祝・生誕99年
自然農法創始者
福岡 正信(1913年2月2日 - 2008年8月16日)
何故、"自然農”ではなく「自然農法」にこだわるのか?
アルゼンチンと言えば、
ディエゴ・マラドーナ&リオネル・メッシ(サッカー代表)?
アストル・ピアソラ(バンドネオン奏者)??
マルコ・ロッシ(←イタリア人『母をたずねて三千里』)??
チェ・ゲバラ!!
福岡さんと同じく「革命家」を生んだかの地の人に聞いてみよう。。
下記の文章は、福岡正信さんの著書をスペイン語に訳したアルゼンチン人の「はじめに」にあたる文です。
(日本語訳) <抜粋>
耕されていない農地にばら播かれた種はどうやって発芽するのだろう?
自然が神だと信じられるだろうか?
それが究極の播種方法ではないだろうか?
どうして私達はそんなに耕すことに執着するのだろうか?
これらの質問やその他多くの疑問にこの本は答えてくれるだろう。
読んだ後には、草や木々が神であると悟り、自然農法への道を歩み始めることが出来るだろう。
さてここで、私は自然農法が何を意味するかはっきりさせたい。
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福岡先生の本を読んだ多くの農民は農耕方法を具体的に解説された箇所を探すだろう。
しかし、そんな箇所は見つけられないとはじめに言っておきたい。
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自然農法には決まった方法はない。
各々の土地、各々の農民は唯一であり、自然をはっきりと感じることで少しずつ近づくことが出来るであろう。
勉強したり、本を読んだり、農業実習したりすれば、頭は邪魔者でいっぱいになる。
それらは、「石」の知識なのだ。
先入観をぬぐい去り、何時も初心を持ち続けることが大切だと、私は思う。
いづれにしても、完全な自然農法は存在しない。
自然農法とは、一つの方法、あるいは近づく道。
日本語のSHIZENNOHO(自然農法)とはそう言う意味であろう。
たとえ自然農法への道でさまよっても、それぞれが神であるという心をしっかり持っていれば、
道を間違えることはない。
自然農法を実践すれば自然は復活し、差し迫った砂漠化も避けられるであろう。
環境破壊の心配も必要でなくなる。
全体が一つであり、一つの行動で全てが上手くいくのだ。
避けがたい言葉の違い、日本語とスペイン語の違いはあるけれど、
どうか福岡先生の精神と英知がそのまま翻訳されていることを切望している。
この本を読んだ後では、誰も今までしてきたこと続けることは出来ないだろう。