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旅も最終日、出雲・境港からのつづき(* ̄▽ ̄)ノ~~
コースは逆戻りなのだが、昨日閉館していた『水木しげる記念館』に立ち寄り、松江に向かう。
館内は撮影禁止なので、入り口にあるモニュメントしか撮影できなかった(T-T)
なので、詳しくは『水木しげる記念館』のWebを参照してほしい。
唯一、中庭と展示室の一部は撮影が可能。
ねずみ男、こなきじじい、砂かけばばあ、鬼太郎と一緒に写る(笑)
後ろの『くるくる』とか『ビビビ・・・』が私と妙にマッチングしているようで、こうやって後から見ると恥ずかしいものである。( ̄ー ̄;
水木しげる氏の色紙の他には、やなせたかし氏のあんぱんまんもある。
その他にもたくさんの著名人が来られていて、ジャスの日野皓正氏、稲川淳二氏、だんご三兄弟の速水けんたろう氏、佐野史郎氏、佐野元春氏、出身が境港の宮川大助・花子両名などの色紙もあった。
境港を後にして、再び中海の大根島、江島を渡り、松江に戻ってくる。
今日のお昼は、松江の下町にある『上田そば』で割子そばをいただく。
この割子そばは三段の丸い漆器に盛られたそばに、好みの量の薬味とそばつゆをかけて食べ、最後にそば湯で口直し。
割子とは江戸時代に松江の連(れん)と呼ばれる身分を越えた趣味人の集まりが、野外にそばを持っていく弁当箱(道中弁当などに使った白木の使い捨て容器が原型といわれる)として考えたのが始まりだ。
そばを堪能し、宍道湖に浮かぶ嫁が島を見に行く。
この島は夕日をバックに撮影すると、とても美しいのだが、ちょっと時間が合わせられなくて残念だ。
なぜ嫁が島と呼ばれているのかというと、姑にいじめられた哀れな嫁が、冬の凍った湖に身を没し、その身代わりに一夜のうちに島が浮き上がるという伝説があるのだ。
美しい景色とは似ても似つかぬ伝説である(T-T)
松江の城下町は『堀川めぐり』で舟から観る事にした。
大手前の駐車場からすぐのところに発着場があり、平日で観光客も少なかったのか、切符を買うとすぐに乗ることができた。
この堀川めぐりは1日乗車券で、その日のうちなら何度でも乗船できる。
発着場も大手前、からころ広場、ふれあい広場と3箇所あるので、舟を足にして市内観光も楽しめる。
内堀はうっそうとした木々に覆われていて、プチアマゾン状態だ(笑)
また、橋を何梁かくぐるのであるが、橋げたが異常に低いところは、舟の屋根をたたみ、寝転がりながら通過するという、のんびりとした中にもアクロバティックな要素も含まれている楽しい舟だ(笑)
船頭のおばちゃんが『頭上げないでぇ~、手足も出さないでぇ~』と橋の下で叫びまくる声が、またよく響く(笑)
松江城も舟からもちょこっと見ることができる。
松江城は現存12天守のうちの一つで、山陰で唯一の天守閣である。
慶長16年(1611年)初代城主の堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成したもので、後に徳川家康の孫に当たる松平直政が信州松本から移封され、以来明治維新まで、松平家10代234年間に渡り、18万6千石を領した。
明治8年、城内の建物は全部取り壊されたが、天守閣だけは有志により保存され、昭和25年から30年の解体修理を経て現在に至っている。
天守閣は、望楼様式を加えた複合天守閣で、外観5層、内部は6階、壁の大部分は、黒く塗った雨覆板(下見板張り)で覆われ、実戦本意で安定感ある無骨な体裁に桃山風の壮重雄大な手法が見られる。
石垣はごぼう積み、野面積(のずら)みと呼ばれる工法で作られ、築城から400年経た現在も、寸分の揺るぎも見つからない。
津和野から始まった山陰の旅もこの松江でおしまいだ。
松江から山陰自動車道で米子まで戻り、大山から蒜山高原をドライブしながらのんびりと東に向かう。
椎間板ヘルニアのため去年の10月から寝たきりで、今年3月に手術をし、半年以上もの間、家の中で過ごした私にとって、この旅は非常に感慨深いものになった。
立つ事も歩くことも出来なかった私が、今、このように楽しい旅行に行けるまで復帰したのも、手術してお世話になった病院関係者や、なによりも家族のありがたさに感謝するばかりだ。
旅の4日目、日本海からのつづき(* ̄▽ ̄)ノ~~
スサノオウゆかりの郷『ゆかり館』を後にし、縁結びの神・福の神として慕われている出雲大社に向かう。
出雲大社には小学4年生、20代前半に、2度訪れているが、大きなしめ縄の印象だけが残っているだけだ。
今回はじっくり見てみよう(笑)
駐車場から本殿へは西側から入るのが一番近く、途中に神楽殿(写真左)がある。
神楽殿はもともと明治12年出雲大社教が組織化された当時、その教化のために大国主大神を本殿とは別におまつりしたことに由来している。
現在の神楽殿は昭和56年に新築され、その大広間は270畳敷きの広さをほこり、神社建築にはめずらしく、正面破風の装飾にステンドグラスが使われている。
また、ここに掛かる注連縄(しめなわ)は長さ13メートル、重さ5トンの巨大なもので「国引き神話」の出雲を象徴しているかのようだ。
神楽殿に向かって右側に境内の西の門があり、本殿へ通じている。
本殿(写真右)は、大国主大神が鎮まりされており、大国主大神の御事蹟に対して建てられた宮である。
高さ約24メ-トルの偉容は、御神徳(ごしんとく)にふさわしく比類のない大規模な木造建築で、「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社建築様式の本殿は、現在国宝に指定されている。
本殿を包むかのようにそびえる八雲山(やくもやま)を背景にした姿は、たくましい生命力を感じさせ、見るものに感動を与える。
本殿前の石畳に赤い丸い石(写真左)が埋め込まれている。
これは元本殿である古代本殿(写真左)の岩根心柱の跡で、平安時代の950年頃の『口遊(くちずさみ)』という本によれば、本殿の高さは、東大寺の大仏殿の十五丈をこえる十六丈(約48m)にも達したといわれ、往時には、「天下無双の大廈(たいか)」と讃えられていた。
鎌倉時代頃から規模を縮小し、現在の本殿は、高さ八丈(約24メ-トル)で、延享元年(1744年)に造営されたものである。
古代の本殿が元々こんな形をしていたとは知らなかった。。。
参拝順序が逆になってしまったが、銅鳥居付近には2つの銅像がある。
本殿に向かって右にあるのが、幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)を拝祭する大国主神の像(写真左)である。
神や人間の霊魂は「一霊四魂」、つまり、一つの霊と四つの魂から成るとするものがあり、一霊は「直霊(ナオビ)」で、四魂は「荒魂・和魂・奇魂・幸魂」である。
そのうちの二つ幸魂と奇魂をゲットした時の様子を表している。
大国主神が国造りに悩んでいると、海を照らしながらやって来る神があった。
「あなたは誰ですか?」と尋ねたところ、その神は「我は汝の幸魂奇魂である」と答えたと言う神話によるものだ。
この幸魂・奇魂の「おかげ」により、大国主神は神性を養われ「むすびの神様」となったとのこと。
生きとし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ「縁結びの神様」と慕われる所以だそうで、なかなか結婚運に恵まれないとお嘆きの方は、一度お参りされてはいかがだろう。
もう一つは本殿に向かって左にある、因幡の白兎を救った大国主神の像(写真右)である。
神話に疎い人でも、この「因幡の白兎」の話は何かしらご存知のはずだ。
簡単な内容は以下の通りだ。
隠岐に住む白兎が出雲の国まで泳いで渡れないので、兎とわに(サメ)とどちらの数が多いか数え比べしてみようと、わにを騙し、海に並ぶわにの上をぴょんぴょん跳ねながら渡りきろうとした時に、騙したことをつい口走ってしまい、白兎はわにに皮を剥かれてしまった。(ウサギってなぜかいつも悪巧みなキャラですな。。。)
丸裸の白兎が砂浜で泣いていると、因幡の国の八上姫(やがみひめ)に会いに行く大国主神の兄達が通りがかり、「海水でその身を洗い、風に当たってよく乾かし、高い山の頂上で伏せていなさい」と言い、白兎は言われた通りにしたのだが、ますますひどくなるばかり。
更に赤くなって泣いて苦しむ白兎のところ、兄達に遅れ大国主神が通りがかり、「河口に行って真水でその身を洗い、蒲の穂をつけなさい」と言い、その通りにすると、どんどん元の白毛に戻り、白兎はとても喜び、お礼に美しい八上姫の所に大国主神を連れて行った。
めでたし、めでたし。。。(*゜▽゜ノノ゛パチパチ
出雲大社からR431で宍道湖の北側を走り、境港に向かう。
宍道湖は淡水と海水が入り交じる「汽水湖」で、日本一の漁獲量を誇るヤマトシジミをはじめ、淡水魚と海の魚が共に泳ぐ珍しい湖だ。
お昼はその宍道湖畔にある1947年創業の鰻料理店『大はかや』でウナギ丼をいただくことにした。
ウナギは肉厚で、強い炭火で短時間で焼くため、脂が十分残って柔らかく、先代から受け継いだ甘口の秘伝のタレは、こってりしているがしつこくなく、これまた抜群に美味しいっ♪
『うずめめし』『うに丼』についで『うなぎ丼』も制覇っ!
宍道湖に別れを告げ、松江市内を抜け、中海にある大根島、江島を渡ると境港にたどり着く。
境港は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者で有名な漫画家水木しげる氏の生まれ故郷である。
境港の駅前からは『水木しげるロード』なる商店街通りがあり、妖怪の銅像が数多く立ち並ぶ。
神話の世界から一変して妖怪の世界へ(笑)
通りには『妖怪神社』なんかもあり、鳥居にはいったんもめんが(笑)
駅前のポストにも鬼太郎の銅像があったりして、このあたり一帯水木しげる一色だ。
港のほうに足を運ぶと、日本海における北朝鮮船や韓国船などの取締りを行っている、海上保安庁の巡視艇『おき』が停泊していた。
巡視艇と言えど、結構でかい。。。
妖怪銅像は水木しげるロードにあるのだが、水木しげる自身の銅像は境港市内の正福寺にある。
おそらくこれは銅像ではなく、生きている間に造った自分のお墓なのだろう。
火曜日は『水木しげる記念館』が休館なので、明日松江に行く途中に再度境港に立ち寄り、観ることにしていたので、早々に宿泊先である『大山ロイヤルホテル』へ向かう。
晩御飯はホテルにチェックインしてから、米子の居酒屋に繰り出し、『一代』という海鮮居酒屋で海の幸を楽しむことに。
私の『うずめめし』『うに丼』『うなぎ丼』、そしてこの旅の最後の食の制覇である『岩がき』注文したのがだ、、、
なんと今、病気が流行っていて、食べれないとのこと Σ(|||▽||| )ショック・・・
お気に入りの『三瓶山のわさび漬け』や海の幸をたらふく食べて、南部町の金田川に蛍を見に行く。
実は津和野でも見に行ったのであるが、雨で駄目だったし、ゆかり館の裏の川でも1匹しか見つけられなかった。
しかし、ここ南部町ではたくさんの蛍が見れた。
肉眼なら蛍の乱舞が見えるのだが、私の安物のデジカメではご覧のとおり(T-T)
幻想的な蛍の光をずっと見ていたいのだが、夜もふけてきたので、名残惜しいがホテルに帰ることにした。
『松江・大山』につづく(* ̄▽ ̄)ノ~~