお守り、お位牌などに関しては、
少し考え方を変えて欲しいと思います。
先日、神様のお札について質問がありました。
「神棚にお酒、お塩、お水を挙げているのですが、いつ下げてばいいでしょうか?」
いつ下げているの?と聞くと、
「1日に上げて15日に変えている」とのことでした。

もし自分がそこにいたら、
1日のお酒もお水もお塩をその日は気をいただいても、翌日はいただく気にはなりません。部屋の中、毎日布団を畳んだり敷いたりして埃っぽいのに嫌ではないでしょうか?
神様は、自分よりは上の尊いかたでしょう。
自分の父親や母親に大hしても、お茶を半月も同じものを出すのでしょうか?
そういうふうに考えると、答えは自ずとわかります。
そう話しているときに、
その人の家のお札から神様は見ているというインスピレーションが映像で見えました。思わず、絵を書きました。

神様は、お札はその神様の御神霊や御眷属が依代にされて見ているようなものなのです。
本来は、心の中にきちんと神様を抱いて生きていくべきなのですが、
なかなか、人は見えるものしか信じられないので
生活環境に中に神棚を置いておろがみながら謙虚にいかせていただいているのです。

ですから、神棚の位置やお札への考え方次第で、その人の生き様が見えてきます。
ご利益中心の人、自分中心の人など様々です。
神棚の位置も、その人の考え方が現れます。

でも人に言われて修正するものでもなく、
全ては、自分次第なのです。
何を中心にして生きるのかを表しているだけなのです。
全ては自分の意識の現れです。

神様中心、潜在意識中心の生き方は難しいですね。

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