東北の旅で知った山形の戦国大名❣️知る人ぞ知る最上義光(もがみよしあき)
怪力無双で180センチ以上の長身だったとされる。
城下町や最上川交通路の整備、庄内平野の開発などを行って山形の発展に貢献した🤗
武術に優れた戦国武将でありながら、文化人としての一面も持ち、茶の湯や和歌に親しみ、その趣味を通して多くの武将や文化人との交流を深めていた。
また、自然を愛し、庭園の造園にも関心を持っていたらしい。これらの文化活動は、彼の政治や軍事に対する洞察力を高め、人間性を豊かにしたそうだ。
かの有名な伊達政宗の母義姫は妹である。
つまり政宗の伯父さんである。
最上義光歴史館の前にある池の噴水と「愛の女神・笹戸ちづこ」像(佐藤忠良、制作1988年)
館内
指揮棒
愛用した鉄製の指揮棒で、古記録や屏風絵などにも登場する義光を象徴する遺品!
日本刀と同じ技法で鉄を鍛錬して形成され、長さは86.5cm重さは1.75kgもあり刀二本分の重量。義光がこの指揮棒を振り回していたとすれば、相当な腕力の持ち主だったことが推測される。
日本刀と同じ技法で鉄を鍛錬して形成され、長さは86.5cm重さは1.75kgもあり刀二本分の重量。義光がこの指揮棒を振り回していたとすれば、相当な腕力の持ち主だったことが推測される。
最上家伝来の宝刀「鬼切丸」
「鬼切丸」(おにきりまる)は、平安時代の武将「渡辺綱」(わたなべのつな)が鬼を切った伝説が由来。その名称が付けられた名刀。
鎌倉幕府を打倒した名将「新田義貞」(にったよしさだ)が佩刀していたことでも知られ、その後、斯波家を経て最上家の手に渡り、同家の家宝となった。
慶長出羽合戦
「長谷堂合戦図屏風(はせどうかっせんずびょうぶ)」
1600年10月1日、関ヶ原での西軍敗報を知った上杉軍の直江兼続勢は撤退を開始すると、義光と政宗方援軍の留守政景はこれを追撃し激戦となる。
長谷堂城の戦い
Pの好きな人なら知っている
花の慶次の殿モードの舞台
長谷堂城からの撤退戦で奮闘したのが、かぶき者・前田慶次!
朱塗りの槍を振り回して奮戦。鉄砲隊の効果的な反撃もあり、最上軍をしばしば追い返した。
この時義光は鉄砲で兜を撃たれたといわれ、弾傷が残り破損した兜が展示されている。
最上義光
所用「三十八間総覆輪筋兜」
鉄砲の弾痕が残っている!
軍旗(伝直江軍部隊旗)
最上軍が戦利品として持ち帰ったとされる「かりがねの旗」
山形城(霞城公園)
いざ入場‼︎
二の丸の濠
二の丸東大手門
霞城公園内には…
出羽山形藩初代藩主
出羽山形藩初代藩主
最上義光公騎馬像
世界的にみても珍しく完全に二本足で立っている像。
重さ3トンもあるが、東日本大地震でも被害に遭わなかったそう😳
名言
「いのちのうちに今一度、最上の土を踏み申したく候、水を一杯飲みたく候」
この言葉は、故郷への深い愛❤️と戦いの中での切なさ😔を表している。
戦国大名最上義光❗️名前だけは知っていたが、調べれば調べるほど魅力的な人物であった😍
ここで情報デス!
【10月16日(水)~10時44分まで放送!】NHKプラス『歴史探偵戦国ご当地大名シリーズ④最上義光』放送予定デス‼️
なんと!あのプロレスラーが最上義光を演じる‼️
駒姫の事件には、涙涙😢
最後までご覧下さりありがとうございました♪🙏