宝泉寺 ブログ

「ありがとう」を言わせない関わり

昨日も少しだけ触れたが、福祉仏教入門講座をうけている。
昨夜の講師は、山本師。臨床仏教士の資格を持ち、三菱京都病院などで活動をしている。医療従事者のように看護をしたり治療をしたりはしない。ただ、医療従事者では担当できないことを扱う。
僧侶の衣服は着ていないとのこと。衣服は携わっている病院と相談して決めているとのこと。ひたすら、相手のことを尊重して話をするということをしている。

山本師から、苦い経験談も聞いた。「苦い」というのは、私が付けた言葉ではあるが。
とても仲良くしていた患者さんがいた。心を許せる相手ということで山本さんと話すのが一番の楽しみだとさえ、話していたという。それが、あることがきっかけで、山本さんが僧侶であることが知られた。すると、その患者は、私は宗教にたよるほど弱くはないと言って、以後の面会を拒絶したという。宗教に対してのイメージを聞かされて、辛かったと言う。
私にも、これに似たような経験はある。確か、五重相伝(在家の方が受ける修行)を受けたらどうですかと、ある檀家さんにお勧めをしたら、宗教に凝り固まりたくないですと言われてしまったことがある。凝り固まるのが宗教だという思いがその方にあったのだろうか、私も痛く残念に感じたことがある。
山本師は複数の病院で活動をしているが、医師の中には、病院の中にお坊さんは不要ではと疑問を呈する人もいるという。確かに、一般社会でも宗教は不要だと考える人もいる。しかし万人から不要だとはなっていないし、人生の中で苦しみ悩みにさいなまれたとき、投薬や治療ではない部分での支えも必要になってくる。

昨夜のお話しの中で、『「ありがとう」を言わせない関わり』という話があった。この項目では話されなかったが、最後の質疑応答の中でこういう話をされた、山本師は、臨終を迎えた方があったときに、家族が来るまでは何時間でも亡くなった方の手を握っていると。この時は、ドアの方を背中にして座っていると。家族が来て手を握ったときに、あっ温かいね、と喜んでもらえるように手を温めているのです。ドアを背中にしているのは、山本師がとを握っていて温かくしていたことを覚られないようにしているとのこと。
私も、こんなふうになりたいなと思いつつお話しを聞いていた。


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