説教でたどるパウロの生涯

 「使徒行伝」などの説教を通して、パウロの生涯を学び、信仰生活の道しるべとします。

パウロの伝道説教(2)〜未完成な説教〜

2025-01-29 08:03:00 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(11)


パウロの伝道説教(2)
〜異邦人への不完全な説教


パウロとバルナバは、ピシディアのアンティオキアを離れ、イコニオンに移動しました。140kmぐらいは離れています。


(新改訳2017の巻末地図より)
赤い破線が第1回伝道旅行の道のりです。


ここでもピシディアのアンティオキアと同じことが起こります。

信じる人と信じない人が起こり、
イコニオンの町は、信じた人と信じなかった人とで2分されてしまいます。
そしてユダヤ人たちによる迫害が起こります。


パウロたちは迫害を避けて南行し、
イコニオンから40kmのところにあるリステラに移りました。ここは、ほぼ異邦人の町でした。



いやしの後で

ここでは、生まれつき足の不自由な人と出会います。

その男はパウロが語る恵みの言葉に聴き入っていました。
彼の心には次第に信仰と希望が湧いて来ました。
彼がパウロを見るまなざしから、パウロは彼が癒される信仰を持っているのを見て取れました。
そして、彼に立ち上がるように命じると、彼はたちまち癒されたのです。


しかし、問題はその後です。
ここで今まで経験したことがない、思いがけない出来事が起こりました。


「群衆はパウロが行ったことを見て、声を張り上げ、リカオニア語で『神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった』と言った。
そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人だったことから、パウロをヘルメスと呼んだ。
すると、町の入り口にあるゼウス神殿の祭司が、雄牛数頭と花輪を門のところに持って来て、群衆と一緒にいけにえを献げようとした。」
 (使徒の働き 14章 11〜13節)

リステラは、ユダヤ人は ほとんどいないようで、ギリシア神話の町でした。

パウロたちが癒しの奇跡を行ったところ、
群衆たちは声を張り上げて「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになった」と叫び、
パウロたちのことをギリシアの神々の名前で呼び始めました。
(ゼウスは最高神、ヘルメスは雄弁の神)

さらにそこにゼウス神殿の祭司まで現れ、いけにえを献げようとしたのです。

これを見たパウロは説教を始めます。



異邦人への説教

「皆さん、どうしてこんなことをするのですか。私たちもあなたがたと同じ人間です。」    (14章15節a)

まずパウロは自分が神だと思われているようなので、自分も皆さんと同じ人間であるということを告げます。
神は神、人は人と厳正に区別しなければならないことを告げます。

神が人になったり(イエス様だけ特別!に人になった)、また菅原道真のように人が神になったりすることはないのです。


「そして、あなたがたがこのような空しいことから離れて、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えているのです。」(15節b)

パウロが宣べ伝えている神様は、
まず今も生きて働いておられる神様です。

そして人間が手で作った偶像の神々とは違って、天と地と海と、その中にあるすべてのものを創った神様(創造主)であるということです。

パウロたちは、その神様に立ち帰ることようにと伝えていたのです。

「神は、過ぎ去った時代には、あらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むままにしておられました。
それでも、ご自分を証ししないでおられたのではありません。あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです。」
 (16〜17節)

神様は、異邦人たちがそれぞれ自分勝手に生きているときでも、
雨を降らせて、必要な食べ物を収穫できるようにし、食べ物で私たちの心を満たして、私たちを喜ばせてくださっておられたのです。

これとよく似た言葉は、
山上の説教に誰でも知っているイエス様のみことばにもあります。
「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイ5:45)

このように誰にでも無条件に与えられる神様の恵みのことを《一般恩寵》と言います。

それに対して、キリストの十字架の救いのように信じる者だけしか与えられない恵みを《特殊恩寵》または《特別恩寵》と言います。

ここでパウロは、天と地を創造し、彼らの必要を満たしてくださる生ける神を受け入れるよう、人々に勧めでいます。


こう言って二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げるのを、かろうじてやめさせた。(使徒14章 15〜18節》

 

説教の導入

パウロは、ユダヤ人に伝道する時は、「パウロの伝道説教(1)」で前述しましたように、
ユダヤ人なら誰でも知っているユダヤ人の歴史から入りました。

つまり、絶えず神様に背き続けるイスラエルの民を決して見捨てないで、導き続けた神様の愛から始めます。

しかし、異邦人に対しては、
まことの生ける神様のことを知らなくても、食べ物を与え続けてくださった神様の恵みにまず聴衆の心を向けさせています。

つまり、誰でも感じ取ることができる神様の愛と恵みに聴衆の心を向けさせて、そこから本題に入っています

説教者として学ぶところ大です。



未完成な説教

このリステラでのパウロの伝道説教は、一般恩寵を提示する序論(導入)だけで終わり、本論(イエス様の十字架による救い)がありません。

このことから、ある学者は、パウロはまだ異邦人向けの伝道説教がうまくできなかったのではないかと言っています。

おそらくパウロにとって、ユダヤ教(旧約聖書)の知識が全くない、全くの異邦人に向けて説教するのは初めてであったのでしょう。

それでまだ模索中であったのかもしれません。

しかし、私はこの説教が未完成に終わったのは、それだけではなかったと思います。

使徒の働きの聖書箇所の前後関係(文脈)を正しく読むことが大切です。

このすぐ後の19節です。

「ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにした。彼らはパウロが死んだものと思って、町の外に引きずり出した。」
 (使徒の働き 14章 19節》

ここにはピシディアのアンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来て、群衆を扇動して、パウロを石打にしたということが書かれています。

つまり、このために、パウロは説教を続けたくても、続けることができなくなってしまったのです。

聖書を読むときは聖書本文の前後関係(文脈)をきちんと読んで、そこから判断することも大切です。

パウロは半殺しにされ、意識不明の状態になってしまいましたが、
意識を回復し、翌日、デルベに向かっていきます。

 

福音は異邦人へ

2025-01-28 08:37:00 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(10)

福音は異邦人へ


ユダヤ人たちの拒絶

「次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。」
 (使徒の働き 13章 44〜45節)

ピシディアのアンティオキアでのパウロの活動の続きです。


翌週の安息日には、街中の人たちが会堂に集まって来ました。
しかし、それを見たユダヤ人たちは、パウロたちの人気を妬んで、パウロの言葉に反対して、パウロを口汚くののしったというのです。

ユダヤ人たちが「パウロの言葉に反対し」たと言うのは、単なる妬みだけではなかったと思います。
おそらく、パウロが
「律法では救われない」
「イエスが復活した」
「イエスが神のメシヤである」
と言ったことに反発したのでしょう。

また、せっかくユダヤ教に改宗しかけている異邦人たちが惑わされて、ユダヤ教から離れてしまうことも危惧したのかもしれません。



伝道方針の転換

「そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。『神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。』」"
 (使徒の働き 13章 46節)

イエス様は、ユダヤ人たちが長年の間(何百年の間)、待ち望んでいた救い主メシアだったのです。
たから、パウロは、まずユダヤ人たちに救い主メシアが誕生したということを真っ先に伝えました。
ユダヤ人が一番最初に知る権利があると思ったからでしょう。

パウロはどこに行っても、まずユダヤ人に伝道しようとしたのには、こういう訳があったのです。


しかし、ユダヤ人はそれを受け入れようとしませんでした。
パウロは、これに対して、ユダヤ人が自ら「永遠のいのちにふさわしくない者にしています」と言っています。



神のことばに対する応答

私たちも気をつけなければなりません。
聖書のみことばは、今の私たちのために書かれたみことばでもあるのです。

私たちも当時のユダヤ人のように、
神様が牧師を通してせっかく語ってくださっておられるのに、
反発したり、
受け入れようとしなかったりすると、
私たちも「自ら永遠のいのちにふさわしくない者に」なってしまいかねません。



ユダヤ人から異邦人へ

パウロたちは、ピシディアのアンティオキアでは、もうこれ以上、ユダヤ人に伝道しようとはせず、
これからは異邦人に伝道することにしました。


「主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
 (使徒 13章47節)

パウロがここで引用している御言葉は。イザヤ書49:6, 42:6, 45:22 の3つのイザヤ書の御言葉をミックスして使っています。

そしてパウロたちによる異邦人伝道の結果、異邦人たちは喜んで、こぞって、キリスト教に入信しました。



喜びと聖霊に満たされて


「ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。・・・弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」(使徒13:50, 52)

パウロとバルナバは、激しい迫害を受けて、ピシディア地方から追い出されますが、
しかし「弟子たちは喜びと聖霊に満たされて」いました。


これは伝道する現代の私たちクリスチャンにとっても、励みになります。

伝道していても、なかなかうまくいかなかったり、失敗したと思って、落ち込んだり、諦めかけたりすることもあります。

しかし、伝道がうまくいかなくても、
弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。
これが大切だと思います。

伝道活動において、聖霊に満たされ、聖霊による愛と喜びに満たしていただくことは、とても大切ですし、
聖霊に満たされていると伝道が楽しくなります。
たとえ拒絶されても感謝なのです。喜びがあるのです。

しかし聖霊に満たされていないと楽しくありません。
私たちは、聖霊に満たしていただけるように、よく祈って伝道をしていきましょう。


「天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
 (ルカの福音書 11章 13節)

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パウロの伝道説教(1)

2025-01-27 10:33:00 | パウロの生涯に学ぶ
パウロの生涯(09)

パウロの伝道説教(1)
ピシディアのアンティオキアにて

パウロたち一行は、ペルゲから小アジア内陸にあるピシディアのアンティオキアに着きました。


(新改訳2017の巻末地図より)


ここで安息日になったので、ユダヤ教の会堂に入りました。
すると会堂司に頼まれて、パウロが説教することになりました。



説教の構成

説教は3つに分けられます。
16節から25節までは、出エジプトからダビデまでの歴史。
26節から37節までは、ダビデからイエスにつないで、イエスの生涯をたどる。
38節から41節までは、結論と勧告です。

しかし、第1部ではモーセからダビデまでの歴史。そしてダビデから第2部のダビデの子(子孫)であるイエスにつなぎ、イエスの十字架と復活までを語り、最後に第3部で説教の結論を語るというように、
自然に、とてもうまくつなげています。
まさにパウロの面目躍如とも言うべき、非常に整った説教です。


説教はユダヤ人なら誰でも知っているユダヤ人の歴史から始めます。
これによって聴衆は安心して説教に耳を傾けるようになります。
良い説教の実例でもあります。

しかし、それだけではありません。
神様の救済(救い)の歴史として語っています。


神による救済史

まず神様はイスラエルの民を選び、エジプトでの奴隷状態から解放してくださり、荒野で訓練し、約束の地に入れてくださいました。

そして約束の地において、
ヨシュアの時代、士師の時代、最初の王サウルの時代を経てダビデ王に至ります。 

この歴史から、
ユダヤ人の祖先は、頑なで、神様の御心や御計画を理解しようとせず、不平不満を言ったり、さらに偶像に頼ったりして、神様に背き、罪を犯してばかりいました。

しかし、そんなユダヤ人たちを神様は決して見捨てず、愛と忍耐をもって、彼らを守り、導き続けてくださいました。

会堂にいた人たちは、そのことはよく知っていました。


「神は約束にしたがって、このダビデの子孫から、イスラエルに救い主イエスを送ってくださいました。」(使徒の働き 13章 23節)

そして神様は、約束どおりに、神様はダビデの子孫から救い主イエス・キリストをお与えになりました。

イスラエルの民が神様に背き続けても、それでも神様は救い主メシアを送るという約束を守ってくださいました。


そしてそのような心にさせておいて、
自然にイエス・キリストによる救い(十字架と復活)に誘導しています。

このような神様の救済の歴史がとてもうまく語られています。
これがパウロの説教のすごいところです。


パウロは離散して異邦人の地、小アジアに住んでいるユダヤ人たちに、神様の愛と忍耐の歴史をもう一度思い出させようとしたのです。

不真実な人間に対して、あくまでも真実であろうとなさる神様の愛に、聴衆の心を向けさせようとしています。



私たちへの救済史

私たちも、時には、旧約時代の人たちと同じように、頑なで、神様の御心や御計画を理解しようとせず、不平不満を言って神様に罪を犯していたことはなかったでしょうか。

でも神様はそんな罪深い私たちをも愛してくださり、イエス様のもとに絶えず導こうとしておられるのです。

「アブラハムの子孫である兄弟たち、ならびに、あなたがたのうちの神を恐れる方々。この救いのことばは、私たちに送られたのです。」
 (使徒の働き 13章 26節)

パウロがここで言っているように、
救いのことばは、今説教を聴いている、聖書を読んでいる現代日本の私たちのためなのです。私たちに送られている神様からのメッセージなのです。



キリストの復活

説教の第2部で、パウロは、神様の救いの約束は、イエス様の十字架と復活で完全に実現した(成就した)ことを伝えていますが、
さらに復活が信じられないユダヤ人たちに、イエス様の復活も(旧約)聖書に預言されていたことなんだということを伝えています。


1つは33節。
「神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。
詩篇の第二篇に、『あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ』と書かれているとおりです。」(使徒の働き 13章 33節)

これは詩篇第2篇7節のみことばです。 

もう一つは、34〜35節です。
「そして、神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちて滅びることがない方とされたことについては、こう言っておられました。
『わたしはダビデへの確かで真実な約束を、あなたがたに与える。』」
 (使徒13章34節)

 この中の二重カギ括弧の部分は、
イザヤ書55:3の引用です。

また、
「ですから、ほかの箇所でもこう言っておられます。『あなたは、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せになりません。』」   (使徒13章35節)
 
この中の二重カギ括弧の部分は、
詩篇16篇10節からの引用です。

前述しましたように、
パウロはイエス様の復活が信じられないユダヤ人のために、 
イエス様の復活は(旧約)聖書に預言されていたことなんだよと言って分かるようにしているのです。



信仰の決断

そして38節からは勧告に移ります。
「ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。」(38節)


ここでパウロは、はっきりと、イエス・キリストによる福音を宣言し、キリスト教の根本教理を述べます。

それは、イエスによる罪の赦しと、モーセの律法によっては得られなかった義認(神様の御前で正しい者と認められ、受け入れられること)が得られるようになったということです。

39節では、さらに
この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。」
と、パウロが広めた信仰義認の教理をはっきりと明言しています。

のちにガラテヤ書やローマ書に記されて、さらにマルティン・ルターによって再確認される信仰義認の教理が、もうすでにここではっきり示されています。

この時のパウロの説教――律法が守れなくても、イエスによって罪ゆるされ、神様の前に義と認められる――は、ユダヤ人のみならず、会堂にいた異邦人のユダヤ教徒の心に響いたようです。

そして聖霊によって信仰の決断を迫られたことでしょう。

よく準備された整った説教は、聖霊と共に働いて、多くの人の心に留まるのです。

ピシディアのアンティオキアのユダヤ教徒たちは、次の安息日にも説教してほしいと言って、その日の集会を終えました。

もしかしたら、次の安息日には、その日に来られなかった人たちを誘って来たいと思ったのかもしれません。

私たちの教会もこうでありたいと思います。


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決別から和解へ

2025-01-26 19:40:00 | パウロの生涯に学ぶ
パウロの生涯(08)

決別から和解へ
(パウロとマルコ)


※この項目は説教というより、解説になります。

※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を使っています。

※この項目は、いのちのことば社の『新聖書辞典』を参考にしました。


(新改訳2017の巻末地図より)


戦線離脱

「パウロの一行は、パポスから船出してパンフィリアのペルゲに渡ったが、ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。」(使徒13:13)"

パウロたち一行は、キプロスを離れ、小アジアに渡り、ペルゲに着いた時に、助手のマルコが離脱し、エルサレムに帰ってしまいました

早速の離脱でした。

マルコがなぜ戦線を離脱して、エルサレムに帰ってしまったのか、その理由には諸説あります。

1.ホームシックになった。

2.キプロス伝道だけだと思っていたのに、小アジアの、しかも奥地にまで行こうとした。キプロスの困難を見て臆病になった。

3.上記2との関係で、主導権がバルナバからパウロに移ってしまったのが気に入らなかった。(バルナバが軽んじられている)


エルサレムでの信徒時代

ここで、伝道旅行に参加する前のマルコについて見ていきます。

マルコは、キプロス出身のバルナバの従兄弟でしたが、
実家がエルサレムにあるので、
エルサレムに生まれ育ったと思われます。
家庭は裕福であったが、父親は若くして亡くなったらしく、母に育てられた。
 
ペテロは手紙の中で、
私の子マルコが、あなたがたによろしくと言っています。」(Ⅰペテロ5:13)
と書いているので、
マルコはペテロの導きによって、クリスチャンになり、洗礼もペテロから受けたであろう。

最後の晩餐は、マルコの実家の2階で行われたので、マルコは公生涯のイエス様、さらには復活のイエス様も直接見知っていたと思われます。


伝道者として

「エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて戻って来た。」(使徒 12章25節)

使徒の働きによれば、
バルナバとパウロがエルサレムに行ったときに、伝道旅行に連れて行くつもりで、エルサレムにいたマルコをアンティオキアに連れて行った。

なぜマルコを伝道旅行に連れて行ったのかというと、
マルコは公生涯のイエスを見知っていたので、証人として証しするためであったであろう。



パウロとの決別

    「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。
    しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。
    こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、
    パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。」
     使徒の働き 15章 37〜40節


    マルコが戦線離脱してエルサレムに戻ってから、2〜3年後のこと。
    エルサレム会議を終えたパウロたちは本格的に異邦人伝道をすべく、2回目の伝道旅行を決行しました。

    しかし、誰を連れて行くかということについて、バルナバはマルコを連れて行きたかったが、
    パウロはかつて離脱した者は連れて行かないほうがいいと言って反対した。

    結局、バルナバとパウロは別行動を取るようになり、マルコはバルナバと一緒にキプロスに向いました。



    パウロの役に立つマルコ

    そして、その後、10年ちょっとした頃にローマの獄中で書かれたパウロの書簡には以下のように記されています。

    「私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。」(ピレモン24)"

    「私とともに囚人となっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もし彼があなたがたのところに行ったら迎え入れるように、という指示をあなたがたはすでに受けています。」
     コロサイ人への手紙 4章 10節

    決裂から10年余り経った頃、
    マルコはパウロの良き働き手となっていました。
    パウロの「同労者」と言われ、さらにパウロの名代としてコロサイ教会に派遣されようとしていた。


    パウロが処刑される直前に書かれたテモテへの第二の手紙によると、
    「ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」         (Ⅱテモテ4:11)

    ここでパウロはマルコのことを「彼は私の務めのために役に立」と言っています。 
    そして当時、小アジアのどこかにいたテモテに、コロサイにいるマルコを連れて一緒にローマに来てほしいと言っています。


    伝承によると、マルコはその後、エジプト最大の都市アレキサンドリアで伝道活動をして、教会の基礎を築いたと言われています。

    その後、マルコは自分が直接見聞きしたり、ペテロを通して聞いたりしたイエス様の逸話をもとにして『マルコの福音書』を執筆しました。



    所 感

    ピレモンへの手紙の中でパウロは、逃亡奴隷のオネシモについて、
    「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても、私にとっても役に立つ者となっています。」  (ピレモン11節)
    と言っています。

    神様は役に立たない人間を役に立つ者に造り変えることがお出来になります。

    おそらく背後にはマルコの母教会であるエルサレム教会の信徒たちの厚いと配慮があったと思います。
     
    また、パウロが2回目の伝道旅行をしている間に、マルコはバルナバと一緒にキプロス伝道をしていました。

    この時にマルコは、バルナバに励まされながら、伝道者として訓練され、鍛え上げられていったと思います。

    そして10数年の年月を経て、パウロの役に立つ者に変えられていったのです。

    私たちは役に立たない人がいても、
    神様はどんな人でも造り変えることがお出来になると信じて、
    その人のために愛と忍耐をもって祈り
    また、その人が決して孤立しないようにバルナバのように配慮していきたいと思います。

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    初陣での勝利

    2025-01-26 09:15:00 | パウロの生涯に学ぶ
    パウロの生涯(07)

    初陣での勝利(キプロス宣教)


    ※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。

    ※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。


    (新改訳2017の地図より)


    「二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し」(使徒 13章4節)

    セレウキア港からキプロスまでは100キロ弱の距離です。
    海外宣教の初陣の地にキプロスを選んだのは、キプロスがバルナバの出身地であったからでしょう。

    地理的な知識(土地勘)もあり、人脈などもあったと思いますので、バルナバはそれを宣教に利用しようとしたのかもしれません。

    しかし、この伝道旅行が人間的な計画やプロジェクトではなく、聖霊なる神様の一方的なプロジェクトであったということは、まもなく分かります



    ユダヤ人伝道

    「サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。彼らはヨハネも助手として連れていた。」(使徒の働き 13章5節)

    キプロスは大部分がギリシア人なのですが、パウロたち一行は、ユダヤ人の会堂で伝道をしました。

    パウロたちは、旧約聖書(当時は聖書と言えば今の旧約だけしか無かった)の知識がある人たち――全知全能の唯一まことの神様を知り、メシアを待ち望んでいる人たち――を伝道の対象として、
    彼らに「ナザレのイエスこそが待ち望んでいたメシアである」と宣べ伝えていたようです。



    聖霊主導の宣教

    「島全体を巡回してパポスまで行ったところ、ある魔術師に出会った。バルイエスという名のユダヤ人で、偽預言者であった。
    この男は、地方総督セルギウス・パウルスのもとにいた。この総督は賢明な人で、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願った。
    ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。」(使徒の働き 13章 6〜8節)

    パウロたちはユダヤ教の会堂で、ユダヤ教の知識がある人たちを対象にして伝道していましたが、
    聖霊は彼らの思いをはるかに越えて働かれました

    まさに「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ 55:9)のです。


    ローマ帝国からキプロス総督として派遣されていたローマ人のセルギウス・パウルスという人(以下、総督と言います)が、バルナバとサウロを招いて神のことばを聞きたいと願ったというのです。(7節)

    これは、まさに聖霊がパウロたちより先回りをして働かれたと言ってよいでしょう。


    しかし、宣教の業が祝福されようとすると、悪魔(サタン)も、それを妨害しようと仕掛けてきます。

    実は総督には、バルイエス、またの名をエリマという、お抱えの魔術師がいたのです。昔の日本でも政治家が陰陽師を抱えていたのと似ているかもしれません。

    魔術師エリマは、もしご主人のセルギウス・パウルスが正しいまっすぐな道に行ってしまったら、自分はクビになってしまうと思いました。

    そこで、エリマは、総督を正しい信仰から遠ざけて、総督の心が再び自分に向くようにしました。

    「ところが、その魔術師エリマ(その名を訳すと、魔術師)は、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。」(使徒の働き 13章 8節)

    しかし、ここで神様が介入され、神様が総督の入信を妨げようとするサタンの働きをやっつけてくださいます。

    本当に映画でも観ているような、手に汗握るハラハラする展開です。
    9節から11節に、パウロと魔術師の対決が記されています。
    (ここから唐突にサウロの名前はパウロに変わります。)


    「すると、サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
    こう言った。「ああ、あらゆる偽りとあらゆる悪事に満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
    見よ、主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみと闇が彼をおおったため、彼は手を引いてくれる人を探し回った。」

    総督の入信を妨げようとするサタンの働きを、神様が打ち破ってくださいました。
    サタンがいかに妨害を仕掛けて来ようとも、聖霊なる神様は、パウロたちの働きを助けられたのです



    現代への適用

    私たちが聖霊なる神様主導で伝道や奉仕の業を始めていくなら、
    聖霊なる神様が先頭に立って働かれ、聖霊が私たちを助けてくださいます。
     
    旧約聖書のサムエル記第一の17章には有名な少年ダビデと巨人ゴリアテとの対決がありました。
    そこでは、ダビデは「この戦いは主の戦いだ(Ⅰサムエル17:47)」と言って、いつも使い慣れている石投げ一つで、ゴリアテをやっつけました。
    神様が働かれたのです。


    私たちも福音宣教の働きの中で、あるいは教会の奉仕などで、サタンの妨害に遭うことがあります。
    日常生活や仕事でも、障害物や壁が立ちはだかって、うまく進まないということがあります。
    病気になってしまうこともあります。

    そのような時には、自分の知恵や力で何とかしようとするのではなく、
    まず神様が働いてくださるように、神様に祈りましょう。
    牧師や教会で祈ってもらえるなら、祈ってもらいましょう。

    主イエス様も、
    「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」(マタイ 18章 19節)
    とおっしゃっておられます。


    信仰の勝利

    さて、神様が魔術師エリマをやっつけてくださいました。
    そして
    「総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。」(使徒13:12)
    と書いてあります。

    パウロたちの初陣は神様が助けてくださって、見事勝利を獲得することができました。

    しかし、思いがけない出来事も起こりました。それはまた次回に。


     
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