異文化交流クイズ、フォースシーズン「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」第5回は、現代では歴史の教科書や歴史小説にも登場している人々の、クララ視点からの赤裸々な記録を。意外な人物像が見えてきます。
まず前提条件としてクララの価値観の基準を説明しておきましょう。
彼女の人格形成に一番影響を与えているのは、自身も日本での伝道を志す意味で、夫の来日を後押しした彼女の母アンナ。
もっともアンナは元々伝道を志していたのではなく、それどころか近代の欧米人に時折見られる厭世的思想の持ち主でした。
それが変わるきっかけを作ったのはクララの父のアメリカにあった学校に、日本人として初めて留学してきた富田鉄之助(後の第二代日銀総裁。サードシーズンで紹介した川田小一郎の前任者)との出会い。
アンナから英語を教わる過程で、富田は聖書を読んで欲しいと懇願し、それをきっかけにアンナは伝道を志すことになります。
そして彼女の伝道の意志と日本贔屓は生涯を通じて変わらず、その生涯を日本で終えた後、青山墓地に埋葬されることになったアメリカ人の第一号となります。
こんな筋金入りの母親の影響を受けたためクララの価値観の最上位に来るのは神の教えであり、嫌悪を見せるのは宗教上の戒律違反、そしてその人物が「誠実であるか否か」となってきます。
日記を通じて最も素晴らしい人物、理想の人物として描かれているのは、やはり勝海舟。実際それだけの支援を受けているわけですが海舟に関しては、本当に聖人に準ずるような尊敬の念が日記の端々から伝わってきます、ただ「一点」宗教上の戒律違反についてだけを除けば。そしてそれは後に彼女自身もまた……。
逆にもう、毀誉褒貶が激し過ぎるのが森有礼。このシリーズの最初に紹介したように、来日当初はその経緯から徹底的に罵倒しまくった割に、森家に英語を教えるために何度も通ったり、奥さんや甥っ子の少年とは仲が良かったり、有礼から家の世話をして貰ったり、前回の回答編でも書いたようにクララ一家がイギリスに渡った時には、駐英公使として赴任していた森夫妻が出迎えて歓待したり、と要するに基本的に森有礼は悪い人ではないと判ってはいるのでしょうけれど、有礼は自分一人で処理できない事態に直面すると、責任感も何もなく放り出してしまうところが激しく気に入らなかった模様です。
次に頻繁に登場するのは大鳥圭介。榎本武揚とともに五稜郭に立て籠もり、最後まで明治政府と戦った男として有名ですが、その函館でも土方歳三と対立し、しかも明治政府への降伏を比較的あっさり決断したことで新撰組ファンからは罵倒され(実際主戦派の癖に戦下手)、後に駐清国特命全権公使兼朝鮮公使を兼任して、日清戦争の引き金を引いた側面があるため、更に「別方面」からの攻撃もあったり、と物凄く激動の人生を送った割に現在では歴史マニアくらいしか知られていない人物ですが、クララの日記を読む限り、そんなことは一切感じられません。しょっちゅう娘を連れてクララの家にやってきて、とりわけパーティーやイベント(前回の気球イベント等)がある時は必ず顔を出して大はしゃぎ。かなりの愛妻家でもあったようですし、人間、経歴だけでは全然判らない、という見本そのもののような人物です。
他にも同志社の創設者の新島襄と伝道について語り合ったり、津田梅子の父である津田仙とはしょっちゅうピクニックに行っていたり、陽気で明るい後の陸軍元帥大山巌と楽しく語り合ったり、これはずっと後のことになりますが、遂には天皇陛下との謁見の場に招かれたり、といちいち上げるとキリがないのでここら辺でやめておきますが、明治政府の中枢&当時の伝道関係者&大学設立関係者がこれでもか、というほどに登場し、逆にクララが直接会ったことのない明治政府の高官の方が少ないくらいです。敢えて云えば、伊藤博文、山県有朋などの長州系の人物とは殆ど縁がないくらいでしょうか?
さて、ここからが予告通りの本番。
クララの日記において、福沢諭吉は首尾一貫として『親切であり、立派な人物であり、尊敬すべき人物だ』と繰り返し記されています。
ですが、どうにもユーモアのセンスには欠けていたようで、アメリカの片田舎出身のクララでさえ、あまり面白味のある人物には映らなかったようです。
しかしユーモアと云えば、クララと話している時の福沢自身がユーモアそのものだったり。
以下、クララの書き記した福沢の英語力の一端。
『ミスター桐山イズほんとにカインドマンけれども、ヒイイズ大層ビジイ、この節、イエス』
当時――どころか明治以降の日本で最高の知識人の一人と思われる福沢の英語力がこの程度だと分かると、英語が出来なくても生きる希望さえ湧いてくる気さえしますw。
クララ自身も「福沢先生は英語と日本語をやたらに交ぜて奇妙な話し方をされるので、何を云っておられるのか分かりにくい」とハッキリと書き記しています。
しかし明治も10年以上経過している段階でこの程度の英語力だったということは、幕府の通訳として欧米訪問した際、どうやって現地人とコミュニケーションを取ったのか、激しく疑問に思ってしまう訳ですが。
――きっと上みたいな日本語英語混交言葉で、気合いだけで押し切ったんだろうなあ(笑)。
ちなみに福沢の有名な逸話に「アメリカ訪問の際、初代大統領ワシントンの子孫が、現在ではただの一般庶民であることに驚く」というのがありますが、クララの日記にはその友人として「その当のワシントン直系」の子孫アニー・ワシントンが頻繁に登場し、流石のクララも彼女には敬意を払っていたりします。
日本には明治9年にやってきて、東京女学校で教師をしていた関係で当然福沢とも面識があったようで、不思議な縁と云えば不思議な縁なのでしょう。
さて、そんな福沢に関してから今回のクエスチョン。
クララは福沢を評して『彼には哲学的閃きがあって、下手な○○○○よりも役立つ』などと、本当に尊敬しているんだか、実は含むところがあるのかw、微妙な論評を書き残していますが、この『○○○○』に入る言葉は一体なんでしょう?
一応漢字で4文字ですが、同様の意味の漢字2文字でも今回は正解、ということで。ヒントとしては、一応ちゃんと「知識人としての」褒め言葉にはなってますw。
まず前提条件としてクララの価値観の基準を説明しておきましょう。
彼女の人格形成に一番影響を与えているのは、自身も日本での伝道を志す意味で、夫の来日を後押しした彼女の母アンナ。
もっともアンナは元々伝道を志していたのではなく、それどころか近代の欧米人に時折見られる厭世的思想の持ち主でした。
それが変わるきっかけを作ったのはクララの父のアメリカにあった学校に、日本人として初めて留学してきた富田鉄之助(後の第二代日銀総裁。サードシーズンで紹介した川田小一郎の前任者)との出会い。
アンナから英語を教わる過程で、富田は聖書を読んで欲しいと懇願し、それをきっかけにアンナは伝道を志すことになります。
そして彼女の伝道の意志と日本贔屓は生涯を通じて変わらず、その生涯を日本で終えた後、青山墓地に埋葬されることになったアメリカ人の第一号となります。
こんな筋金入りの母親の影響を受けたためクララの価値観の最上位に来るのは神の教えであり、嫌悪を見せるのは宗教上の戒律違反、そしてその人物が「誠実であるか否か」となってきます。
日記を通じて最も素晴らしい人物、理想の人物として描かれているのは、やはり勝海舟。実際それだけの支援を受けているわけですが海舟に関しては、本当に聖人に準ずるような尊敬の念が日記の端々から伝わってきます、ただ「一点」宗教上の戒律違反についてだけを除けば。そしてそれは後に彼女自身もまた……。
逆にもう、毀誉褒貶が激し過ぎるのが森有礼。このシリーズの最初に紹介したように、来日当初はその経緯から徹底的に罵倒しまくった割に、森家に英語を教えるために何度も通ったり、奥さんや甥っ子の少年とは仲が良かったり、有礼から家の世話をして貰ったり、前回の回答編でも書いたようにクララ一家がイギリスに渡った時には、駐英公使として赴任していた森夫妻が出迎えて歓待したり、と要するに基本的に森有礼は悪い人ではないと判ってはいるのでしょうけれど、有礼は自分一人で処理できない事態に直面すると、責任感も何もなく放り出してしまうところが激しく気に入らなかった模様です。
次に頻繁に登場するのは大鳥圭介。榎本武揚とともに五稜郭に立て籠もり、最後まで明治政府と戦った男として有名ですが、その函館でも土方歳三と対立し、しかも明治政府への降伏を比較的あっさり決断したことで新撰組ファンからは罵倒され(実際主戦派の癖に戦下手)、後に駐清国特命全権公使兼朝鮮公使を兼任して、日清戦争の引き金を引いた側面があるため、更に「別方面」からの攻撃もあったり、と物凄く激動の人生を送った割に現在では歴史マニアくらいしか知られていない人物ですが、クララの日記を読む限り、そんなことは一切感じられません。しょっちゅう娘を連れてクララの家にやってきて、とりわけパーティーやイベント(前回の気球イベント等)がある時は必ず顔を出して大はしゃぎ。かなりの愛妻家でもあったようですし、人間、経歴だけでは全然判らない、という見本そのもののような人物です。
他にも同志社の創設者の新島襄と伝道について語り合ったり、津田梅子の父である津田仙とはしょっちゅうピクニックに行っていたり、陽気で明るい後の陸軍元帥大山巌と楽しく語り合ったり、これはずっと後のことになりますが、遂には天皇陛下との謁見の場に招かれたり、といちいち上げるとキリがないのでここら辺でやめておきますが、明治政府の中枢&当時の伝道関係者&大学設立関係者がこれでもか、というほどに登場し、逆にクララが直接会ったことのない明治政府の高官の方が少ないくらいです。敢えて云えば、伊藤博文、山県有朋などの長州系の人物とは殆ど縁がないくらいでしょうか?
さて、ここからが予告通りの本番。
クララの日記において、福沢諭吉は首尾一貫として『親切であり、立派な人物であり、尊敬すべき人物だ』と繰り返し記されています。
ですが、どうにもユーモアのセンスには欠けていたようで、アメリカの片田舎出身のクララでさえ、あまり面白味のある人物には映らなかったようです。
しかしユーモアと云えば、クララと話している時の福沢自身がユーモアそのものだったり。
以下、クララの書き記した福沢の英語力の一端。
『ミスター桐山イズほんとにカインドマンけれども、ヒイイズ大層ビジイ、この節、イエス』
当時――どころか明治以降の日本で最高の知識人の一人と思われる福沢の英語力がこの程度だと分かると、英語が出来なくても生きる希望さえ湧いてくる気さえしますw。
クララ自身も「福沢先生は英語と日本語をやたらに交ぜて奇妙な話し方をされるので、何を云っておられるのか分かりにくい」とハッキリと書き記しています。
しかし明治も10年以上経過している段階でこの程度の英語力だったということは、幕府の通訳として欧米訪問した際、どうやって現地人とコミュニケーションを取ったのか、激しく疑問に思ってしまう訳ですが。
――きっと上みたいな日本語英語混交言葉で、気合いだけで押し切ったんだろうなあ(笑)。
ちなみに福沢の有名な逸話に「アメリカ訪問の際、初代大統領ワシントンの子孫が、現在ではただの一般庶民であることに驚く」というのがありますが、クララの日記にはその友人として「その当のワシントン直系」の子孫アニー・ワシントンが頻繁に登場し、流石のクララも彼女には敬意を払っていたりします。
日本には明治9年にやってきて、東京女学校で教師をしていた関係で当然福沢とも面識があったようで、不思議な縁と云えば不思議な縁なのでしょう。
さて、そんな福沢に関してから今回のクエスチョン。
クララは福沢を評して『彼には哲学的閃きがあって、下手な○○○○よりも役立つ』などと、本当に尊敬しているんだか、実は含むところがあるのかw、微妙な論評を書き残していますが、この『○○○○』に入る言葉は一体なんでしょう?
一応漢字で4文字ですが、同様の意味の漢字2文字でも今回は正解、ということで。ヒントとしては、一応ちゃんと「知識人としての」褒め言葉にはなってますw。