オリンピック開催・・・。
また、繰り返すのか。
何度繰り返すのか。。
風来書房「フィガロ舎」ライブラリーNo.24
『スロー・イズ・ビューティフル
遅さとしての文化』
辻信一 (著)
平凡社
2001/09
戦争の時代とオリンピック
辻さん、引用させて頂きました。
P159~161
今度お会いした時にお断りしますね。
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福岡正信さんも違うページで出てきます。
「自然農法」で知られる福岡正信は故郷の愛媛の昔を回想して次のように言う。
(「藁の家によせる」)
「時計といえば村長さんひとり胸に懐中時計をぶら下げ、
小学校で柱時計を見たのが初めてだった。
むらに乗合馬車がラッパを鳴らして走り出した時から、
時間という単位を村人は知った。」
それまでは「腹時計」で十分だったのに、
学校教育の中で一時間間隔の時を知り、
時刻表や日課表を身につけていく。
「その頃から、勉強時間、仕事の時間、遊びの時間と区別し、
時間(こころ)と空間(もの)は別物として扱われ、
時空が分離し始めて、次には
人と仕事と自然もバラバラになってきた。」
福岡正信「藁の家によせる」
(『草のちから、藁の家』、INAX出版)