今日は8月12日。JAL123便(JA8119)事故から25年が経過した。当時自分は大学3回生。実家に帰ってきて、そこから通えるところに今でいうインターンをやっていた。
当日は暑くよく晴れていたように思う。インターンを終えて家に帰ると、ニュースが遭難事故一色だったことを覚えている。お盆休み直前の時期で、単身赴任の人の移動や甲子園観戦、夏休みのちびっ子一人旅…。
コントロールを失った飛行機を何とか立て直そうとしたパイロット、上下左右に揺れる飛行機で恐怖を味わった乗客、その恐ろしさは想像もできない。ただ、本当に修理ミスが原因だったのだろうか?謎の多い事故だけにきっちりと究明していただきたいものだ。
再建中のJALにとっては原罪のような事故になってしまったが、安全の確保を第一に航空サービスを提供してほしい。
ともかく、黙祷。
当日は暑くよく晴れていたように思う。インターンを終えて家に帰ると、ニュースが遭難事故一色だったことを覚えている。お盆休み直前の時期で、単身赴任の人の移動や甲子園観戦、夏休みのちびっ子一人旅…。
コントロールを失った飛行機を何とか立て直そうとしたパイロット、上下左右に揺れる飛行機で恐怖を味わった乗客、その恐ろしさは想像もできない。ただ、本当に修理ミスが原因だったのだろうか?謎の多い事故だけにきっちりと究明していただきたいものだ。
再建中のJALにとっては原罪のような事故になってしまったが、安全の確保を第一に航空サービスを提供してほしい。
ともかく、黙祷。