13日に、総本山永観堂禅林寺にて行う講義の準備をしているが、なかなか進まない。テーマが「政教分離」で、あまりに広大な内容で、まとまらない。
そんな中で、マザーテレサさんの手紙を紹介した一文を目にした。
「わたくしの心には信仰も愛も信頼もありません。多くの苦痛があるだけです。 思慕の傷み、不要者としての痛みです」と。
修道女として生涯を人々のために尽くしてきたテレサさんは、神父に宛てた手紙に、このように書いていました。
この文面のまま読めば、キリストへの信仰がないと告白していることにはなる。ノーベル平和賞を受賞した世界に知られる修道女が、どうしてこのような言葉を書いたのか。
私が理解できるようなことではないのかもしれないが、キリストへの信仰を元に、インド・コルカタで人々とともに過ごし、少しでも救いになるように手を差し伸べたテレサさんは、どれだけ努力し続けても、変わらぬ世界の不公正に対して、苦しんでいたのではないのだろうかと。
宗教を信じるというと、中には教えに凝り固まる・・・という感覚で捉える人もいる。カルト系宗教・原理主義宗教であれば、凝り固まったケースもあるかもしれない。
でも、本気で心の底から自分を見極めていくと、マザーテレサの言葉は、偽らざる本心であったのではないかと感じてしまう。
そんな中で、マザーテレサさんの手紙を紹介した一文を目にした。
「わたくしの心には信仰も愛も信頼もありません。多くの苦痛があるだけです。 思慕の傷み、不要者としての痛みです」と。
修道女として生涯を人々のために尽くしてきたテレサさんは、神父に宛てた手紙に、このように書いていました。
この文面のまま読めば、キリストへの信仰がないと告白していることにはなる。ノーベル平和賞を受賞した世界に知られる修道女が、どうしてこのような言葉を書いたのか。
私が理解できるようなことではないのかもしれないが、キリストへの信仰を元に、インド・コルカタで人々とともに過ごし、少しでも救いになるように手を差し伸べたテレサさんは、どれだけ努力し続けても、変わらぬ世界の不公正に対して、苦しんでいたのではないのだろうかと。
宗教を信じるというと、中には教えに凝り固まる・・・という感覚で捉える人もいる。カルト系宗教・原理主義宗教であれば、凝り固まったケースもあるかもしれない。
でも、本気で心の底から自分を見極めていくと、マザーテレサの言葉は、偽らざる本心であったのではないかと感じてしまう。