午後何時だったかな?
あまりよく覚えてないけど90年代、10月の初めくらいに行った。
10月の初めだというのにソウルは暑かった。
真夏の様だった。
スニーカーを履いてたがサンダルを買いに明洞の街を散策する。
本当に何も知らないで行ったため、見るもの見るもの何もかもが楽しかった。
そして、熱があるのに、屋台のトッポギがどんな味がするのかきになって仕方ない。
お父さん。
何か面白い物見つけた?
あの屋台のソーセージみたいのはどんな味なんですか?
食べるかい?
本当ですか?
喉大丈夫かい?辛いよ。
大丈夫です。
この旅行は実は不動産王である友人の父が韓国からマンションで得たお金を持ってくるための旅。
つまり、お金を持ってくるにはある程度頭数が必要でその一人になるため、その代わり食事代、宿泊代は払って下さると言う夢の様な旅であった。
私がこの旅で払ったのは飛行機代のみ。四万円。
この場を借りて本当にお礼を言いたい。
お世話になりました。
なので食事は友人のお父さん任せだったのた。
それにハングルがわからないから屋台注文は全て友人のお父さんがやってくれてた。
な訳で私の目の前に赤いトッポギ。
熱いから気を付けてね。
一つ楊子で刺して食べてみる。
熱い、辛い、餅か。
おいしい。
何だこの味。何だ辛いだけでなく奥深いうまい、うまい。
美味しいかい?
美味しいです。
マシイッソヨって言うんだよ。
マシイッソヨ、ベリーマシイッソヨ。
マシでも通じるよ。
一緒に明洞の街の中で三人でトッポギを頬張っていた。
今でこそトッポギと言ったらどんな味が想像がつくが、90年代頃はそこまで韓国の情報はなく、何もかもが新しくて、熱があっても楽しかった。
食べる事の楽しさ、好奇心みたいな物が勝って食べないと言う選択肢はないから、何でもすすめられたものを食べて友人のお父さんを驚かせた。
美味しそうに食べるね。
全部きれいに食べるね。
見てて気持ちいいよ。
と良く言われてた。
それが自慢ですぅ。
心の中で言った。
咳をしながら街を散策すると、途中でお父さんが行かなくてはいけないところがあると言うことで別行動になった。
夜にまたね。
お世話になりました。気を付けて。
友人と二人で明洞の街の中を歩いた。帰り道は覚えている。
大丈夫だ。
韓国面白いでしょ。
うんうん。
そんな事より体調は?
大丈夫だよ。
あなた熱出して倒れた事あるからね、無理しないでね。
ありがとう。
友人と二人で仙台に行った時も風邪を引いて38度あった。
それでもキャンセルするのは悪いと思い、強行した過去がある。
途中で倒れた。
めまいと気分が悪くなり、どこかのデパートで倒れてしまった。
本当に迷惑をかけた過去である。
な訳である程度見たらすぐホテルに帰ってきた。
少し休もう。
ありがとう。
ホテルのテレビは今でこそ、日本のテレビ局が入るけど、その頃は日本の文化を入れられない時代だったので、テレビは韓国のものだけだった。
日本人一人で歩いたら危険?
大丈夫だよ。
私一人で明洞行っても?
大丈夫だよ。後で行ってみたら。
うん。
明洞一人歩き、次回公開。