下関前編から続きます!
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まるで竜宮城の様な佇まい!
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「赤間神宮」ご存知かしら?ジジは知らなかったわ(^^;;
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源氏と平家が激突した壇ノ浦の戦いで、わずか数え8歳で入水した安徳天皇を祀る神社です。
殆ど、王子と同じ歳の安徳天皇、涙無しには訪れられないところです。
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最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、
「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。
二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。
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天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱え、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。
安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した。
wikipediaより、お借りしました。
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この日は神前結婚式が有りました。
強力なパワースポットだから、お幸せに♪♪
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安徳天皇は、「水天皇大神」となられました。
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ここには、昔「耳なし芳一」の舞台である阿弥陀寺だったそうで、明治の神仏分離令によって、神社になったとの事。
そして、平氏一族のお墓も有ります。
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栄華を誇った平氏の終焉の地。
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結局、安徳天皇のお身体は見つからなかったそうですが、
建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させたそうです。
以後、勅願寺として崇敬を受けるました。
明治の神仏分離令により、阿弥陀寺が「天皇社」となり、
明治22年(1889年)7月25日、「擬陵」として公式に治定されたそうです。
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安徳天皇の在位中に、平氏を追いやるために天皇となった後鳥羽天皇も、
院政を長く勤めたものの、源氏と不和になり、「承久の乱」を起こし、
隠岐の島に配流されました。
本当、諸行無常の響き有りですね( ; ; )
こちらに「赤間神宮」の事詳しく出てました。✿
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この穏やかな海に眠る幼な子と祖母……王子とババに重なって、涙ウルウルでした。
きっと、竜宮城で幸せに暮らしていらしゃるでしょうね。
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まるで竜宮城の様な佇まい!
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「赤間神宮」ご存知かしら?ジジは知らなかったわ(^^;;
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源氏と平家が激突した壇ノ浦の戦いで、わずか数え8歳で入水した安徳天皇を祀る神社です。
殆ど、王子と同じ歳の安徳天皇、涙無しには訪れられないところです。
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最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、
「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。
二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。
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天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱え、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。
安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した。
wikipediaより、お借りしました。
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この日は神前結婚式が有りました。
強力なパワースポットだから、お幸せに♪♪
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安徳天皇は、「水天皇大神」となられました。
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ここには、昔「耳なし芳一」の舞台である阿弥陀寺だったそうで、明治の神仏分離令によって、神社になったとの事。
そして、平氏一族のお墓も有ります。
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栄華を誇った平氏の終焉の地。
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結局、安徳天皇のお身体は見つからなかったそうですが、
建久2年(1191年)、勅命により御影堂が建立され、建礼門院ゆかりの尼を奉仕させたそうです。
以後、勅願寺として崇敬を受けるました。
明治の神仏分離令により、阿弥陀寺が「天皇社」となり、
明治22年(1889年)7月25日、「擬陵」として公式に治定されたそうです。
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安徳天皇の在位中に、平氏を追いやるために天皇となった後鳥羽天皇も、
院政を長く勤めたものの、源氏と不和になり、「承久の乱」を起こし、
隠岐の島に配流されました。
本当、諸行無常の響き有りですね( ; ; )
こちらに「赤間神宮」の事詳しく出てました。✿
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この穏やかな海に眠る幼な子と祖母……王子とババに重なって、涙ウルウルでした。
きっと、竜宮城で幸せに暮らしていらしゃるでしょうね。
わたし、ヘタレなので、奥の七盛塚で写真撮るの怖くて、撮ったことないんですけど・・・
恐る恐る拝見しましたが・・・墓石以外、何も写ってないですね(笑)
そうかー、二位の尼と安徳天皇・・
ハリーママさんと王子ですね!
建礼門院さまもいらっしゃるし~(^_-)-☆
唐戸市場も盛況ですね~
久しぶりに行きたくなったぞー・・
食べたいのをチョコチョコ買って、関門海峡眺めながら、
門司港方面の景色見ながら、食べるのが美味しいんですよね(^_-)-☆
今回はトンネルだったんですね!
高速道路じゃなかったんだ~
あ、小倉にお泊りだったからドライブ楽しみながら・・って感じですかね?
いいなー・・ガイド辞めてから、九州出てないかも!
続きもまだまだありますよね・・・また見に来ますね~
本当に、竜宮城のイメージですね~!
竜宮城のような形の門になっているの納得!
波の下のも都が・・・って泣けますね。。
とても丁寧に書いてくださって知らなかったことを知ることが出来ましたよ。
続きも楽しみにしています。^^
地続きみたいなものだから、気軽に行けるのね。
そちらは歴史が長いから、有名な場所もたくさんあるし、見応えがあるね〜。
如何かなって、思いつつ撮っちゃいました!
平時子と安徳天皇は、ちょうど私と王子の歳に入水してるんですよね。
涙ながらに参れないところでした。
ジジはチンプンカンプンみたいでしたが(^^;;
唐戸市場、朝早いのに沢山の人でした!!
まあ、市場だから当たり前ですけどね。
お天気良いと、皆さん海岸沿いで食べるんですね。
歴史と食の下関、また行きたいな♪♪
小倉からは、下道と高速、同じ時間だったんです。
周りの景色も良いから、下道使いました。
くるみさんの所から、中国地方は近いから良いな!!
本当に、竜宮城のイメージですね~!
権力闘争に翻弄された、天皇でしたね〜。
後鳥羽天皇も結局、武士の時代には勝てなかったわけですね。
ここは特にパワースポットらしいですよ。
竜宮城で安徳天皇が過ごされてるイメージで作ったようです。
どんな思いで孫と入水したかと思うと本当に切ないです。
遠目で竜宮城みたいって思ったんですが、
本当にそれをイメージしてたんですね。
なんか、上手く書けなくて二重になってるところも有りましたよ。
リンクした所が分かりやすかったですね。
下関、他にも長州時代の歴史的物も有りましたよ。
観光にはお勧めの場所ですね。
昔、電車で萩や津和野には行きましたけど。
また、ノンビリと行きたい所が沢山有りますよ!
ここは特に、1185年壇ノ浦の戦い、1612年巌流島の決戦、
1865年下関戦争(長州と英国・仏国・米国等と戦い)等、
歴史が沢山なんですよ。