毎日、ブログを書かなくなって、すっかりネタが溜まっております。
次回のブログとの関連で、1月13日に姉ねえと行った「花見神社」を書いてみようと思います。
ここは鹿児島市花見町にある神社です。
鹿児島ではさほど有名な神社じゃ無いけど、薩摩藩には大事な神社だったんです。
花見山の麓にありまして、道が狭い。
でも、境内の駐車場は広いんです。
綺麗な池のそばに手水舎が有りました。
階段を登っていくと、立派な作りの神殿。
こんな田舎の山の中に??
ここは島津家初代当主島津忠久が、薩摩・大隅・日向三洲の守護職に任じられ、下向した時に、建保6(1218)年源頼朝像を、ここ花尾山の麓に安置したのが創建の時だと言われています。
現在の社殿は、正徳3(1713)年の建立で、別名「さつま日光」と呼ばれ、
極彩色の彫刻や装飾が日光東照宮の雰囲気を感じます。
忠久公は、母の丹後局と養父惟宗広言(これむねのひろのり)を薩摩に迎え、
広言を市来の地頭職に任じ、丹後局に2つの村を与えたそうです。
丹後局は安貞元年(1227年)に亡くなり、この地に葬られたそうです。
神殿横にお稲荷様?
島津家は稲荷大明神を氏神としていたそうで、丹後局が雨降る夜更けに
住吉神社内の境内で狐火を借りて、無事島津忠久を出産した事に由来しているそうです。
確かに神殿の中は豪華です。
まだ日光東照宮に行ってないから、比較出来ないけど〜〜
日本の平和、災害が起きない事を祈って、駐車場に戻ると、
赤ちゃんを連れたご家族が来ていました。
丹後局の縁で安産の神さまでも有るんですね。
さて、先程から出て来る丹後局とは??
頼朝の流人時代を支えた比企尼の娘で、頼朝の寵愛を受けて身ごもった丹後局。
頼朝の正妻北条政子に追放され、西国へ下る途中、摂津国住吉で男子を出産します。
その子は三郎と名付けられ、丹後局の再嫁ぎ先惟宗広言のもとで養育されました。
7歳の時に父頼朝と鎌倉で対面し、元服し惟宗忠久と名乗りました。
惟宗忠久こそ、島津初代当主島津忠久だと言う事らしい。
丹後局が帰依した僧永金や鎌倉から随従の武臣の墓が有ります。
丹後局の墓。
隣に「お苔石」と言われる、昔から安産・子授のお守りに表面が削られた石塔が有ります。
これが元々の丹後局の墓ではないかと言われています。
先程の赤ちゃん連れの家族もこちらにお礼参りされるんだろうなぁ。
島津初代当主島津忠久ゆかりの神社、9月には大きなお祭りがあるそうです。
帰りにちょっと離れた社務所に寄って、御朱印を頂いて来ました。
島津家と頼朝のご縁、またお勉強しました♪♪
今回はコメント欄閉じます(多分)😅