一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城県阿見町の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と家庭自給生活を自学自習中

「フィガロ舎」ライブラリー⑪「わたしと小鳥とすずと」and金子みすゞ@1903年4月11日誕生日

2009年04月11日 | 風来書房「フィガロ舎」

金子 みすゞ(かねこ みすず)
1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日
童謡詩人


『土』    
こッつん こッつん   
ぶたれる土は   
よいはたけになって   
よい麦生むよ    

朝からばんまで   
ふまれる土は   
よいみちになって   
車を通すよ    

ぶたれぬ土は   
ふまれぬ土は   
いらない土か    

いえいえそれは   
名のない草の   
おやどをするよ

『わたしと小鳥と鈴と』    
わたしが両手をひろげても、   
お空はちっとも飛べないが、 
飛べる小鳥は私のやうに、   
地面(じべた)を速くは走れない。    

わたしがからだをゆすっても、   
きれいな音は出ないけど、   
あの鳴る鈴は私のやうに、   
たくさんな唄は知らないよ。    

鈴と、小鳥と、それからわたし、   
みんなちがって、みんないい。


風来書房「フィガロ舎」ライブラリー⑪



金子みすゞ童謡集

わたしと小鳥とすずと


金子 みすゞ (著者)
矢崎 節夫(選者)
JULA出版局
1984年8月31日



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http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/index.html

『私』
どこにだって私がいるの、  
私のほかに、私がいるの。    

通りじゃ店の硝子のなかに、   
うちへ帰れば時計のなかに。    

お台所じゃお盆にいるし、   
雨のふる日は、路にまでいるの。    

けれでもなぜか、いつ見ても、   
お空にゃ決していないのよ。

『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)  

 みすゞさんはコンパスのように、【自分を中心】にして、くるりくるりと回ることの出来る人でした。だから「どこにだって私がいるの」と気づけたのです。  

 そして、ああ、そうか。私が私でおらしてくれているのは、私以外のすべての存在なんだ、と気がついたのです。つまり、そちらの私とこちらの私で、すべては成り立っているのです。  

 【自分中心】と、【自分を中心】には似ているようですが、まったく違います。【自分中心】とは、自分を中心に置いて動かないということです。これだと、自分の見える範囲は決まってしまいますから、相手に対して、自分の見えるところまで動けと、相手に強いるのです。  

 「どうして出来ない」「なぜ動かない」と。

 【自分を中心】にして、くるりくるりと回れる人になりたいと思います。きっと私たちのまわりには、うれしいことがたくさん待っていてくれるのですから。  

金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫
コラム平成20年6月29日掲載
http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/column.html  

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 「金子みすゞ」さんを発掘した児童文学者・矢崎節夫さんは、裕子の学生時代の先生です。最後の授業で思わず拍手してしまった思い出があります。。                   


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