パウロの生涯(18)
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苦難と結実
〜テサロニケ伝道〜
ピリピで伝道していたパウロとシラスは、牢屋に入れられてしまいましたが、地震に遭ってしまいました。
その翌朝、地方長官から警吏、そして看守へと、「パウロたちを釈放する」という決定が伝えられました。
しかし、パウロは警吏に
「自分たちはローマの市民権を持っている。
ローマの市民権を持っている私たちを正式な裁判を経ないで、公衆の面前でムチを打ち、牢屋に入れた。
長官たちがやって来て、(謝罪した上で)釈放するべきではないですか」と異議を申し立てました。
それを聞いた長官は、びっくりしてやって来て、2人をなだめてから釈放し、ピリピの町から出ていくように言いました。
ここから使徒の働きの17章に入ります。
テサロニケにて
パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを経由して、テサロニケに行って、そこで伝道することにしました。
ピリピからテサロニケまでは約150kmの道のりです。
ここにはユダヤ教の会堂があったので、パウロたちは3週間にわたって、福音を宣べ伝えました。
パウロは(旧約)聖書に基づいて、
「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかったのです。私があなたがたに宣べ伝えている、このイエスこそキリストです」
(使徒の働き 17章 3節)
と語りました。
パウロはここで、
メシア(救い主キリスト)が苦難を受けて死んで復活するというのは、
(旧約)聖書に預言されていたことなんだと説明し、
20年ぐらい前に十字架に架けられて死んで復活したイエス様こそが、ユダヤ人たちが待ち望んでいたメシア(救い主キリスト)であると語りました。
それを聞いた大勢のギリシア人と一部のユダヤ人たちは、納得して、イエス・キリストを信じました。その中には有力なユダヤ人女性もいたようです。
しかし、今までにもあったように、ユダヤ人たちの迫害が始まりました。
大勢の人たちがパウロのほうに行ってしまったので、それを妬んだのです。
そしてその迫害はひどいものでした。
テサロニケでの迫害
「ところが、ユダヤ人の指導者たちはねたみに駆られ、町のならず者をけしかけて暴動を起こしました。ヤソンの家を襲い、処罰するために、パウロとシラスとを町の議会に引き出そうとしました。
しかし、当の二人が見つかりません。しかたなく、代わりにヤソンと数人の信者を役人のところに引っぱって行き、いかにも大げさに訴えました。 『ご存じでしょうか。世界中をひっかき回してきたパウロとシラスが、今この町でも騒ぎを起こしているのを。
そんなぶっそうな連中を、ヤソンは家にかくまったのです。やつらは反逆罪を犯しています。カイザル(ローマ皇帝)でなく、イエスという別の王がいる、とふれ回っているのです。』
これを聞くと、町民と役人たちはひどく不安になり、保釈金を取った上で、ヤソンたちを釈放しました。」
(使徒の働き 17:5-9 JCB)
ユダヤ人たちは、仕事にあぶれた ならず者たちを集めて、新たにキリスト教徒になったヤソンの家を襲いました。
ヤソンがパウロたちをかくまっていると思ったのです。
しかし、パウロたちは見つけ出せませんでした。
その代わりに、ヤソンと数名の信者を役人のところに連れて行って、大げさに訴えました。
それによると、
1.パウロたちは世界中を引っかき回しているテロリストである。
これは全くの言いがかりです。
騒乱を起こしているのは、ユダヤ教徒のほうであって、パウロたちではない。
2.パウロたちは、カイザル(=ローマ皇帝)以外に、別の《王》がいると言いふらしている。
反乱を起こして、国家転覆を狙っているというのが、ユダヤ教徒たちの主張ですが、
パウロたちが伝えているのは「神の国」の王キリストであって、「地の国(地上の国家)」のことではありませんでした。
ヤソンは役人たちに保釈金を払って、
釈放されました。
パウロたちは役人たちやユダヤ教徒たちに見つからないように、テサロニケを後にしました。
ヤソンと私たち
ヤソンは信仰に入って間もなかったでしょう。彼はひどい目に遭いましたが、それでも信仰を捨てませんでした。
ローマ人への手紙の中で、パウロは
「私の同労者テモテ、また私の同胞、ルキオとヤソンとソシパテロが、あなたがたによろしくと言っています。」 (ローマ 16章 21節)
ローマ人への手紙は、この数年後にコリントで書かれたものなので、
ヤソンはコリントに来ていたと考えられます。
ヤソンは、パウロたちと苦しみを共にできたことを喜びとしていたのかもしれません。
「私と共に苦しむ覚悟ができるはずです。神は苦しみのただ中にあっても、力を与えてくださるのですから。」
(テモテへの手紙Ⅱ 1:8 JCB)
私たちも、信仰ゆえに苦しいことや辛いことに遭うようなことがあります。
そのただ中で、神様は力を与えてくださいます。
聖霊によって平安と喜びを与えてくださいます。
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」
(Ⅰコリント人 10章 13節)
その後のテサロニケ教会
この数ヶ月後、パウロは、コリントからテサロニケ教会の人々に宛てて手紙を書いています。
「私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしている。」
(Ⅰテサロニケ1章3節)
テサロニケの信徒たちは、
聖霊が与えてくださる信仰と希望と愛にあふれていました。
そしてそこから、労苦や忍耐をものともしない力が出てきたのでしょう。
6節にも以下のように書いてあります。
「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」
(Ⅰテサロニケ1章6節)
テサロニケの信徒たちは、ユダヤ教徒たちによる度重なる迫害(苦難)に遭いました。
しかし、そんな中でも、彼らは決してくじけないで、聖霊が与えてくださる喜びにあふれて、みことばを受け入れました。
そして彼らはキリストにならう者になりました。
それだけではありません。
「あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。
主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。」
(Ⅰテサロニケ人へ 1章 7〜8節)
テサロニケの信徒たちの評判は、
テサロニケやピリピのあるマケドニア地方のみならず、
コリントやアテネがあるアカイア地方まで響きわたり、
信者の模範になったというのです。
前述したように、
ヤソンはアカイア地方にあるコリントに来ていました。
ヤソンや彼の仲間が良き証し人となって、各地でみことばを証しし、
行いにおいても、キリスト者の模範になっていたことが分かります。
私たち人間の力には限界があります。
しかし、すでに申しましたように、
聖霊に満たしていただき、
聖霊が与えてくださる信仰と希望と愛、そして喜びと感謝、
それらが、困難をも物ともしない忍耐力を与え、私たちを良き証し人としていくのです。
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