パウロの生涯(10)
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福音は異邦人へ
ユダヤ人たちの拒絶
「次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。」
(使徒の働き 13章 44〜45節)
ピシディアのアンティオキアでのパウロの活動の続きです。
翌週の安息日には、街中の人たちが会堂に集まって来ました。
しかし、それを見たユダヤ人たちは、パウロたちの人気を妬んで、パウロの言葉に反対して、パウロを口汚くののしったというのです。
ユダヤ人たちが「パウロの言葉に反対し」たと言うのは、単なる妬みだけではなかったと思います。
おそらく、パウロが
「律法では救われない」
「イエスが復活した」
「イエスが神のメシヤである」
と言ったことに反発したのでしょう。
また、せっかくユダヤ教に改宗しかけている異邦人たちが惑わされて、ユダヤ教から離れてしまうことも危惧したのかもしれません。
伝道方針の転換
「そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。『神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。』」"
(使徒の働き 13章 46節)
イエス様は、ユダヤ人たちが長年の間(何百年の間)、待ち望んでいた救い主メシアだったのです。
たから、パウロは、まずユダヤ人たちに救い主メシアが誕生したということを真っ先に伝えました。
ユダヤ人が一番最初に知る権利があると思ったからでしょう。
パウロはどこに行っても、まずユダヤ人に伝道しようとしたのには、こういう訳があったのです。
しかし、ユダヤ人はそれを受け入れようとしませんでした。
パウロは、これに対して、ユダヤ人が自ら「永遠のいのちにふさわしくない者にしています」と言っています。
神のことばに対する応答
私たちも気をつけなければなりません。
聖書のみことばは、今の私たちのために書かれたみことばでもあるのです。
私たちも当時のユダヤ人のように、
神様が牧師を通してせっかく語ってくださっておられるのに、
反発したり、
受け入れようとしなかったりすると、
私たちも「自ら永遠のいのちにふさわしくない者に」なってしまいかねません。
ユダヤ人から異邦人へ
パウロたちは、ピシディアのアンティオキアでは、もうこれ以上、ユダヤ人に伝道しようとはせず、
これからは異邦人に伝道することにしました。
「主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
(使徒 13章47節)
パウロがここで引用している御言葉は。イザヤ書49:6, 42:6, 45:22 の3つのイザヤ書の御言葉をミックスして使っています。
そしてパウロたちによる異邦人伝道の結果、異邦人たちは喜んで、こぞって、キリスト教に入信しました。
喜びと聖霊に満たされて
「ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。・・・弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」(使徒13:50, 52)
パウロとバルナバは、激しい迫害を受けて、ピシディア地方から追い出されますが、
しかし「弟子たちは喜びと聖霊に満たされて」いました。
これは伝道する現代の私たちクリスチャンにとっても、励みになります。
伝道していても、なかなかうまくいかなかったり、失敗したと思って、落ち込んだり、諦めかけたりすることもあります。
しかし、伝道がうまくいかなくても、
「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」
これが大切だと思います。
伝道活動において、聖霊に満たされ、聖霊による愛と喜びに満たしていただくことは、とても大切ですし、
聖霊に満たされていると伝道が楽しくなります。
たとえ拒絶されても感謝なのです。喜びがあるのです。
しかし聖霊に満たされていないと楽しくありません。
私たちは、聖霊に満たしていただけるように、よく祈って伝道をしていきましょう。
「天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
(ルカの福音書 11章 13節)
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