こんばんは。4年目の石田です。
新入生のみなさん、大学生活はどうでしょうか。
経験者でもそうでない人も、是非1度足を運んでみてください。きっと退屈しない4年間が送れるはずです。
最近、何か文章を書こうと思っても手が動かないことが多々あります。理由はよくわかりませんが、もういいや、と思ってしまうことが多いです。
大学生活に対して新入生の皆さんは様々な理想を描き、それをどう実行しようかと胸を躍らせている頃かと思います。皆さんにとって大学生活とは、希望に満ち溢れたそれであるのでしょう。
私にとっては、大学生活とは「価値の否定」
と「破壊」がテーマでありました。ここでいう価値の否定とは、自省してより良い方向に自己存在をもってゆこうとする営みではなく、ア・プリオリなものに加えて、自己の規範に沿って私が獲得してきたものに対するぬるりとした否定が存在したのです。
この否定にはどうしようも無い無力感しか感じられません。私自身には大学生活から突きつけられた否定による自己変革が、改悪のようなものに感じられてしまうのです。それは改変したからどうにかなるものでもないことに加えて、1番酷いことは、私自身がそうなってしまうと、おしまいの人間達になってしまうと思っていることなのです。
私が一定の信念を持ち、ある一定の人々から支持され、また私自身もそれを善となして生きてきた私自身の存在が社会全体から否定されたような気持ちになってしまうのです。北大に入学したことで、私は既存の価値観がいくつも破壊され、いくつもの自己規範が揺らぐような出来事が多くありました。
その結果、私は堕落しました。最低な人間へと成り下がったように思われます。
そのひとつとして、練習を頑張れなくなりました。在学中に行った肩と膝の手術、度重なる足首の負傷も重なってでしょうか、いつからかひたむきに柔道に対して取り組む自分が見えなくなりました。
コロナウィルスによって先が見えない中、様々な葛藤や上の年目さんや下の年目に対して申し訳が立たないと思いつつも、これ以上の向上を見いだせない自分がいます。
勉学に対してもひたむきに取り組めなくなりました。ただ怨念のようなものが私を支配している時間が長くなり、私の脳内を黒いもやが覆いかぶさり続けるようになりました。
そういった意味で、私はこの閉塞した自分の人生を変えたい、という気持ちが今強くあります。このままこの大学にいたらば、私は自己の否定に次ぐ否定によって、全く違う何者かに変身してしまい、愚かな虫けらに成り下がってしまうような気がするのです。
これは環境を変えたからと言ってどうにかなるものではなく、私自身が閉塞をこの環境で打破するしかないとは理解していても、生得的なものであったり、環境のせいにしている弱い自分が確かに存在しているのです。
あと2ヶ月半、走り抜けた先に何があるのかはわかりません。深い絶望かもしれませんし、その対偶として喜びであるかも分かりません。とにかく私は今のこの状況そのものを喜ばしく感じてはいない、ということだけは確かなのであります。
これは私の日記のようなもので、4年目人生に対する気疲れのようなものでもあります。チームの士気を下げないように、あえて抽象的な言葉で書きました。多分今の私にはこれが限界のように思われます。
最後に、私は最近詩を書くことに熱中しています。山之口獏の詩を読んでから雷に打たれたように詩を読み漁っては書いています。そのうちの一つをぜひ読んで頂きたいです。
丸ノ内ニテ
噴水ノ ヒカリガ ツル科ノ葉ヲ揺ラシタ
チイサナ滝ノ音ハ 寂トシテ谷間ニ消エユ
喧騒モキコエヌ 静カナ街ニ佇厶
公園ノ片隅ノ畔デ 水ノ上ヲ走ル二人組ヲ
風景デアル女ハ 木々ノ合間カラ見ル
私はまだ人間存在をかけて詩を書いていないから楽しいのだと思います。小説もしかりですね。気が向いたら面白ブログを描きたいと思います。それでは皆さん、この辺で。