チャールズM.オーバービー氏を8月15日のブログ
「戦後69年のこの日に、『対訳 地球憲法第九条』チャールズ・M. オーバビー (著)、桃井/和馬(写真)」http://blog.goo.ne.jp/hootenfarmer/e/881f2bbaf1586deee2e882e29a1a8b6b
に紹介したが、その続き。
ピースボートに乗船した際のプリントをもう2枚紹介します。
タイトルは
「9月11日同時多発テロへの平和的解決を求めて」
オハイオ大学ポスト 2001年10月26日
最後をアウンンサン・スー・チー氏の言葉で締めくくっています。
『「暴力の指紋」ではなく「希望の指紋」を後世に残すためには、私たちは、
アウンサン・スー・チー女史の言葉に耳を傾ける必要がある。
その言葉の中で彼女は、人類が尽力・そしえ貴重な資源を費やすべきことは
「成人した男達の戦争ごっこの玩具を作り出すことにではなく、
人間社会全体が直面している緊急な課題に取り組むことだ」と。』
チャック・オーバービー 第9条の会 創設者 オハイオ大学 名誉教授
(クリックすると大きく)
■■■■■■■■■■■■■■■■
もうひとつの9.11
『人間であることの歌』 ビクトル・ハラ
ビクトル・ハラ(Victor Jara、1932年9月23日 - 1973年9月16日)はチリのフォルクローレのシンガー・ソングライターであり、演劇人、舞台演出家でもあった。歌を通じて社会変革を目指した「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)」運動Nueva cancionの旗手の1人として知られる。
チリ南部チジャンの貧しい農家に生まれ、10歳の時首都サンティアゴに家族で移住。16歳の頃パントマイム劇団に加入し、その後チリ大学演劇学部に入学。同じ頃、民謡の研究演奏集団にも加入。
1961年、チリ大学付属演劇研究所に勤務し、舞台演劇の演出を次々と手がける。それと並行し、1965年頃からシンガーソングライターとしての活動も開始する。
1969年、チリ・カトリック大学主催の「新しい歌」フェスティバルに参加し、『耕す者への祈り』(La plegaria a un labrador)で優勝する。
1970年、チリ人民連合によりアジェンデ政権が成立したが、1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍の軍事クーデター(チリ・クーデター)によってアジェンデ政権は崩壊。その直後、ビクトル・ハラは軍に逮捕され、チリ・スタジアム(屋内競技場。エスダディオ・ナシオナル・デ・チリとは別の場所)に連行された後、虐殺された。