没後2年
福岡 正信(1913年2月2日 - 2008年8月16日)
④
『季刊仏教 No.28 - 森の哲学 -
新たな宗教哲学をめざして 』
法蔵館編
1994年7月
「自然農法のよる社会革命
―自然の心に到る道―」
福岡正信
国民皆農 抜粋
私の自然農法が早く理解され、国民皆農論が実践されるようになれば、私の理想国家の夢も実現するのだあ、そのためには、為政者の社会機構の改革が断行されねばならない。だが『わら一本の革命』は、日本ではまだ私ひとりの夢物語でしかない。しかし、私は単純にこう考えている。
人々が、車や飛行機を乗り回し、あくせく働いても、何の意味もなかったことを知り、自分が生きるだけの食物を作り、食っちゃ寝、食べちゃ寝るだけの生活に満足するようになれば、すべては一挙に氷解する。そういう村づくり、国づくりでできた理想の国では、宗教家や政治家、兵隊はいらない。
(1)人間の知恵はいらず、自然から学ぶだけだから学校はいらない。
(2)小鳥が神、自然が神様と信ずれば、神社も教会もいらない。
(3)自然の中で、自然食を食べておれば、病気知らずで病院もいらない。
(4)山の中で、いろりの生活をすれば、電気も水道もいらない。
ゴミもないから公共事業もない。当然、役所もいらない。
(5)役人がおらねば、税金もいらない。
(6)豊かな自然さえあれば、物や金を貯える必要もないから、貧富の差のない
社会になり、盗人も警察も兵隊もいらない国になる。
(7)強いている者といえば、イソップ物語に出てくる王様か、イワンの馬鹿
ぐらいだろう。何もすることのない国だから何もしないように見張っている、
かかしの王様がよい。
こんな夢物語は、日本では通用しない。しかし例えばアメリカには古い生活様式をいまでも一生懸命に守って理想郷をめざしている人たちもいる。南太平洋のフィジー諸島やサモア島の生活は、近代文明人がみてもうらやましい理想郷だという。未開発と言われる辺境の少数民族の方が、ビルのジャングルの中の東京の人より、ゆとりのある楽しい生活をしているともいえる。
ただ、このような国や社会には、武器も力もないから外圧に弱い。文明の波に幻惑されやすい。文明の珍しい物を見せつけられると、物と金の欲望が出てきて、せっかく守ってきたユートピアの国が、内から崩れだす。
そのためには、地球を宇宙に輝く緑の星とし、万物が平和共存するパラダイスとする、精神、心を持たねばならない。
人智のコペルニクス的転換、教育転換を目指さなければならない。
人智の転換をはかるためには、理想の国にあっては「教育無用の教育法」をつくる。
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自然農法をベースとした新しい生き方を支える諸制度の構想はすでに固まっている。
ムイ(無為)キペディア③