こうして我ながらハードだと思うスケジュールを組んだにもかかわらず、私は興奮のあまりなかなか寝付けず、眠りについたのは午前2時頃。それでも午前5時にはきっちり目が覚めたのだった。睡眠時間は3時間……って私はナポレオンか
必死にお祈りした甲斐があって(笑)、この日の福井は降水確率0%の予報。高知も雨の心配は無いらしい
『よしっ、これで心おきなく高知へ行ける』
朝食はぶどうパンとコーヒーで済ませ、身支度を整えていざ出発!
カミ様はこの日も仕事で(私はもちろん夏休みをとった)、そんなカミ様を置いて一人高知へ行くのは正直少し後ろめたい気持ちがあったが、カミ様は寝ぼけまなこながらも「行ってらっしゃい」と言ってくれた。そんなカミ様に心の中で感謝しつつ、私は家を出た
福井駅で特急「サンダーバード」に乗り込み、予定どおり発車。早朝にもかかわらず車内には思ったよりも多くの人が乗っていたが、なんとか空いていた席に座ることができた。そこで2時間ほど仮眠。
新大阪駅に到着して新幹線のりばへ行くと、当初乗車を予定していた「ひかり」の1本前の、「のぞみ」博多行きがまもなく発車しようとしていた。『これはちょうどいい』と、私は迷わず飛び乗った。
『うーん、さすが「のぞみ」、速い!中もきれい!』
車内が混雑していて座席に座ることは出来なかったが、あまり苦痛を感じること無く、あっという間に2駅で岡山に到着した。
さて、次の特急「南風」の出発までには、岡山駅で1時間ほど待たなければいけない。ここの接続がもっと良ければ、もっと早くからよさこい祭りを楽しめるのに……
『ううう、この待ち時間が~~~~ 』
本当に恨めしかったが、どうしようもない。『まだかえ、まだかえ』と思いつつ、ホームで並んで「南風」が来るのを待っていた。
9時50分頃、やっと待ちに待った「南風」が到着。電車でなくディーゼル車であることに、内心驚きながら乗り込んだ。
「南風」には多くの乗客が乗り込み、車内はすし詰め状態だったが、それでも列の前で待っていたおかげで、私はなんとか座席に座ることができた。もし、新大阪で「のぞみ」に飛び乗らずにもう1本後の「ひかり」に乗っていたら、列のずっと後ろで待たなければならず、座席に座ることも出来なかっただろう。人生、時には思い切った決断も大事だと悟った(笑)。
岡山を出発してからしばらくして、瀬戸大橋を渡りだした「南風」。車窓からは海に浮かぶ無数の小島が…。
※写真はイメージです
「これぞ瀬戸内海」と言うべき素晴らしい景色を、私は大いに満喫した……と言いたいところだが、橋脚でせっかくの素晴らしい景色がしょっちゅう遮られてしまうのが、正直残念だった。今度橋を架け直す時は、橋脚はぜひ透明にしてほしいものだと思った
四国に入り、香川県、徳島県と進んでいくにつれて、緑濃い山々や、青々とした谷川が流れる四国山地の絶景が眼前に迫ってきた。
※ 粗谷渓
※ 粗谷渓
車窓から見える案内板などによれば、「大歩危、小歩危(おおぼけ、こぼけ)
」や「かずら橋」といった名所があるらしい。こうした四国の名所も、いつかは巡ってみたい…と思った。
※ かずら橋
さて、「南風」が四国山地を抜け、土佐山田駅辺りまでくると、自分がいよいよ高知に、そしてよさこい祭りに近づいてきているような気がして、何だかそわそわして落ち着かなくなってきた。
私は、はやる気持ちを抑えつつ、車内で日焼け止めクリームを体に塗って(なんとも行儀の悪い……)到着に備えた。
そして「南風」が予定時刻どおり高知駅に到着すると、私は喜び勇んでホームに降り立ったのだった。
*その3「ドタバタ見物の始まり」に続く
追記:なんだか、読んでいると自分が生まれて初めて高知へ行くような気分になり、本当にワクワクしてしまいます
気持ち良く送り出してくださった奥様、ありがとうございました
※ よけいな写真をしましたことを、お詫び申し上げます
これは2002年、私達が徳島旅行に行った時に徳島から高知へ向かっている時の写真です
そう 私達夫婦もこの後、生まれて初めて観る「よさこい祭り」でカルチャーショックを受けるのでした
必死にお祈りした甲斐があって(笑)、この日の福井は降水確率0%の予報。高知も雨の心配は無いらしい
『よしっ、これで心おきなく高知へ行ける』
朝食はぶどうパンとコーヒーで済ませ、身支度を整えていざ出発!
カミ様はこの日も仕事で(私はもちろん夏休みをとった)、そんなカミ様を置いて一人高知へ行くのは正直少し後ろめたい気持ちがあったが、カミ様は寝ぼけまなこながらも「行ってらっしゃい」と言ってくれた。そんなカミ様に心の中で感謝しつつ、私は家を出た
福井駅で特急「サンダーバード」に乗り込み、予定どおり発車。早朝にもかかわらず車内には思ったよりも多くの人が乗っていたが、なんとか空いていた席に座ることができた。そこで2時間ほど仮眠。
新大阪駅に到着して新幹線のりばへ行くと、当初乗車を予定していた「ひかり」の1本前の、「のぞみ」博多行きがまもなく発車しようとしていた。『これはちょうどいい』と、私は迷わず飛び乗った。
『うーん、さすが「のぞみ」、速い!中もきれい!』
車内が混雑していて座席に座ることは出来なかったが、あまり苦痛を感じること無く、あっという間に2駅で岡山に到着した。
さて、次の特急「南風」の出発までには、岡山駅で1時間ほど待たなければいけない。ここの接続がもっと良ければ、もっと早くからよさこい祭りを楽しめるのに……
『ううう、この待ち時間が~~~~ 』
本当に恨めしかったが、どうしようもない。『まだかえ、まだかえ』と思いつつ、ホームで並んで「南風」が来るのを待っていた。
9時50分頃、やっと待ちに待った「南風」が到着。電車でなくディーゼル車であることに、内心驚きながら乗り込んだ。
「南風」には多くの乗客が乗り込み、車内はすし詰め状態だったが、それでも列の前で待っていたおかげで、私はなんとか座席に座ることができた。もし、新大阪で「のぞみ」に飛び乗らずにもう1本後の「ひかり」に乗っていたら、列のずっと後ろで待たなければならず、座席に座ることも出来なかっただろう。人生、時には思い切った決断も大事だと悟った(笑)。
岡山を出発してからしばらくして、瀬戸大橋を渡りだした「南風」。車窓からは海に浮かぶ無数の小島が…。
※写真はイメージです
「これぞ瀬戸内海」と言うべき素晴らしい景色を、私は大いに満喫した……と言いたいところだが、橋脚でせっかくの素晴らしい景色がしょっちゅう遮られてしまうのが、正直残念だった。今度橋を架け直す時は、橋脚はぜひ透明にしてほしいものだと思った
四国に入り、香川県、徳島県と進んでいくにつれて、緑濃い山々や、青々とした谷川が流れる四国山地の絶景が眼前に迫ってきた。
※ 粗谷渓
※ 粗谷渓
車窓から見える案内板などによれば、「大歩危、小歩危(おおぼけ、こぼけ)
」や「かずら橋」といった名所があるらしい。こうした四国の名所も、いつかは巡ってみたい…と思った。
※ かずら橋
さて、「南風」が四国山地を抜け、土佐山田駅辺りまでくると、自分がいよいよ高知に、そしてよさこい祭りに近づいてきているような気がして、何だかそわそわして落ち着かなくなってきた。
私は、はやる気持ちを抑えつつ、車内で日焼け止めクリームを体に塗って(なんとも行儀の悪い……)到着に備えた。
そして「南風」が予定時刻どおり高知駅に到着すると、私は喜び勇んでホームに降り立ったのだった。
*その3「ドタバタ見物の始まり」に続く
追記:なんだか、読んでいると自分が生まれて初めて高知へ行くような気分になり、本当にワクワクしてしまいます
気持ち良く送り出してくださった奥様、ありがとうございました
※ よけいな写真をしましたことを、お詫び申し上げます
これは2002年、私達が徳島旅行に行った時に徳島から高知へ向かっている時の写真です
そう 私達夫婦もこの後、生まれて初めて観る「よさこい祭り」でカルチャーショックを受けるのでした
伝わってくる、素敵な文章ですね(拍手♪)
ルートは小生がもっともおおく利用するルート
ですから、なおさら楽しかったですよ。
土佐山田駅でのどきどき感は県外者以外では
味わえない快感でしょうね(笑)
蛇足ながら、大歩危小歩危渓谷の吉野川の
「青さ」は格別だったでしょ?
ゴムボートで下るシーンは見えましたか?
で、吉野川の「青さ」の秘密を以下少々。
「阿波の青石」
と呼ばれる緑がかった青色の石(庭園用によく使われる)が川底にびっしりですから、川の水の色の青さを倍増させているから、です。
で、他の川と吉野川はどう違うのか。
・・つまり、なぜ吉野川の石だけが青いのか。
中央構造線
のせいです。
・・詳細は「中央構造線」で検索してください・・
つまり吉野川は中央構造線が地上に露呈している
稀有な例なのです。
・・わかったあ?(笑)
こんなことなら、写真をもっと撮っておけば良かったと反省しております。
一番上の、ぶどうパンとの写真は、当日の朝食のイメージで、後日のカメラで撮影したものです。文章と一緒に写真もうまく送信できたようで、よかったです。
そうそう、徳島の絶景のイメージ、まさにゆみたかさんがされた写真のとおりでした。
道@様、私めのつたない文章に対するお褒めの言葉、ありがとうございました。
吉野川をゴムボートで下るシーンは、残念ながら見ることはできませんでした(していただけかも)。
川の色が青いのは、流れが深いためだけではなかったんですね。さすが道@さん、博学でいらっしゃる。
「中央構造線」、ウィキペディアで調べたら、四国のは要注意断層で、この区間が動くときはマグニチュード7を越える地震を発生すると考えられているそうですね。
もし、高知へよさこい祭りを見に行く途中でその地震が起こったら……嫌すぎる。
これからは高知行きのルート、検討し直さなくてはいけないのかなと思いました。
ちなみに数百万年前の本州は関東・静岡・新潟あたりで二分されていたのよ。
つまり追っかけ隊員の住む地域は海底だったの。
アメリカの油田を線でむすぶと○形になるのよね。
つまり古代にアメリカ大陸に落ちた巨大隕石のあと。
結論をいうと中央構造線やフォッサマグナなどは
地中が断層になっててね、石油や貴金属や鉱物資源が
断層の隙間に生成されるわけ。
したがってその地域(鉱物資源の産地)を政府が
独占するためにめったやたらと神社やお寺が多いわけ。
政治と宗教は一体だったからね。
つまり鎮守の森=神域=里人が入れない、森をいじれない・・・という仕組みをつくり、国家の資金源を
守ったわけ。
諏訪大社、伊勢神宮、高野山、四国八十八箇所など
の立地条件は意味がちゃんとあったわけさ。
ま、そのあたりを踏まえて以前、長文を書いたのよ。
題して「R指定 讃岐・うどん考」・・(笑)
上記の名前で検索すればまだ残っているかも(笑)
トリデさんのドキドキ感が伝わりました。本当にようきたねぇもちろん道さんの相変わらずの博学ぶりにも感動しちゃった
道頓堀さま
徳島では「大歩危小歩危」は見なかったんですよねぇ。その渓谷は吉野川が流れているんですか~なんという偶然
すべては高知へと繋がっていたということですね
その「青さ」をいつかこの目で見てみたいなぁ
そう、道さんがおっしゃるとおり、この辺は大きな活断層があるのです。
神奈川では大きい活断層の近くで暮らしております
怖いからといって引っ越すとしても日本は活断層だらけですから・・・同じですかね
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トリデさま
やっぱり、写真が欲しいなぁ~と思って、勝手に入れちゃいました
すみません。
それもどこかからコピーして持ってくるわけにもいかないので、ちょうどうちが徳島~高知へ旅行した時の写真から抜粋しました
おかげ様で楽しい作業でした
絵文字も追加しておきましたよ~
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やまももおばさま
もし、自分の住んでいる伊勢原市のお祭り(道灌祭りといいます)が超有名で、全国から毎年遊びに来る観光客がいたら、やっぱり嬉しいだろうなぁ・・・と思います
でも、もともとの地元ではないからあまり入れ込んだ気持ちもないのも確かなんですが・・
生まれ育った故郷があるのは羨ましいです
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徳島を流れています。
高知はやはり四万十川でしょう。
蛇足ですが四万十というのはアイヌ語の当て字です。
東北や北海道が中心とされた縄文時代ですが
この定説も鹿児島県の遺跡発掘により覆されました。
ま、同時期発掘の三内丸山(青森)にくらべて
脚光はあびてませんが。
つまり縄文(=アイヌ)時代は日本全土にいきわたっていたのです。
ただ、源流は瓶ヶ森という高知の山中。
三内丸山と同じく青森には亀が丘遺跡が有名です。
宇宙人説もある遮光器土偶が有名です。
つなみに「亀」「瓶」という地名の元は「瓶」
つまり土器ですね。
亀が丘も上記の遮光器土偶が発掘される以前から
お皿や壷の土器がやたらめったら出てきたからこその
地名です。
つまり亀が丘=瓶が丘、です。
ま、亀は鶴と同様に縁起物ですから後世になって字を変えたのでしょう。
したがって高知の瓶が森からは縄文や弥生の土器が
わんさか出たからこその地名でしょう♪