星の彼方へ〜アルツハイマー認知症の母のと私の思い出〜実話

アルツハイマー認知症の母の突然の死
母のが生きてきた証を思い出と介護の記憶を刻んでいきます

虹の彼方へ Vol.10 〜アルツハイマー認知症の母の思い出 〜

2020-10-29 15:46:52 | 虹の彼方へ(介護小説)

アルツハイマー認知症で亡くなった母との思い出を小説にしています。

 

虹の彼方へ Vol.10 〜アルツハイマー認知症の母の思い出 〜

その電話は、自分たちにとっても青天の霹靂というか寝耳に水というか・・・・

母たちが住んでいるA市の「地域包括センター」からの電話だった。

それまで、地域包括センターというところが何をするところか全くしらなかった。

「母がもしかすると認知症かもしれないので、脳外科へ連れてってくれ」との話だった。

母が認知症?

母は、どちらかというと頭もすごく切れて、私が高校生でテスト勉強しているときも生物の勉強をみてくれたり

とても記憶力のいい人だ。

まさか・・・といこうといしたとき、相手の言葉が私の言葉を飲み込んだ

「お母さまが銀行のキャッシュカードを無くされたと、1日に同じ電話が何度もかかってくると銀行から地域包括センターに電話があったんです」と

先月まで普通に、病院の待ち時間が長いだのなんだの言っていた母が認知症?

目の前が真っ暗になり、頭の中を認知症という言葉がグルグルと回り始めた。

「わかりました。ご連絡をしてそちらにまず伺います」

そう声を絞り出すのがやっとのことだった。

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虹の彼方へ Vol.7 〜アルツハイマー認知症の母の思い出 〜

2020-10-09 18:21:10 | 虹の彼方へ(介護小説)

アルツハイマーで亡くなった母との思い出をノンフィクション小説として書いています

 

虹の彼方へ Vol.7

まず何からすればいいかわからなかった。

葬儀やの手配はした。

次は、仏壇

立派な仏壇が置けるほど大きな場所はないけれども

目についた仏壇やさんに入って行った

今は、マンションとかの人も多いからだろうか

結構大きさも手ごろなものがたくさんあった

その中で少しでも母っぽいものを選んだ

お線香は弔電と一緒にいただいていたので、早速話をかって

遺影を飾って仏壇を飾った

悲しいけれど

なぜか少しだけ

母を近くに感じられるようになった気がした

それから毎日、仏壇に手を合わせて

母といろいろな話をするようになった

 

***つづく***

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虹の彼方へ Vol.6 〜アルツハイマー認知症の母の思い出 〜

2020-10-05 17:42:39 | 虹の彼方へ(介護小説)

アルツハイマー認知症で亡くなった母との思い出やその時のことを綴っています。

よければ応援してください。母は私の心のよりどころでした。

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虹の彼方へ〜アルツハイマー認知症の母の思い出 〜Vol.6

葬儀やがきて、母を運んで行った。

私たちは無言のまま葬儀やの車について行った。

しばらく待っていると母は安置され、そこで私たちはお線香をあげた。

母の表情は全く変わらず口を明けて目を細めて開けたままだった。

本当は目を閉じるべきだと自分ではわかっていた。でも少しでも母の瞳を見つめていたくて。

葬儀は家族葬でやることにした。

次の日も安置所にお線香をあげにこられるとのことだったので、子供たちを連れてきた。

娘は泣き崩れた。息子も大粒の涙を流していた。

母はこんなにも孫たちに愛されていた。

私が母を愛していたように。

父だけがまだ、母の死を受け入れられていなかった。

父と母はとても仲良く、年をとっても二人でよく手を繋いで買い物に行っていた。

これをいうと私の年齢がモロバレしますが、昔のCMに「チャーミングリーン」のように

悲しいという感情を始めて知ったような気がする

小説が大好きで、映画が大好きで主人公に感情移入をして泣くことはあったけど

自分の肉親をそれも愛する母を亡くした

その事実は私の心の中に大きな影を落とし、風が吹き抜ける空洞を作り上げた。

「もう2度と会えない」

そういうことがどういうことか始めて知った。

 

***つづく***

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@misaki_rose12

 


虹の彼方へ Vol.5 〜アルツハイマー認知症の母の思い出 〜

2020-10-01 16:46:54 | 虹の彼方へ(介護小説)

アルツハイマー認知症で亡くなった母との思い出を綴っています。

 

星の彼方へ Vol.5

葬儀やにまずが電話をした。母の遺体(遺体などとはいいたくないけど)をお迎えに来てくれるのは

10時ごろになるという。

もう一度、母のもとに戻った。

さっきまで握れていた冷たい小さなては死後硬直のせいでもう握れなくなっていた

「死後硬直」

名探偵コナンや金田一少年の事件簿が好きな私にとって「死後硬直」などという言葉はドラマか漫画の世界だけの

ものだった。

でも実際に。

母は元々肌が白いのであまり青白さは感じなかった。

母を見つめるとまた涙が頬を伝う。

「お母さん、大好きだよ。お母さん大好きだよ。」

もっともっと生前に母に伝えたかった。

本当に大好きだったのだから。

アルツハイマーでも車椅子でも

私の顔を見ると笑顔になる母が大好きだった。

生前、まだ、手の筋肉の萎縮が始まる前は、会うたびにぎゅーっと私の手を握ってくれた

「痛いよ痛いよ」と私がいうと母は笑って見せた。

アルツハイマーだから短期記憶はないけれど、そして車椅子だし、手とかも萎縮が始まって

うまくグーパーができなかったけど、それでも母は懸命に生きていた。

死亡診断書には、死因は「老衰」と書かれていた。

なぜか手術欄にも「胃ろう」の手術については記載されていなかった。

 

それが解ったのは、だいぶ日々がすぎてからのことだったので

施設には言わずにいたけど

 

もし、もう一度、一日だけ母と一緒に出かけられるのなら、温泉に連れていってあげたい

そしてお母さんがびっくりするほど、テーブルに乗り切れないほどの豪華な食事を堪能してほしい

胃ろうの手術をする前から、嚥下能力が低下していて、「とろみ」で食べていたのでいつも母は

ご飯がおいしくないと言っていたから。。。。

 

***つづく***


虹の彼方へ Vol.4 〜アルツハイマー認知症の母の思い出 〜母の死から葬儀、お墓探しまで

2020-09-29 17:30:17 | 虹の彼方へ(介護小説)

アルツハイマーで亡くなった母との思い出を書くことで母が生きた証を残したいと思っています。

虹の彼方へ Vo.4

胃ろうの手術をしたら元気になると信じていたけど、その期待は見事に裏切られた

もちろん、胃ろうの手術をして元気になる人もいる

だけれども母にはきっと手術は負担が大きすぎたのかも知れない

嚥下がうまくいかずに痩せ細った母には体力が追いつかなかったのかも知れない

 

今からは、突然の母の死からお葬式までのことを書いていこうと思う

もちろん最初は母の死をもちろん受け入れることなどできなかった

冷たくなった母に何度もすがり

泣き叫んだ

でも・・・・死は悲しいけれど現実だ

葬儀やの手配をしなければならなかった

葬儀やのいろんなCMを見ていても全く自分とは無関係だと思っていたので

何も準備も調べてもいなかった

病院の先生が到着して、きちんとした「死亡診断」がなされた。

施設からいくつかパンフレットをいただき、何件か電話をした。

もう何時間母のそばにいただろう。いつもは私を見つめると笑顔になってくれたは、もういない

虚空を見つめたように眠る母

葬儀やは、9:00から受付だというので少し、外に出た。

悲しみが渦のように襲ってきた。外に出ればそこには日常があふれている

木々がざわめき、風がそよぐ

でもそんな日常から「母」だけがいなくなった

 

***つづく***