金子 みすゞ(かねこ みすず)
1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日
童謡詩人
『土』
こッつん こッつん
ぶたれる土は
よいはたけになって
よい麦生むよ
朝からばんまで
ふまれる土は
よいみちになって
車を通すよ
ぶたれぬ土は
ふまれぬ土は
いらない土か
いえいえそれは
名のない草の
おやどをするよ
『わたしと小鳥と鈴と』
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
金子みすゞ童謡集
『わたしと小鳥とすずと』
金子 みすゞ (著者)
矢崎 節夫(選者)
JULA出版局
1984年8月31日
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http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/index.html
『私』
どこにだって私がいるの、
私のほかに、私がいるの。
通りじゃ店の硝子のなかに、
うちへ帰れば時計のなかに。
お台所じゃお盆にいるし、
雨のふる日は、路にまでいるの。
けれでもなぜか、いつ見ても、
お空にゃ決していないのよ。
『金子みすゞ童謡全集』(JULA出版局)
みすゞさんはコンパスのように、【自分を中心】にして、くるりくるりと回ることの出来る人でした。だから「どこにだって私がいるの」と気づけたのです。
そして、ああ、そうか。私が私でおらしてくれているのは、私以外のすべての存在なんだ、と気がついたのです。つまり、そちらの私とこちらの私で、すべては成り立っているのです。
【自分中心】と、【自分を中心】には似ているようですが、まったく違います。【自分中心】とは、自分を中心に置いて動かないということです。これだと、自分の見える範囲は決まってしまいますから、相手に対して、自分の見えるところまで動けと、相手に強いるのです。
「どうして出来ない」「なぜ動かない」と。
【自分を中心】にして、くるりくるりと回れる人になりたいと思います。きっと私たちのまわりには、うれしいことがたくさん待っていてくれるのですから。
金子みすゞ記念館館長 矢崎節夫
コラム平成20年6月29日掲載
http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/column.html
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「金子みすゞ」さんを発掘した児童文学者・矢崎節夫さんは、裕子の学生時代の先生です。最後の授業で思わず拍手してしまった思い出があります。。