一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城県阿見町の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と家庭自給生活を自学自習中

私ではありません。11月17日(土)「藤本敏夫没後10年を語る ~ " 土と平和の祭典 " の前夜に~」

2012年11月30日 | T&T研究所・研究員(鴨川自然王国内@所長・加藤登紀子):斎藤博嗣

知人から最近、
「藤本敏夫没後10年を語る ~ " 土と平和の祭典 "  の前夜に~」
11月17日(土) 日比谷松本楼
で、「斎藤さん、お話されたんですよね。」と言われ
「えっ、出てませんよ」と言ったのですが、
「大地を守る会のブログに載っていますよ」と言うので確認したら、
「大地を守る会のエビちゃん日記“あんしんはしんどい”」
http://www.daichi.or.jp/blog/ebichan/2012/11/post-519.html
に下記のように載っていました。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
パネラーは、まず
農山漁村文化協会・編集局次長で季刊 「地域」 編集長、甲斐良治さん。
2002年、増刊 「現代農業」 の編集長時代に 『青年帰農』 特集号を組み、
病院で藤本さんのインタビューを行なった。 それが藤本さん最後の言葉となった。
次に、山形・米沢郷牧場代表の伊藤幸蔵さん。
1999年、藤本さんの呼びかけで結成された
「持続農業推進 青年農業者連盟」 の代表も務めている。 

「茨城自然小国」 の斎藤博嗣さん。 脱サラを考えていた時に
『青年帰農』 特集号に出会い、鴨川自然王国を訪ね、茨城で就農した。

そして、現在の鴨川自然王国代表である藤本博正さん。
経過は斎藤博嗣さんと同様だが、こちらは自然王国のスタッフとなって畑を耕し、
藤本さんの次女・ 八重ちゃんと結婚した。
藤本さんが亡くなって自然王国をどうしようかという話になった時、
「私が受け継ぐ」 と宣言したのが八重ちゃんだ。 
その後の運営に、博正さんの存在が大きな力になった・・・んだと思う。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

確かに斎藤博嗣の名前が!

いよいよ私も「幽体離脱」か!
と思いきや・・・。

ブログの写真を良く見ると、写っているのは、

伊藤さん・三尾さんそして、
「トージバの渡邉さん」じゃないですか!
何故、私の名前が・・・。

その日は、彩葉が公園で自転車デビューの日でした。

真相はいつか明らかに?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。