一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と共に、家庭自給生活を自学自習中

12月15日 いわさき ちひろ誕生日

2006年12月15日 | 「ふうてんファーマー通信」じねん道以外のお知らせ
いわさき ちひろ

1918年12月15日 - 1974年8月8日


「わたしのえほん」いわさきちひろ
発行 : 1978年 新日本出版社

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
私は一人の青年と知りあいました。
戦争直後のこともあって彼はいつもなっぱ服に
草履をはいてよく私のところにやってきました。
「絵を見せてください。」ともいってきましたが、
彼は一人ぐらしのあじけなさもあって私がよく
つくっていたサンドイッチが目的だったんだそうです。
 かけだしび絵かきだった私にもある日わりとたくさん
画料が入ったことがありました。昭和も二十四、五年に
なるとそろそろいい靴をはいている人も多くなりました。
彼より年上の私は少し姉さん気分もあったのか、彼に
「靴を買ってあげましょうか。」といいました。
すると彼は靴なら海軍からもらってきたのが六足も
あるからいらないというのです。ではどうして
そんなにある靴をはかないのでしょう。
彼はつぎのようなことをなにげなくいいました。
「僕は一生お金のたくさん入るような仕事には
つかないつもりなんです。ですからとても靴なんて
買えるようにはならないと思います。だからあの
六足の靴を一生はこうと思って大切にしているんです。」
 お金をたくさんもうけようと思っている男の人は
たくさん知っていました。けれど、もうけまいと
思っている人は私ははじめてでした。
私はこのことばをどうしても忘れることができませんでした。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。