パウロの生涯(16)
神の最高の導き
〜リディアとの出会い〜
「そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。
リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。」
(使徒の働き 16章 13〜14節)
パウロたち一行は、トロアスから船に乗り、エーゲ海を渡り、サモトラケ(離島)を経由して、マケドニアのネアポリス港に着きました。そこから陸路ピリピに行きました。
(新改訳2017の巻末地図)
赤い実線が第2回伝道旅行の経路
ここは、マケドニアの主要都市でした。
パウロの伝道方針は、まずその地方の主要都市に本拠地をもうけ、そこからその周辺地域に伝道したようです。
ピリピは大きな町でしたが、
ユダヤ教の会堂がありませんでした。
そういうところでは、安息日に河原で祈っている人たちがいたので、河原に行くと女性たちが祈っていました。
パウロはそこで路傍伝道ならぬ河原伝道を始めました。
そこにリディアという紫布を売る商人がいて、神様は彼女の心を開いて、パウロが語る言葉に耳を傾けるようになさった。彼女はパウロの言葉に心を留め、即座に福音を受け入れ、家族そろって洗礼を受けました。
・リディア=「ティアティラ市の紫布の商人」であるということ。
地図を見ていただくと分かりますが、
ティアティラ市はアジアの都市で、エペソ市から遠くはありません。
パウロは元々エペソを基地として、アジア地域に伝道することを計画しており、ティアティラ市も伝道対象に入っていたことでしょう。
しかし、前回申しましたように、アジア伝道は断念せざるを得ませんでした。
ところが、ピリピに渡ってみると、
びっくり!ポン!
ティアティラ市の紫布の商人が真っ先に洗礼を受けたのです。
ティアティラ市は紫布の産地でしたから、おそらくピリピに本社を置き、ティアティラ市に工場があったのでしょう。
ティアティラ市に頻繁に行き来があったと思います。
ティアティラ市の教会はヨハネの黙示録にも出てきますが(黙2:18)、
おそらくリディアがティアティラ市でも証しし、それが伝道や成長につながったのではないかと思います。
また、他の紫布の商人を通して、エペソ伝道にもつながった可能性もあります。
ちなみにパウロは、この第2回伝道旅行の帰路、エペソに立ち寄り、エペソの教会を指導しています。
パウロはアジアで伝道したかったが、
できなくなってしまいました。
諦めていたかもしれません。
しかし、神様は非常に不思議な方法でアジア伝道を推進してくださいました。
神様は、紫布の商人を通して、ヨーロッパ伝道とアジア伝道を並行して推進されたのです。
諦めてしまったこと、諦めかけていることでも、パウロのように神様に主導権を明け渡して、神様にすべてをお任せして、神様に導かれるままに生きているなら、神様は諦めていたことまでも実現してくださいます。
ピリピ教会の誕生
「彼女(リディア)とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は『私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください』と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。」(使徒の働き 16章 15節)
当時、キリスト教会と言えば、ほとんど家の教会でした。
リディアは裕福な商人だったので、人が集まれるぐらいのスペースはあったと思います。
ピリピ教会は女性たちの集まりから始まった教会です。
彼女たちは異邦人でしたが、ユダヤ教に興味を持っていました。
おそらくリディアはティアティラでユダヤ教や(旧約)聖書に触れて、神様の素晴らしさと高潔な教えに共感して、祈るようになったと思います。
そして生きて働いておられる神様はそんなリディアのことを見ておられ、彼女を救いに導き、さらにヨーロッパやアジア伝道のために用いようとなさったのです。
そして神様は彼女の心を開いて、パウロが語る言葉に耳を傾け、素直に受け入れることができるようにしてくださいました。
そして家族そろって洗礼(バプテスマ)を受けることになったのです。
リディアと彼女の家族を救われた神様は、今も生きて働いておられます。
神様は今でも人々の心を開いて、神様のことばに、福音に耳を傾け、受け入れる人を起こしてくださいます。
神様がリディアのような人を起こしてくださるように、また家族の心も開いてくださるように、神様の力を信じて、祈り続けましょう。
「伝道というのは、主が心を開こうとしている人のところへ遣わされて語るということでしょうか。初めにしっかりと信仰を受け取った人がいたので、良い教会が育ったのではないでしょうか。」(織田 昭)
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