7月14日(水)嫁さんからLINE.電話してもいい?と。
ただことではないこということは予感したが、聞くとてっちゃんが死んだと。
学生時代からの連れでもう35年の付き合い。
膠原病と長く付き合っていたが、肺炎をこじらせたと。
7月15日(木)出張を終えてお通夜へ。
気分は底で何もする気になれなかったけど現場につくと当時の仲間連中が待っていた。
九州にいる一人をのぞいて当時の仲間4人全員が集合していて、久しぶりに顔を合わせた。
一人独身がいるが、それ以外の3人は全員嫁さんを連れてきていた。
嫁さん子供含めて長い付き合いなので、古巣へ帰ったような気分になった。
棺おけにいるてっちゃんは派手なTシャツをきて死んでた。
口元は少し笑ってた。
奥の間に通されて、当時の仲間と話してるうちにいつもの会話になった。
てっちゃんの子供は二人いて、けいととゆうと。
二人とも子供のころはかわいがったが、久しぶりなので顔を見てみわけられなかった。
彼らはオレのことを亀のおじさんと覚えていた。
てっちゃんのお母さんにも30年前にはお世話になった。
息子が死んだのにとても明るくオレ達を笑かしてくれた。
心の準備ができていたのかもしれないけど、不思議と無理に明るくしてる感じではなく、
当時のまま毒を交えて場を盛り上げてた。
嫁さんのゆうちゃんは落ち込んでる風ではなかった。
でも1週間後にはぐったりしてることだろうことは想像に難くなかった。
なんでてっちゃんはあんな派手なTシャツを着てるの?と誰かが聞いた。
毎年高槻のJAZZストに通っていたらしい。今年はコロナでイベントが中止となった。
JAZZストはTシャツなどの売り上げで運営されてるので中止でも通販でTシャツを家族分買って
売り上げに貢献していたそうだ。
来年の開催を心待ちにしていたことだろう。
そのTシャツに一度も袖を通すことなく死んでしまったので、
嫁さんが最後に着せてあげたそうだ。
ここまで仲のいいやつが死んだのが初めてだったので、言葉にならないが、
時間が冷たく淡々と流れていくのが少し寂しい。
そんな中でも、仲間が全員が揃うまでまっていてくれて、全員で彼を見送れたのが素晴らしかった。
彼が喜んでくれていることを肌で感じた。息子達も立派に育ってるしお疲れさん。
息子達はおやじは怖かったって言ってたぞ。
オマエがそういうキャラではないということは黙っておいて種明かしはしないでおくわ。
昨日まで金髪だったけいとは通夜にはオマエのことを思ったんだろう。黒髪で出席してたぞ。
合掌。。
※ウチの父親が亡くなった時、カメラ撮影の時にいつも着てた服を着させてお送りしました。
白い着物より、故人が大好きだったものに関わる服で送りたい、家族の思いですね。
本当に寂しいね。
涙出た
どうしようもなくて。
すんません。
近い人が亡くなってしまうことはどうしようもなく辛くて、慣れることなんてないですよね。
義理の母親も膠原病で毎食後にぎりこぶし大の量の薬を30年以上飲んでいますが、もう直ぐ80歳が見えてきています。
人の寿命はわからないですね。
でも、かめさんみたいな友人が沢山いらっしゃったのなら、ご友人が過ごされた日々はとても楽しく恵まれていらっしゃったのではないですか。
天国でかめさんのこと見守ってくださっているといいですね!
胸が痛いのは、順番が違うこと。
彼のお母さんのことを思うとたまらない。
順番通り死んでいかないと駄目なんだけどなかなかそうはいかないもんね。
やっとゆっくりできそうな年齢になってきたのに、あっちの世界でゆっくりすることを選んだみたいなので、残された嫁さんや子供達とはまた会う機会をオレ達で作ろうと思ってますよ。