説教でたどるパウロの生涯

 「使徒行伝」などの説教を通して、パウロの生涯を学び、信仰生活の道しるべとします。

恐れず、語り続けよ〜コリント伝道

2025-02-05 14:56:00 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(20)

恐れず、語り続けよ


プリスキラ達との出会い

シラステモテはすぐに来られそうにないので、パウロはアテネを離れ、当初から予定していた目的地コリントへ向かいます。


(新改訳2017の巻末地図より)

そこでパウロは同業者でもあったプリスキラアキラというユダヤ人夫婦と出会います。彼らとは生涯の友となります。
神様がこのような出会いを与えてくださいます。

アテネでは、パウロはシラスとテモテが来るのが待ちきれなくなって、また憤りの感情に任せて、準備不十分なままで伝道して失敗してしまいました。

パウロは平日はプリスキラ夫婦と共に天幕づくりをし、安息日に会堂で伝道しています。



コリント伝道の成功

「シラスとテモテがマケドニアから下って来ると、パウロはみことばを語ることに専念し、イエスがキリストであることをユダヤ人たちに証しした。
しかし、彼らが反抗して口汚くののしったので、パウロは衣のちりを振り払って言った。『あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行く。』」"
 (使徒の働き 18章 5〜6節)

やがてシラスとテモテがコリントに到着したので、パウロはユダヤ人伝道に専念します。

しかし、ユダヤ人たちは反抗的で、汚い言葉を使って罵ったので、パウロはこれまでと同じように、異邦人伝道に向かいます。


「そして、そこを去って、ティティオ・ユストという名の、神を敬う人の家に行った。その家は会堂の隣にあった。
会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。」       (使徒の働き 18章 7〜8節)

コリント伝道は、アテネ伝道とは違って、前からよく祈って備えていたのでしょう。
神様が備えておられた人たちがいました
 
前述したプリスキラアキラの夫婦もそうですが、

さらにティティオ・ユストという名の、神を敬う人(ギリシア人であったが、聖書の神様を敬っていた)、

そしてユダヤ教の会堂司をしていたクリスポ(ユダヤ教徒であったが、家族そろって主イエス様を信じた)。

そしてもちろんパウロの同労者シラステモテも到着しました。

アテネではパウロは独りぼっちでしたが、コリントでは多くの協力者が与えられて、回心者も多く与えられました。
アテネでは教会はできませんでしたが、コリントではかなり大きな教会が誕生しました。

よく祈って備えて伝道することの大切さを思わされます。



恐れと恐れからの解放

「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』
そこで、パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」(使徒 18章 9〜11節)

パウロの心には恐れがあったようです。
具体的なことは書いてありませんが、おそらくユダヤ教徒たちからの迫害でしょう。脅迫のようなものもあったのでしょう。

そしてその不安と恐れは12節以降に的中します。(後述します)


しかし、イエス様はそんなパウロの不安や恐れをちゃんとご存知であられたのです。
そしてイエス様は、そんな不安におびえるパウロを励ますために、幻の中で直接パウロに語りかけられました。


ちなみに余談になりますが、
「使徒の働き」の中で、主イエス様ご自身が、幻の中でパウロに直接語られる場面は、3回出てきます。
(マケドニア人の幻をいれると4回)
4回とも特に重要な分岐点になったような箇所です。

①「パウロの回心」(9:4-6)
②「ヨーロッパに行く」(16:9)
③「コリントに留まる指示」
 (18:9-10)
④「必ずローマに行ける」(23:11)


さて、イエス様からの指示は、
恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」
ということでした。 

この言葉からも、パウロは身の危険が及ぶほどの危機を感じていたことが うかがえます。
しかし、そんなパウロの心をご存知であられたイエス様は「恐れないで、語り続けなさい」と言って、パウロを励まされたのです。

これは決して歯を食いしばって頑張りなさい、と言っているわけではありません。根拠があるのです。


その根拠とは何でしょうか?
イエス様はここで3つのことを約束しておられます。
①「わたし(=イエス様)があなたとともにいる

神様と等しいイエス様がいつもそばに共にいてくださいます。
そしてこのイエス様が全能の力で守ってくださいます。

だから、
②「あなたを襲って危害を加える者はいない。」のです。

そのことは12節以降のところで実証されます。

ユダヤ人たちはパウロを訴えて「この人は、律法に反するやり方で神を拝むよう、人々をそそのかしています」と言いました。(13節)

しかし総督は「律法の問題は自分たちで解決しなさい」と言って、訴えを受理しようとはしなかったのです。

イエス様は神様と等しい御方です。
全能であると同時に全知です。 

イエス様は、総督がどんな人物かをご存知でした。総督が訴えを受理しないこともご存知だったのです。


それだけではありません。
③「この町には、わたしの民がたくさんいる」と言って、
コリントの町にはイエス様を信じる人たちがたくさんいるということも、イエス様は知っておられたのです。


少し神学的な話になりますが、
メソジスト系の教会が支えとしている神学者に、アルミニウスという神学者がいます。16世紀後半から17世紀初頭のオランダの神学者です。

彼は改革派の神学者であったのですが、カルヴァンの二重予定説に反対して、
神様はすべての人を救いに選んでおられる(すべての人を救いたいと願っておられる)。
しかし、それを受け入れるかどうかは、各個人の自由意志による
と言っています。

この考えによると,
コリントの町には、パウロの招きに応えて、(自分の自由意志で)イエス様の救いを受け入れる人たちが大勢いるということも、イエス様はご存知であったのです。


結局、パウロはコリントに1年半、腰を据えて伝道することになります。


パウロはこの後、シリア(派遣したアンティオキア教会)に戻るべく、ケンクレアから船に乗って、エペソを経由して、パレスチナのカイサリアに向かいます。
そしてエルサレム教会に挨拶に行ってから、アンティオキアに戻りました。

 
(新改訳2017の巻末地図より)
赤の実線が第2回伝道旅行の旅程です。
2本の指でスワイプすれば拡大できます。
 


私たちへの教訓

私たちも恐れや不安におびえることもあります。
個人的な問題、家族の問題、仕事のことなどで、また教会の運営や伝道活動などでも、
「どうなってしまうのだろう」
「どうしたらいいか分からない」
そう思う事があります。

しかし、そんなとき、まず自分がなすべきことは祈ることです。
もちろん、祈らなくても、イエス様は私たちのことを何でもご存知です。
それでも、イエス様は私たちが祈ることを願っておられます。

そしてイエス様は今の私たちにも「わたしがあなたと共にいる。わたしがあなたを守り助ける。だからあなたが心配しているようなことは起こらない。恐れるな。おびえるな」と語りかけてくださいます。

私たちも、このイエス様を信じて、
「臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊(聖霊様)Ⅱテモテ1:7」に満たしていただいて、それぞれの業に励んで参りましょう。

 

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