異文化交流クイズ、フォースシーズン「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」シリーズ最終回の問題は、クララと別れた梅太郎が、アメリカに移住した長男ウォルター(梅久)宛に出した手紙は、ローマ字、英語、いずれで書かれていたでしょうか?」という、ズバリ二択問題でした。
クララと一緒にウォルターが日本を離れたのは14歳の時。それまで普通に考えれば日常会話は日本語で・・・と思われますので、そうするとローマ字で綴った・・・ように思われるのですが、意外や意外、正解は『英語』でした。
恐らくクララが元々英語の方をネイティブにするように子供たちを教育していたのでしょうね。
なおこのウォルターは生涯カジの性を名乗り続け、第一次世界大戦に志願兵として参加して市民権を得ていたこともあって、先の太平洋戦争時にも別段の迫害も受けなかったようです。そして驚くべき事に、ウォルターはこの『クララの日記』が初めて訳出された昭和49年の時点で88歳で存命しており、更に末娘のヒルダに至っては文庫版が出版された平成8年の段階で満百歳の誕生日を元気に迎えていた、というのですから更に驚きだったりします。
一方梅太郎の方はと云えば、クララと離縁した後、榎本武揚の縁戚である田崎このを後添えに迎え、二男一女を儲けますが、生来のお人好しと物ぐさのためにたちまち零落。
海舟門下の推薦で職を紹介されたりするのですが、あっさり断ってしまいます。なおこの際、紹介された職が『侍従』だったり『東京市長』だったりしたと云うのは・・・なんと云いますか「……いいのか、それ?」と思わざるを得ませんw。
そして晩年はまさに落魄の生活の後、クララに先立つこと11年前の1925年東京で病没します。
後の勝海舟の研究者たちが存命だった勝家の親族たちから得た証言はいずれも「屑のような人間だった」で一致しているという本当に困った人物だったようですが、彼はその最期に何を思ったことでしょう。。。
・・・しかしこの梶家の歴史はこれで終わりませんでした。
梅太郎と後妻との間に生まれた子の子、つまり梅太郎の孫は長じて女医になります。
彼女の前半生も大概おかしいのですが、最大の危機は昭和20年8月15日。
彼女はハルピンの病院で終戦の報を聞きます。そしてその数日後、完全無防備状態のその地にソ連軍が乱入。地獄絵図が幕を開けます。その中で勝海舟の曾孫である彼女は・・・という話はまた稿を改めて。
さて、ここで今回の出題のネタ元の発表。中公文庫よりタイトルもそのままに「勝海舟の嫁 クララの明治日記(上・下巻)」から本文は引用させて頂きました。
これまで御紹介させて頂いた通り、本当に面白い本ですので興味を持たれた方は是非ご購入を!
……とお勧めしたいところなのですが、実はこの本、既に絶版となっています。ただ古本価格はそれほど高騰していないので興味を持たれた方は是非。
ちなみに自分の手元には読書用、資料用(書き込みだらけでボロボロ)、保存用の3冊だけでなく、英語版、更にフランス語版まであったりします。
このうちフランス語版は以前3年ほどかけてクララの日記の詳細解説を毎週ブログにアップしていた際、毎週ブログを読んでいるというフランス在住の日本人の方が送って下さったもので宝物となっています(そのお礼にお持ちでないという日本語版をフランスに送らせて頂きました)。なおフランス語は一切読めないので完全にインテリアでしかありませんが(苦笑)。
さてシリーズの本当に最後に。
クララの日記に書かれて約80年後。その「約束」が果たされていたことが分かるエピソードを紹介してこのシリーズの終幕とします。
梅太郎と離縁し、子供を全て引き連れてアメリカに戻っていったクララ。しかし彼女と日本の縁は確かに、彼女の子孫達に引き継がれていました。
このシリーズでも何度か登場しましたが、後の第二代日銀総裁富田鉄之助には「縫」(旧姓は杉田)という奥さんがおり、彼女とクララは年齢の差を超え、非常に仲が良かったことは日記を通じて伝わってきます。
その縫夫人の叔父に杉田玄瑞という人物がいます。名前から察しの通り杉田玄白の後裔で医師で、この家にもクララは頻繁に出かけています。
その杉田家である日、その長男である武氏との夫人は、自分たちの結婚式の話をクララに聞かせ、夫人が結婚式の際に着た立派な婚礼衣装を『貴女の結婚式にはこれを贈りましょう』と約束します。
そして遙か時は流れ、およそ80年後。
この「クララの日記」の訳者であり、逸子の姉疋田孝子の孫、一又民子さんがアメリカにクララの末娘のヒルダの元を訪れた時、ヒルダは上品な鼠色の縮緬の着物を着て出迎えました。これこそ、杉田氏がクララに贈ると約束した婚礼衣装であり、確かに彼女らの約束が果たされた証でした。
たとえ様々な事情で日本を離れることになっても、クララにとって日本での生活は本当に大切で、貴重な日々だった証とも云えるでしょう。。。
これにて「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」シリーズ全10回を終えさせて頂きます。
最後までお付き合い下さった方、有り難うございましたm(_)m。
クララと一緒にウォルターが日本を離れたのは14歳の時。それまで普通に考えれば日常会話は日本語で・・・と思われますので、そうするとローマ字で綴った・・・ように思われるのですが、意外や意外、正解は『英語』でした。
恐らくクララが元々英語の方をネイティブにするように子供たちを教育していたのでしょうね。
なおこのウォルターは生涯カジの性を名乗り続け、第一次世界大戦に志願兵として参加して市民権を得ていたこともあって、先の太平洋戦争時にも別段の迫害も受けなかったようです。そして驚くべき事に、ウォルターはこの『クララの日記』が初めて訳出された昭和49年の時点で88歳で存命しており、更に末娘のヒルダに至っては文庫版が出版された平成8年の段階で満百歳の誕生日を元気に迎えていた、というのですから更に驚きだったりします。
一方梅太郎の方はと云えば、クララと離縁した後、榎本武揚の縁戚である田崎このを後添えに迎え、二男一女を儲けますが、生来のお人好しと物ぐさのためにたちまち零落。
海舟門下の推薦で職を紹介されたりするのですが、あっさり断ってしまいます。なおこの際、紹介された職が『侍従』だったり『東京市長』だったりしたと云うのは・・・なんと云いますか「……いいのか、それ?」と思わざるを得ませんw。
そして晩年はまさに落魄の生活の後、クララに先立つこと11年前の1925年東京で病没します。
後の勝海舟の研究者たちが存命だった勝家の親族たちから得た証言はいずれも「屑のような人間だった」で一致しているという本当に困った人物だったようですが、彼はその最期に何を思ったことでしょう。。。
・・・しかしこの梶家の歴史はこれで終わりませんでした。
梅太郎と後妻との間に生まれた子の子、つまり梅太郎の孫は長じて女医になります。
彼女の前半生も大概おかしいのですが、最大の危機は昭和20年8月15日。
彼女はハルピンの病院で終戦の報を聞きます。そしてその数日後、完全無防備状態のその地にソ連軍が乱入。地獄絵図が幕を開けます。その中で勝海舟の曾孫である彼女は・・・という話はまた稿を改めて。
さて、ここで今回の出題のネタ元の発表。中公文庫よりタイトルもそのままに「勝海舟の嫁 クララの明治日記(上・下巻)」から本文は引用させて頂きました。
これまで御紹介させて頂いた通り、本当に面白い本ですので興味を持たれた方は是非ご購入を!
……とお勧めしたいところなのですが、実はこの本、既に絶版となっています。ただ古本価格はそれほど高騰していないので興味を持たれた方は是非。
ちなみに自分の手元には読書用、資料用(書き込みだらけでボロボロ)、保存用の3冊だけでなく、英語版、更にフランス語版まであったりします。
このうちフランス語版は以前3年ほどかけてクララの日記の詳細解説を毎週ブログにアップしていた際、毎週ブログを読んでいるというフランス在住の日本人の方が送って下さったもので宝物となっています(そのお礼にお持ちでないという日本語版をフランスに送らせて頂きました)。なおフランス語は一切読めないので完全にインテリアでしかありませんが(苦笑)。
さてシリーズの本当に最後に。
クララの日記に書かれて約80年後。その「約束」が果たされていたことが分かるエピソードを紹介してこのシリーズの終幕とします。
梅太郎と離縁し、子供を全て引き連れてアメリカに戻っていったクララ。しかし彼女と日本の縁は確かに、彼女の子孫達に引き継がれていました。
このシリーズでも何度か登場しましたが、後の第二代日銀総裁富田鉄之助には「縫」(旧姓は杉田)という奥さんがおり、彼女とクララは年齢の差を超え、非常に仲が良かったことは日記を通じて伝わってきます。
その縫夫人の叔父に杉田玄瑞という人物がいます。名前から察しの通り杉田玄白の後裔で医師で、この家にもクララは頻繁に出かけています。
その杉田家である日、その長男である武氏との夫人は、自分たちの結婚式の話をクララに聞かせ、夫人が結婚式の際に着た立派な婚礼衣装を『貴女の結婚式にはこれを贈りましょう』と約束します。
そして遙か時は流れ、およそ80年後。
この「クララの日記」の訳者であり、逸子の姉疋田孝子の孫、一又民子さんがアメリカにクララの末娘のヒルダの元を訪れた時、ヒルダは上品な鼠色の縮緬の着物を着て出迎えました。これこそ、杉田氏がクララに贈ると約束した婚礼衣装であり、確かに彼女らの約束が果たされた証でした。
たとえ様々な事情で日本を離れることになっても、クララにとって日本での生活は本当に大切で、貴重な日々だった証とも云えるでしょう。。。
これにて「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」シリーズ全10回を終えさせて頂きます。
最後までお付き合い下さった方、有り難うございましたm(_)m。