韓国戦争(朝鮮戦争)70周年を迎えて中国の同戦争に対する発言が尋常ではない。韓国戦争に対する各国の資料公開によってすでに確定した歴史真実を否定して、さらに一歩踏み込んで、急速な関係発展の転換点になった韓中修交以前の観点を復元したような印象を受ける。
習近平中国国家主席は10月19日、抗米援朝70周年記念展覧会と23日70周年記念大会に相次いで出席した。記念大会における習氏の発言の要点は5つだった。1950年6月25日の戦争勃発、米国の韓国内戦武力干渉、中国の抗米援朝戦争への参戦、中朝共同生死と友情、抗米援朝戦争の偉大な勝利。
現代中国の建設と発展、国家安全保障と国際関係において、韓国戦争が占める決定的地位に照らし、習主席の発言が持つ歴史的意味と重さは正しい。韓国戦争を機に中国は建国を成し遂げ、戦時米中戦争と中ソ葛藤を通じて世界強国に台頭したためだ。
しかし真実の問題は異なる次元だ。まず、習主席は韓国戦争開始の主体と事実に言及しなかった。戦争決定過程で毛沢東の関与と責任を覆い隠すと同時に、自分たちの参戦正当性を強調するための真の隠蔽だった。このように戦争勃発とその性格に対する韓中の認識は正反対だ。「南侵」対「南侵否定」、「スターリン・毛沢東・金日成(キム・イルソン)の合作攻撃」対「南北内戦」の対立構図だ。そのうえ韓国軍は傀儡軍とさげすむ。しかし、事実を隠したからといって真実は変わらない。韓国が正しく中国が間違っている。
◆韓国戦争は中国愛国主義ブームの材料
また、韓国戦争で米国と国連は内戦に介入したわけではなかった。まず、韓国戦争は全く内戦ではなかった。戦争の決定過程からすでにソ連と中国が深々と介入・支援していたため、開始からこの戦争は内戦ではなかった。世界内戦、すなわち世界市民戦争だった。
戦争勃発という原因行為にソ連と中国が全面的に介入していなければ、対応行為として国連と米国の参戦は不必要だった。いや、いっそ戦争自体が起きなかっただろう。攻撃は世界戦争で始まりながら、防御は内戦で対応しろという二重論理は成立し得ない。米国と国連の参戦を批判するには、ソ連と中国の戦争開始支援はもっと大きく批判を受けるべきだ。
記憶戦争の不均等も深刻だ。国家的に必要なたびに中国は韓国戦争の記憶を勝手に呼び戻す。「抗米援朝」と「上甘嶺」の記憶はその「常連」素材だ。韓国戦争は中国の愛国主義ブームの中心材料だ。韓国戦争を扱った映画『上甘嶺』(1956)の主題歌『私の祖国』は世紀を越えて絶えず「召喚」される。上甘嶺の戦いは激しかった狙撃稜線の戦いを指す。『私の祖国』は中国崛起の象徴である北京オリンピック(五輪)開幕式にも登場し、米中首脳会談の時も突然演奏されたことがある。最近の米中貿易戦争の渦中に、ファーウェイ(華為)会長も上甘嶺の戦いを呼び戻した。韓国が善隣友好のために韓国戦争で中国の否定的な役割に対する公式的な記憶になるべく言及してこなかったことに反して、中国は逆に愛国主義の核心材料とみなしてきたということが分かる。
中国は今まで、戦争勃発過程での介入と支援を通じて大惨禍を招いたことに対して謝罪したことがない。大規模な参戦で虐殺と被害を生んだことに対しても同様だ。過去の敵対を越えて関係を正常化する時は一定の歴史整理が必須だ。1992年韓中修交当時、中国は韓国戦争に対して謝罪しなければならなかったのにそうしなかった。今日の韓中関係は当時の誤謬の悪影響が及んでいる。韓中修交に比較すると、経済補償まで受け取った1965年韓日修交はむしろ得策だったかもしれない。
韓国は修交時の謝罪不要求にも、2014年437具を皮切りに今年117具に至るまで、7回に渡って中国軍の遺骸を送還した。国際規範と人道主義原則を尊重したためだ。人道には人道で、好意には好意で応対するのが文明国家の行動倫理だ。遺骸発掘や送還を含めて、韓国戦争遺産の克服に関する限り、韓国は中国を最大限配慮してきた。中国のように、韓国が必要な時にいつも中国の韓国戦勃発介入と参戦を呼び出して批判すれば、未来の韓中関係の健全な発展は可能だろうか。互恵は隣国に対する礼儀の出発だ。
中国は韓半島(朝鮮半島)問題に武力介入が深いほど崩壊と損害だった。平和のための架け橋の役割が必須である境界国家・韓国の地政学的本質のためだった。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の参戦で明国が滅亡し、日清戦争で清国が崩壊し、韓国戦争参戦は中国の長期孤立と全体主義を生んだ。相互主権尊重が韓中互いのために必須である理由だ。
韓国で19世紀末に独立門(トンニンムン)・独立館を含めて近代的「独立」概念と意識が初めて登場した理由も、覇権的な中国の干渉からの主権確保のため自主意識の産物だったという点を肝に銘じなければならない。韓中の相互対等と尊重、自主と自律をいう。孟子の言葉を借りれば以小事大だ。これが正解だ。いや実際のところ、今日は小も大もない。それぞれ微塵も君臨したり卑屈になったりするべきではない。
北伐から北学に変えた現実主義者の均衡感は驚く。「蛮夷をはね除けるどころか、私たちの中の蛮夷的な性格を変えることすらできないか心配」と話した朴斉家(パク・ジェガ)は「罪で死ぬことも顧みず」正祖(チョンジョ)に上訴し、200年の平和に安住して千載一遇の機会に弥縫策で一貫すれば、国が憂患に陥ってしまうと警告する。100年後、朴斉家の警告は現実になった。今でも韓中経済関係のために歴史わい曲に抗議もせず弥縫してはいけない。
それなら、内部の省察はこれ以上なく重要だ。全面的な外勢介入状況を受動的・能動的に招いた同じ類型の反自主的外勢依存的三指導者、宣祖・高宗・金日成に対する厳しい批判が先だ。彼らは韓半島の安全と守護、内部平正と統一のためにそれぞれ明・清、そしてソ連・中国に全面介入を要請した。被動的要求だった壬辰倭乱は脇においたとしても、民族内部の分裂と対決を対話と妥協を通じて克服・統合を追求するどころか、同族弾圧と除去のために先に立って外勢を呼び込んだ日清戦争時の高宗(コジョン)と韓国戦争当時の金日成の反民族的・反民衆的形態は厳しく批判を受けなければならない。
◆国家間信頼は真実から出てくる
韓国政府と民主勢力の覚醒が急がれる。民主化運動の過程における一時の幻想のために現実主義を逃してはならない。韓国戦争わい曲を通した過去の召喚のように中国の冷静な南北・政経分離を象徴する現実主義もない。
理念でない現実を見よ。理念と全体主義に対する文盲により、過去に反帝・反米の偏向に陥ったといっても、今では国際関係で人権・自由・平等・民主主義・平和の普遍価値に目を開かなければならない。
蔓延した韓国社会の記憶分裂症も克服しなければならない。中国の事実否定に対する穏健対応は日本の歴史否定に対する強硬反発とは正反対だ。植民侵略の否定は強力に反発して、共産侵略の否定には沈黙で対応するなら、自己分裂の病気にすぎない。さらに「歴史を忘れた民族に未来はない」とする命題が遠い過去である植民侵略にだけ該当し、近い過去である共産侵略には該当しないなら、そのような虚構は全く民族主義ではない。
国家間の信頼は真実から出てくる。わい曲は真実に勝ることができない。また、真実の否定の上に構築される友情は虚構だ。歴史は厳正で真実は堅固だ。長年の隣国・中国が真実に基づいて韓中友好と世界平和を共に変えていく良う求める。隠蔽とわい曲を越える真の太陽の光の下、共に善隣と平和の未来を作っていくことを希望する。
パク・ミョンニム/延世(ヨンセ)大学教授(政治学)・リセットコリア運営委員
習近平中国国家主席は10月19日、抗米援朝70周年記念展覧会と23日70周年記念大会に相次いで出席した。記念大会における習氏の発言の要点は5つだった。1950年6月25日の戦争勃発、米国の韓国内戦武力干渉、中国の抗米援朝戦争への参戦、中朝共同生死と友情、抗米援朝戦争の偉大な勝利。
現代中国の建設と発展、国家安全保障と国際関係において、韓国戦争が占める決定的地位に照らし、習主席の発言が持つ歴史的意味と重さは正しい。韓国戦争を機に中国は建国を成し遂げ、戦時米中戦争と中ソ葛藤を通じて世界強国に台頭したためだ。
しかし真実の問題は異なる次元だ。まず、習主席は韓国戦争開始の主体と事実に言及しなかった。戦争決定過程で毛沢東の関与と責任を覆い隠すと同時に、自分たちの参戦正当性を強調するための真の隠蔽だった。このように戦争勃発とその性格に対する韓中の認識は正反対だ。「南侵」対「南侵否定」、「スターリン・毛沢東・金日成(キム・イルソン)の合作攻撃」対「南北内戦」の対立構図だ。そのうえ韓国軍は傀儡軍とさげすむ。しかし、事実を隠したからといって真実は変わらない。韓国が正しく中国が間違っている。
◆韓国戦争は中国愛国主義ブームの材料
また、韓国戦争で米国と国連は内戦に介入したわけではなかった。まず、韓国戦争は全く内戦ではなかった。戦争の決定過程からすでにソ連と中国が深々と介入・支援していたため、開始からこの戦争は内戦ではなかった。世界内戦、すなわち世界市民戦争だった。
戦争勃発という原因行為にソ連と中国が全面的に介入していなければ、対応行為として国連と米国の参戦は不必要だった。いや、いっそ戦争自体が起きなかっただろう。攻撃は世界戦争で始まりながら、防御は内戦で対応しろという二重論理は成立し得ない。米国と国連の参戦を批判するには、ソ連と中国の戦争開始支援はもっと大きく批判を受けるべきだ。
記憶戦争の不均等も深刻だ。国家的に必要なたびに中国は韓国戦争の記憶を勝手に呼び戻す。「抗米援朝」と「上甘嶺」の記憶はその「常連」素材だ。韓国戦争は中国の愛国主義ブームの中心材料だ。韓国戦争を扱った映画『上甘嶺』(1956)の主題歌『私の祖国』は世紀を越えて絶えず「召喚」される。上甘嶺の戦いは激しかった狙撃稜線の戦いを指す。『私の祖国』は中国崛起の象徴である北京オリンピック(五輪)開幕式にも登場し、米中首脳会談の時も突然演奏されたことがある。最近の米中貿易戦争の渦中に、ファーウェイ(華為)会長も上甘嶺の戦いを呼び戻した。韓国が善隣友好のために韓国戦争で中国の否定的な役割に対する公式的な記憶になるべく言及してこなかったことに反して、中国は逆に愛国主義の核心材料とみなしてきたということが分かる。
中国は今まで、戦争勃発過程での介入と支援を通じて大惨禍を招いたことに対して謝罪したことがない。大規模な参戦で虐殺と被害を生んだことに対しても同様だ。過去の敵対を越えて関係を正常化する時は一定の歴史整理が必須だ。1992年韓中修交当時、中国は韓国戦争に対して謝罪しなければならなかったのにそうしなかった。今日の韓中関係は当時の誤謬の悪影響が及んでいる。韓中修交に比較すると、経済補償まで受け取った1965年韓日修交はむしろ得策だったかもしれない。
韓国は修交時の謝罪不要求にも、2014年437具を皮切りに今年117具に至るまで、7回に渡って中国軍の遺骸を送還した。国際規範と人道主義原則を尊重したためだ。人道には人道で、好意には好意で応対するのが文明国家の行動倫理だ。遺骸発掘や送還を含めて、韓国戦争遺産の克服に関する限り、韓国は中国を最大限配慮してきた。中国のように、韓国が必要な時にいつも中国の韓国戦勃発介入と参戦を呼び出して批判すれば、未来の韓中関係の健全な発展は可能だろうか。互恵は隣国に対する礼儀の出発だ。
中国は韓半島(朝鮮半島)問題に武力介入が深いほど崩壊と損害だった。平和のための架け橋の役割が必須である境界国家・韓国の地政学的本質のためだった。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の参戦で明国が滅亡し、日清戦争で清国が崩壊し、韓国戦争参戦は中国の長期孤立と全体主義を生んだ。相互主権尊重が韓中互いのために必須である理由だ。
韓国で19世紀末に独立門(トンニンムン)・独立館を含めて近代的「独立」概念と意識が初めて登場した理由も、覇権的な中国の干渉からの主権確保のため自主意識の産物だったという点を肝に銘じなければならない。韓中の相互対等と尊重、自主と自律をいう。孟子の言葉を借りれば以小事大だ。これが正解だ。いや実際のところ、今日は小も大もない。それぞれ微塵も君臨したり卑屈になったりするべきではない。
北伐から北学に変えた現実主義者の均衡感は驚く。「蛮夷をはね除けるどころか、私たちの中の蛮夷的な性格を変えることすらできないか心配」と話した朴斉家(パク・ジェガ)は「罪で死ぬことも顧みず」正祖(チョンジョ)に上訴し、200年の平和に安住して千載一遇の機会に弥縫策で一貫すれば、国が憂患に陥ってしまうと警告する。100年後、朴斉家の警告は現実になった。今でも韓中経済関係のために歴史わい曲に抗議もせず弥縫してはいけない。
それなら、内部の省察はこれ以上なく重要だ。全面的な外勢介入状況を受動的・能動的に招いた同じ類型の反自主的外勢依存的三指導者、宣祖・高宗・金日成に対する厳しい批判が先だ。彼らは韓半島の安全と守護、内部平正と統一のためにそれぞれ明・清、そしてソ連・中国に全面介入を要請した。被動的要求だった壬辰倭乱は脇においたとしても、民族内部の分裂と対決を対話と妥協を通じて克服・統合を追求するどころか、同族弾圧と除去のために先に立って外勢を呼び込んだ日清戦争時の高宗(コジョン)と韓国戦争当時の金日成の反民族的・反民衆的形態は厳しく批判を受けなければならない。
◆国家間信頼は真実から出てくる
韓国政府と民主勢力の覚醒が急がれる。民主化運動の過程における一時の幻想のために現実主義を逃してはならない。韓国戦争わい曲を通した過去の召喚のように中国の冷静な南北・政経分離を象徴する現実主義もない。
理念でない現実を見よ。理念と全体主義に対する文盲により、過去に反帝・反米の偏向に陥ったといっても、今では国際関係で人権・自由・平等・民主主義・平和の普遍価値に目を開かなければならない。
蔓延した韓国社会の記憶分裂症も克服しなければならない。中国の事実否定に対する穏健対応は日本の歴史否定に対する強硬反発とは正反対だ。植民侵略の否定は強力に反発して、共産侵略の否定には沈黙で対応するなら、自己分裂の病気にすぎない。さらに「歴史を忘れた民族に未来はない」とする命題が遠い過去である植民侵略にだけ該当し、近い過去である共産侵略には該当しないなら、そのような虚構は全く民族主義ではない。
国家間の信頼は真実から出てくる。わい曲は真実に勝ることができない。また、真実の否定の上に構築される友情は虚構だ。歴史は厳正で真実は堅固だ。長年の隣国・中国が真実に基づいて韓中友好と世界平和を共に変えていく良う求める。隠蔽とわい曲を越える真の太陽の光の下、共に善隣と平和の未来を作っていくことを希望する。
パク・ミョンニム/延世(ヨンセ)大学教授(政治学)・リセットコリア運営委員
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