街道がブッツリ寸断され、私有地になっている横に
馬頭観音が残されている。設置されている方向は西
向きで、残り道を延長するとちょうどその前を通る
ようだ。
側面には大正十三年と彫られており、その頃は日野
の渡しを利用する人々がここを通って渡し場へ向か
っていたのだろう。
隣には歴代(?)の馬頭観音の石碑も。多摩川を渡る
のはもちろん人間だけでなく、荷物も往来しただろう。
とすれば、運搬する馬も必要になる。疲弊もするし、
死にもする。昔の人々の供養の気持ちが伝わってきた。
goo地図
馬頭観音が残されている。設置されている方向は西
向きで、残り道を延長するとちょうどその前を通る
ようだ。
側面には大正十三年と彫られており、その頃は日野
の渡しを利用する人々がここを通って渡し場へ向か
っていたのだろう。
隣には歴代(?)の馬頭観音の石碑も。多摩川を渡る
のはもちろん人間だけでなく、荷物も往来しただろう。
とすれば、運搬する馬も必要になる。疲弊もするし、
死にもする。昔の人々の供養の気持ちが伝わってきた。
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