説教でたどるパウロの生涯

 「使徒行伝」などの説教を通して、パウロの生涯を学び、信仰生活の道しるべとします。

神の最高の導き

2025-02-01 18:05:00 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(16)

神の最高の導き
〜リディアとの出会い〜

「そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。
リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。」
 (使徒の働き 16章 13〜14節)

パウロたち一行は、トロアスから船に乗り、エーゲ海を渡り、サモトラケ(離島)を経由して、マケドニアのネアポリス港に着きました。そこから陸路ピリピに行きました。


(新改訳2017の巻末地図)
赤い実線が第2回伝道旅行の経路


ここは、マケドニアの主要都市でした。
パウロの伝道方針は、まずその地方の主要都市に本拠地をもうけ、そこからその周辺地域に伝道したようです。

ピリピは大きな町でしたが、
ユダヤ教の会堂がありませんでした。
そういうところでは、安息日に河原で祈っている人たちがいたので、河原に行くと女性たちが祈っていました。

パウロはそこで路傍伝道ならぬ河原伝道を始めました。

そこにリディアという紫布を売る商人がいて、神様は彼女の心を開いて、パウロが語る言葉に耳を傾けるようになさった。彼女はパウロの言葉に心を留め、即座に福音を受け入れ、家族そろって洗礼を受けました。


リディア=「ティアティラ市の紫布の商人」であるということ。

地図を見ていただくと分かりますが、
ティアティラ市はアジアの都市で、エペソ市から遠くはありません。

パウロは元々エペソを基地として、アジア地域に伝道することを計画しており、ティアティラ市も伝道対象に入っていたことでしょう。

しかし、前回申しましたように、アジア伝道は断念せざるを得ませんでした。

ところが、ピリピに渡ってみると、
びっくり!ポン!
ティアティラ市の紫布の商人が真っ先に洗礼を受けたのです。

ティアティラ市は紫布の産地でしたから、おそらくピリピに本社を置き、ティアティラ市に工場があったのでしょう。 
ティアティラ市に頻繁に行き来があったと思います。

ティアティラ市の教会はヨハネの黙示録にも出てきますが(黙2:18)、
おそらくリディアがティアティラ市でも証しし、それが伝道や成長につながったのではないかと思います。

また、他の紫布の商人を通して、エペソ伝道にもつながった可能性もあります。

ちなみにパウロは、この第2回伝道旅行の帰路、エペソに立ち寄り、エペソの教会を指導しています。

パウロはアジアで伝道したかったが、
できなくなってしまいました。
諦めていたかもしれません。
しかし、神様は非常に不思議な方法でアジア伝道を推進してくださいました。
神様は、紫布の商人を通して、ヨーロッパ伝道とアジア伝道を並行して推進されたのです。

諦めてしまったこと、諦めかけていることでも、パウロのように神様に主導権を明け渡して、神様にすべてをお任せして、神様に導かれるままに生きているなら、神様は諦めていたことまでも実現してくださいます



ピリピ教会の誕生

「彼女(リディア)とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は『私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください』と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。」(使徒の働き 16章 15節)

当時、キリスト教会と言えば、ほとんど家の教会でした。
リディアは裕福な商人だったので、人が集まれるぐらいのスペースはあったと思います。

ピリピ教会は女性たちの集まりから始まった教会です。

彼女たちは異邦人でしたが、ユダヤ教に興味を持っていました。
おそらくリディアはティアティラでユダヤ教や(旧約)聖書に触れて、神様の素晴らしさと高潔な教えに共感して、祈るようになったと思います。

そして生きて働いておられる神様はそんなリディアのことを見ておられ、彼女を救いに導き、さらにヨーロッパやアジア伝道のために用いようとなさったのです。

そして神様は彼女の心を開いて、パウロが語る言葉に耳を傾け、素直に受け入れることができるようにしてくださいました。
そして家族そろって洗礼(バプテスマ)を受けることになったのです。


リディアと彼女の家族を救われた神様は、今も生きて働いておられます。
神様は今でも人々の心を開いて、神様のことばに、福音に耳を傾け、受け入れる人を起こしてくださいます。

神様がリディアのような人を起こしてくださるように、また家族の心も開いてくださるように、神様の力を信じて、祈り続けましょう。


「伝道というのは、主が心を開こうとしている人のところへ遣わされて語るということでしょうか。初めにしっかりと信仰を受け取った人がいたので、良い教会が育ったのではないでしょうか。」(織田 昭)



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人間の計画と神の計画

2025-01-31 18:39:00 | パウロの生涯に学ぶ
パウロの生涯(15)

人の計画と神の計画

禁じられた伝道計画

「それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。」
 (使徒の働き 16章 6〜7節)





「アジアでみことばを語る」のアジアというのは、エペソとその周辺の地域のことだろうというのが定説のようです。

パウロは伝道計画を立てていました。それは、まずエペソを拠点として、その周辺の地域に伝道牧会するという計画でした。
ところが、その計画が聖霊によって禁じられたというのです。


「聖霊によって禁じられた」ということは、具体的にどういうことなのか、色々と説がありますが、分かっていません。

1.病気説
2.ユダヤ教徒による待ち伏せや妨害。
3.預言者がいて「アジアへは行ってはいけない」という主の示しをパウロに伝えた。

上記のような理由で、
エペソ(西)に行こうとしたが、禁じられて、北に方向を変え、
ビティニアに進もうとしたが、またもや禁じられて、今度は西に方向を変えました。 
そしてついにトロアスまでやって来ました。
ここは、アジアの一番端、最果ての地です。


パウロは、進んで行こうとしたけれど、何度も禁じられ、エペソも駄目,ビティニヤも駄目となれば,一体どこへ行けばよいのか?
悩み苦しんだと思います。

キリストを伝えるために,最も条件の整っている中心地を祈って祈って選んだのに,それが二度までも不可能になったのです。


私も現役の牧師をしていたころ、
3ヶ年宣教計画など、中期計画を立てたりしていましたが、
教団から異動を命じられて、計画の中止を余儀なくされたことがありました。

伝道や教会活動だけてなく、
私生活などでも、進学や就職、結婚などでもうまく進まないことがあります。また時が来るまで待たされることもあります。



聖霊の導きに従う

その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。"
 (使徒の働き 16章 9〜10節)

神様はパウロにアジアではなく、ヨーロッパで伝道させようとなさったのです。

神様は、パウロが祈って、練りに練った計画を潰してまで,まったく別なところへ導いて行かれました。

そしてパウロはヨーロッパに渡って行くことが主の御心だと確信したら、
速やかにそれに従って行きました。


パウロは、自分が主導権を握って、自分の思い通りにしようとするのではなく、
聖霊なる神様に、主導権を明け渡して、聖霊に導かれるままに、従って行ったのです。
  

しかも、トロアスからはルカという新しい助け手も与えられました。
神様はパウロの働きのために、シラス、テモテ、さらにルカと、新しい助け手を次々と備え、与えてくださったのです。


イザヤ書に
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なる。
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書 55章 8〜9節)"
というみことばがあります。

神様はパウロの思いや願いをはるかに越えた、パウロよりも高くて大きい計画を持っておられたのです。

私たちの場合も同じです。
私たちが主導権を神様に明け渡して、神様にお任せするなら、
神様は私たちを最善の道に導いて行ってくださいます。




神様の人事(適材適所)

2025-01-31 06:19:00 | パウロの生涯に学ぶ

パウロの生涯(14)


神様の人事(適材適所)



人間関係の決裂

パウロはバルナバと相談して、
第1回伝道旅行で開拓した小アジアの諸教会をもう一度巡回しようとしました。

「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。
しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。
こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。」
 (使徒の働き 15章 37〜40節)


バルナバは2回目の伝道旅行に、マルコを同行させようと提案しましたが、パウロは第1回伝道旅行の途中で離脱した者を連れて行くのは良くないと言って、固辞しました。


マルコはバルナバの従兄弟だったので、身内に甘くなり、もう一度、セカンド・チャンスを与えてあげたかったのではないでしょうか。
非常に個人的な理由です。
 
また、パウロからすれば、
「一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよい」ということで、非常に客観的です。


しかし、パウロとバルナバたちは完全に断絶してしまったわけではありません。

この後、数年経った頃、第3回伝道旅行でエペソにいたパウロは、コリント教会に手紙を書いていますが、
その中で「私とバルナバだけには、生活のために働かなくてもよいという権利がないのですか。」
 (Ⅰコリント 9章 6節)
と言って、バルナバを同労者として認めています。

別れ別れになってしまっても、
パウロはバルナバのことを気にかけており、主にある同労者として認めていました。


また、マルコは後にパウロからも
「マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」(Ⅱテモテ4:11)
と言っています。 


パウロは、バルナバのことも、マルコのことも、気にかけ、祈っていたのではないかと思います。



私たちの場合

私たちも引越や、様々な理由で、別れ別れになってしまうこともありますが、相手のために祈り続けるクリスチャンでありたいと思います。

また後になってから後悔しないように、謝る必要があるならば謝って、
和解できる間に和解したいと思います。



適材適所

そこでバルナバはマルコを連れて、バルナバの生まれ故郷キプロスに行き、
パウロはエルサレムに戻っていたシラスを連れて、陸路で小アジアに向かいました。
 

(新改訳2017の巻末地図より)
赤い実線が第2回伝道旅行の行程です。


パウロとバルナバの関係は、決裂してしまいましたが、
もしかしたら、これが神様の御計画であり、御心であったのではないかと思います。

パウロは小アジアの開拓教会の巡回を考えていましたが、
神様の側では、ヨーロッパ伝道を計画しておられました


ヨーロッパ伝道を全うするという意味では、神様の目から見れば、生まれ故郷キプロスでの伝道を望むバルナバよりも、シラスのほうがふさわしかったのかもしれません。
 

神様は人事権を持っておられ、適材適所、神様の働きのために、必要な人材を備えて送られます。
現代の牧師の人事も同じでしょう。



新しい助手

パウロはバルナバとも別れ、
第1回伝道旅行とは違って、陸路をデルベへと向かいます。

「それからパウロはデルベに、そしてリステラに行った。すると、そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ人女性の子で、父親はギリシア人であった。
彼は、リステラとイコニオンの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
パウロは、このテモテを連れて行きたかった。」(使徒 16:1〜3a)


そしてリステラに着いたとき、
パウロはテモテという青年を見つけました。
彼はとても評判が良かったので、パウロは彼を伝道旅行に連れて行きたいと思いました。

パウロはバルナバとの関係が決裂し、一緒に伝道することができなくなってしまいました。

しかし、神様はそんなパウロにシラスを与え、さらに助手としてテモテを与えてくださいました。

しかもこのテモテは将来、パウロの片腕となり、パウロが投獄された時にパウロの名代となって、パウロの代わりに牧会者となりました。


なお、16章10節からは、さらに医者ルカが仲間に加わりますが、それについては、また次回お話しいたします。


神様はこのように必要な人材を備え、与えてくださったのです。


それで、その地方にいるユダヤ人たちのために、彼に割礼を受けさせた。彼の父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。"
 (使徒の働き 16章 1〜3節bc)

テモテは父がギリシア人、母がユダヤ人でした。この場合、当時の習慣では子どもはユダヤ人と見なされることが多かったのです。
ユダヤ人なのに割礼を受けていないのは不都合なので、パウロは彼に割礼を授けたのです。
 (テモテが全くの異邦人なら、割礼を授けることはなかったでしょう。)

それによって、テモテもパウロも社会的に信頼され、伝道活動が容易になったのでしょう。


現代の日本でも、日ごろから社会的に信用してもらえるような生活をすることが、伝道する上でも大切だと思います。


次回はいよいよヨーロッパに向かっていきます。


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会議を導く神

2025-01-30 12:19:00 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(13)

会議を導く神


聖書は特記のない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。


エルサレム会議

エルサレムからユダヤ主義クリスチャンがアンティオキアにやってきて、
割礼を受けなければ救われないと教え始めました。

これを聞いた信徒たちに動揺が広がりました。

そしてバルナバやパウロと激しい論争になり、この問題を解決するために、
エルサレムで会議を行うことになりました。
A.D.49年ごろの出来事であったと言われています。

参加者は使徒たちと各教会の長老たちです。


会議では、まずエルサレム教会の使徒ペテロが発言します。

ペテロはローマ人の百人隊長コルネリウスを救いに導いた経験(使徒10章)から、
神様は異邦人にも聖霊を与え、信仰によって清めてくださった。
それなのに私たちも負いきれなかった律法のくびきを異邦人にも負わせようとするのか。(7〜10節)」
と主張しました。


次にバルナバパウロが発言します。
「そして、バルナバとパウロが、神が彼らを通して異邦人の間で行われたしるしと不思議について話すのに、耳を傾けた。」(12節)


最後にヤコブ(エルサレム教会の代表でイエス様の弟)が発言します。
ヤコブは(旧約)聖書――主にアモス書9:11以下――を引用しながら、
異邦人を救うことは、昔から神様の御計画であり、神様が預言しておられたことなんだと言いました。

そしてヤコブは最後に、
「"ですから、私の判断では、異邦人の間で神に立ち返る者たちを悩ませてはいけません。
ただ、偶像に供えて汚れたものと、淫らな行いと、絞め殺したものと、血とを避けるように、彼らに書き送るべきです。(19〜20節)」
こう言って締めくくりました。

結局、これが結論となりました。


そしてエルサレム会議の決議は、パウロたちの異邦人伝道の働きを、更に推進していくことになりました。


エルサレム会議の成功には、

1.ペテロやヤコブなどのエルサレム教会の指導者たちが賛成に回ったこと。

2.パウロたちが伝道旅行で異邦人の救いを体験しただけでなく、
ペテロもコルネリウスの回心と救いの体験から、神様の御心であると確信した。

3.エルサレム教会の指導者で、イエス様の弟であるヤコブが、(旧約)聖書を引用して、聖書に書いてある(預言されていた)ことであると証言しました。

以上のことが、成功に至った要因になったと思います。

しかし、大切なことは、織田昭氏が言っているように、
聖霊ご自身が働かれて,パウロが宣べ伝えていたの福音を疑問視する人たちを黙らせた」ということです。

聖霊なる神様が、異邦人たちを救うという御自身の御計画を実現させるために、御心のままに、会議をも導かれたのです。



会議を導く神

古代以降の公会議はもちろんのこと、
現代でも、教団の会議や、各個教会内の会議などに聖霊なる神様が生きて働いておられ、導いておられます。

現代でも、特に教会堂の建築や改築などの時に教会が分裂しそうなぐらい反対意見が出ることもあります。

しかし、会議の決議が自分の思い通りの結果でなかったとしても、それも神様の御心である。神様には神様の御計画があると信じて、従順に従っていくことも大切なのではないでしょうか。



事後処理

「そこで、使徒たちと長老たちは、全教会とともに、自分たちの中から人を選んで、パウロとバルナバと一緒にアンティオキアに送ることに決めた。選ばれたのはバルサバと呼ばれるユダとシラスで、兄弟たちの間で指導的な人であった。」(使徒15:22)

アンティオキア教会から来たパウロとバルナバだけでなく、
真実性を証明するために、
エルサレム教会の中からユダとシラスを選出して、アンティオキア教会に派遣しました。


「彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。『兄弟である使徒たちと長老たちは、アンティオキア、シリア、キリキアにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつを送ります。・・・』」
 (使徒の働き 15章 23節)

パウロ・バルナバ・ユダ・シラスの4人の証人に、さらに手紙を持たせて、小アジアの各教会に回覧できるようにしました。


「人々はそれを読んで、その励ましのことばに喜んだ。
ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、力づけた。」
 (使徒の働き 15章 31〜32節)

ユダヤ主義者たちの教えによって大混乱したアンティオキア教会でしたが、
エルサレム会議の決議と、それを伝えた人たちのことばと手紙で、異邦人クリスチャンたちは大いに励まされ、力づけられ、そして喜びに満たされました。

不安に思っている信徒のために、労を惜しまないで、色んな方法(電話・手紙・訪問など相手に合った方法)で相手を励ます。
そのために労を惜しまないことも大切なことです。



第2回伝道旅行の発案 

「それから数日後、パウロはバルナバに言った。『さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか。』」
 (使徒の働き 15章 36節)

パウロは、第1回伝道旅行で開拓した小アジアの諸教会の信徒たちがどうしているか心配でなりませんでした。

ユダヤ教の強いところもあれば、
ギリシアの神々を祀っている町もありました。
地域の中で迫害を受けて、信仰から脱落しそうになってはいまいか、心配でした。

そこで彼らを励ますために、
パウロは第2回目の伝道旅行というより牧会旅行?を発案しました。

結果的には、この第2回伝道旅行は、聖霊なる神様の、人の思いを越えた大きな御計画によって、思いもかけず、ヨーロッパまで足を伸ばすことになります。

しかし、当初は第1回伝道旅行で行った小アジアの各教会を巡回するつもりだったようです。



 ──主のことば──
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
  (イザヤ書 55章 8〜9節)


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パウロの牧会的配慮

2025-01-29 09:03:00 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(12)


パウロの牧会的配慮


(新改訳2017の巻末地図より)
赤い破線が第1回伝道旅行の道のりです。



"二人はこの町(デルベ)で福音を宣べ伝え、多くの人々を弟子としてから、リステラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返して、
弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語った。
また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。"
 (使徒の働き 14章 21〜23節)



デルベに向かう

リステラで激しい迫害に遭い、半殺しにされたパウロは、満身創痍でしたが、
それでも神様の憐れみに支えられて、リステラの南東約50kmのところにあるデルベに向かい、ここで伝道します。

詳細は全く記されていないので、分かりませんが、それなりの収穫はあったようです。 

パウロは、第2回伝道旅行でも、ここに立ち寄っています。

新聖書辞典によれば、ガイオやテモテは、この町の出身であったようです。



再び試練の地に
 
ここから東南の方向に進むと、パウロの生まれ故郷タルソにたどり着きます。
パウロは満身創痍でしたから、そこでしばらく休養しても良かったのですが、
そこには行かず、その後、パウロはリストラ、イコニウム、ピシディアのアンティオキアと今まで来た道を折り返します。かつて激しい迫害を受け、半殺しにされかかった町に再度、立ち寄っています。


パウロは伝道したらそれで終わり、後はほったらかしではなく、
再度(場合によっては何度も)訪問しています。

これは、誕生したばかりの教会(信徒たち)を励まし、弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めるためでした。

そしてここでパウロは「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語っています。


私たち現代日本に住むクリスチャンも、信仰を最後まで貫き徹すのは容易ではありません。

悪魔(サタン)は信仰者を駄目にしてやろうと、手を変え品を変え、攻撃を仕掛けてくるからです。

そのために、教会から離れ、信仰から離れてしまう人も多いです。

私たちが神様の御国に入るまでは、色々と試練に出会います。
だからこそ、そのためにも、教会が必要なのです。牧師による牧会も、聖徒の交わりも必要なのです。

そしてそのために、パウロは、教会ごとに長老たちを選びました。  
牧会書簡(テモテやテトスに送った手紙)に見られるように、
パウロは牧会をものすごく大切にしました。 

そして後には、信徒の執事を設けたり、パウロの弟子であるテモテや、さらにマルコをパウロの代理として派遣して牧会しています。

パウロはただの巡回伝道者ではなく、優れた牧会者でもあったのです。

しかし、最も大切なことは、
断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。(23節)」
ということです。

主イエス様(そしてご聖霊様)に御支配していただき、導いていただく。それがメインであって、
牧師・長老(役員)・執事などの制度は、そのための道具であり、手段(恵みの手段)なのです。

ですから牧師も役員も教師や執事も、
自分が教会を支配するのではなく、
主イエス様(そしてご聖霊様)に御支配していただくように、
謙遜になってよく祈って、仕えていくのです。



宣教報告会

パウロは今まで伝道してきたところに立ち寄って、信徒たちを励ましながら、デルベまで戻ります。

そして船便の都合であったのかどうか分かりませんが、アタリア港からキプロスには寄らないで、アンティオキア教会に戻ります。

アンティオキア教会に戻ったパウロは、宣教報告会をします。

「そこに着くと、彼らは教会の人々を集め、神が自分たちとともに行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。」
 (使徒の働き 14章 27節)
 
ここで大切なことは「神が自分たちとともに行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」というように、
神が主語になっていることです。

宣教の業は、人間の業ではなく、あくまでも神様の御業です。
異邦人に信仰の門を開いてくださったのも神様です。

もちろん燃えるような信仰や情熱、熱心さも必要ですが、それも聖霊から来るものです。

かつてイザヤは
「今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」"
 (イザヤ書 9章 7節)
と言いましたが、
消えやすい人間の情熱や熱心さではなく、万軍の主の熱心なのです。

異邦人を愛して導かれるのも、主の熱心です。

そしてそのために――異邦人を救うために――聖霊なる神様は、バルナバとパウロの2人を選び、送り出し、異邦人を信仰へと導いて、救われたのです。

神様が自分たちを通して、どのようなことをしてくださったのか、そのことを証しすること、そしてその主を賛美することが大切なのです。



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